序幕「幼き手を引いた者」
魔力が強いのは良いことだ。そんなの、誰が言い始めたんだろうか。
魔法のことで困ったことがないんだろうな、その人達は。
だって、僕は……僕はずっと。
(悪魔の子)
(醜い悪魔の子)
(お前はお前の母親を殺した)
(お前が私たちの娘を奪った)
(返せ、私たちの大切なものを)
(『お前なんて、』)
最初の頃は囁かれていただけ、けれどいつしか、僕が出歩くようになるとそれは面と向かって言われる暴言になった。でも気にならない。投げかけられる言葉も、僕にとってはなんの意味もなさないただの戯言。だって僕は自分から何もしていない。悪くない、はず。
だからずっと無視していて、気が付けば意地の悪い大人に、無理矢理手を引かれていた。
「ねぇ、どこにいくの」
「黙って来い」
そこは昼間でも少ししか光が差さない、深く暗い森の中だった。どうしてこんなところに、なんて思わない。ここが僕のような子供を捨てるための場所だと知っていたから。
どうして自分なのか、とも思わない。他の誰でもない、僕のせいだから。
――全部、僕が悪いのだから。
『ここで待ってろ』
「うん」
『迎えに来るから』
「……うん」
僕の背中を押して、入口からその人は声をかけてきた。 嘘つき、待っていてもどうせ来ないくせに。試しに手を振ってみたけど、父さんと呼ばれる人は一度も僕の方へ振り返らなかった。
だから、枯れ葉を踏む音が聞こえ、思わず驚いたのだった。鬱蒼と繁る暗い森、その奥を振り返った先で、小柄な人影は楽しそうに笑っていた。白銀の髪に赤い瞳、純白のドレスに不釣り合いなほど真っ黒の長い手袋。彼女はドレスの裾を細い指先で持ち上げて、僕の目の前まで寄ってきた。
『あら、こんなところにいては駄目よ?』
「どうして?」
思わず聞き返した言葉に、少女はまた笑った。何がおかしいのだろう。ドレスの裾を舞わせ、彼女は僕の前でしゃがみこむ。
『ここね、魔物が出るんだって。怖い怖い、子供の魂を食べちゃうお化けみたいなやつ』
囁くように、周りに聞こえないよう、小さな声で彼女は言う。彼女の姿が、木々の間からかすかに漏れる月の光によって、幼い僕の目にも神々しく見えた。
けれども。そんな雰囲気とは裏腹に、その魔物とやらがこの少女なのではないかと思う。この時間帯、こんな薄気味悪い森の中に普通はいない。
「…でてもふしぎじゃないもんね」
『分かっているなら、帰った方がいいわ』
「かえる? ――どこに?」
思わず口から出た言葉は、目の前の少女を驚かせた。彼女は、何でも知っているみたいにまた囁く。
『貴方には家がある。本当は、一人で帰れるのよね?』
「……どうしてそうおもうの」
『ここ、来たことあるんでしょう?』
今度は僕が驚く番だった。彼女は僕が"本当に"ここへ以前来ていたことを知っている。そして、それを知っているのは、普通の人間ではあり得ないことだった。
『ここにいては駄目よ』
「どうしても?」
『どうしてもよ。帰りなさい、元の場所へ』
「かえれないよ。ぼくはすてられたんだ」
『じゃあ、私が拾ってあげる』
「え?」
押し問答の末に、負けたのは僕だった。まだ月は出たばかり、冬間近の森の気温は低く冷たい。微かに残っていた温もりは、僕がふっと息を漏らすだけで氷の塊みたいに冷気だけもたらした。
『おいで』
そうして目の前に差し出された手を、疑いながらも僕は握る。握った手の温もりは、冷たい僕には熱すぎる程だったけれど――初めて、"心地よさ"というものを知った気がした。
「けれども、だ」
あの手を掴んでいなければ、もう少し未来が変わっていたかもしれない、そう思うと今でも涙がでてくる。
僕は馬鹿だった。名もない少年として生を終わらせるのではなく、"クラベス"という名を与えられた少年として生きることを選んでしまった。それが間違いだった。
何故なら、僕を見つけたそのときから、彼女は僕を玩具にするつもりだったのだから。
あぁ、やっぱり全部自分が悪いんだ。
= 終幕「ただ一つの願い事」