第一章第一話『Unfair』
―― いつか見た夢が、夢でないことを。私は一体、どれだけのモノを犠牲にして知ったのか。しかもそれが、他人から知らされたときの、悔しさといったら、何に例えることが出来るのか。一人、泡沫の海に身を沈める? 祝福の鐘を撃ち抜かれる? いいや……銃を頭に突きつけられたまま、強制的に祈りの文言を唱させられることくらいか ――
飛行機の重低音が遠くに聞こえる。今しがた乗っていた飛行機を見つめながら、黒髪の少女はそびえ立つ透明な硝子の壁に軽く手を当てた。――飛び立つ飛行機に乗っていれば、また長い空旅を終えれば、ドイツに帰国することが出来た――だが、来たばかりでそんなことは出来ない。少女は指先を強く握り込め、すぐに放す。白いレースが胸元のワンポイントとなっている、黒いワンピース。真新しい革靴は、まるでこの日のためにおろしたかのようだ。そんな見た目だけならばどこぞのお嬢様のような少女が一人、空港のロビーで待っている姿は中々に人目を引く。だが少女は、視線を気にする様子もない。自身の髪の毛先を指先で絡めて遊び、靴先で自身のトランクケースを軽く押して、退屈を紛らわす。――遅い。誰にも聞こえないようにそう呟いたり、……また呟いたり。そうして待つこと三十分――少女の眉が寄った辺りで、ようやく、彼女の待ち人はカウンターからやってきた。
カウンターの若い女性に手を振りながら、青年が一人、少女の元にゆったりと歩いていく。手入れが行き届いている革靴に、洒落たオーダーメイドの灰色のスーツ。歳は二十歳前後、優男、でも腕は一流――特に潜入関連は、”組織”でもかなり評価を得ている男。事前に渡されたプロフィール通りの青年を眺めながら、少女はあからさまなため息をした。
「遅い、蒼樹」
「入国手続きは時間がかかるんだよ、お姫様」
スーツを着崩した男は、紙の半券とパスポートを彼女の手に乗せ、大きく伸びをし始めた。その呑気な態度が、少女の癪には触ったらしい。むぅと頬を膨らませ、少女は青年の袖を軽く引く。
「パスポートはしっかりと準備したはずよ――アイエル隊長が。隊長は、十数分あれば大丈夫と言っていたわ」
「お前のはな。俺の分は、成人してるからなおのこと聞かれるのさ」
「……むう」
負けを認め、青年の袖から指が離れる。代わりに、仕立ててもらった黒のワンピースの裾を軽く払い、少女はトランクの持ち手を直した。初めての日本入国、おまけに自身の親ではない男に連れられての”帰国”。入国に手続きがかかっても仕方がない状況に、聡い少女は無視をすることにした。魔女の刻印を押されたパスポートをそっと懐に隠しながら、革靴の音を冷たく硬い床に響かせて。
――時は満ちた。魔女と呼ばれる人々の出現と共に、魔女狩りは名を知らしめるように、大々的な復活をした。だが世の形と人権を最大限に取り込み、本来の拷問に取って代わって別の執行方法が定められる。”銀の弾丸”――古来は人狼に対して使われていた、教会きっての神の御業を、魔女狩りの執行人達は魔女に使うことでその効力を発揮するとした。魔女だったものたちが何事もなく、普通の人間として元の生活を取り戻したことを知らせ、やがて彼らは組織ウィアベルを名乗り、世界各国にこう宣言する――”我らは人々の生活を脅かすものではない、魔女なき日常に戻すために動くだけだ”――と。