第一章第一話『Unfair』
各自の掃除を終え、白シャツと黒ズボンという精彩のない姿となった二人が一階へと集まる。食卓と呼べるものについた二人が手にしているのは、食事を乗せた皿ではなく、通信傍受を防ぐ電波を放つ小さな機械であった。ことりと音を立てて置かれたそれを見て、二人が同時にため息をつく――念入りに調べたとはいえ、住んで間からもないこの家で安心など出来ない、二人揃ってそう感じていたから。
シャツを腕まくりした青年は、目の前に座る少女に汚れのない白のコーヒーカップを勧める。中にはブラックコーヒーが入っており、彼女は一言お礼を言ってから受け取った。ほかほかと昇る煙は、どこか張り詰めた空気に似合わずまったりとしている。
「組織からは何か依頼は来ているの」
少女――梓はコーヒーカップに口を付けながら、そんな一言を放つ。ぶっきらぼうに呟かれたそれであったが、青年は軽く身を引いて顔を顰めた。可愛らしい顔をしているのに、少女なのに、口にしているのは大人顔負けの言葉だ。薄ら寒い感覚を覚えながら、蒼樹はコーヒーに口を付けて自分を落ち着かせる。
「いんや、さすがにまだ。仕事開始に一週間もらったんだ。さすがにこのタイミングでくるのは急用くらいさ」
「そう……」
青年の言葉に少し寂しそうな表情で少女は答える。――少女は気付いていた、青年が全てを語らっていないこと、或いは嘘をついて隠していることを。そして、青年もまた、少女が自分の言葉に何か感じていることを気付いていた。大して一緒に仕事をしていない二人だが、今まで繰り返してきたやり取りやら仕事の内容で、二人は人一倍言葉の裏には敏感だ。
だが、少女は何も追求することもなく、コーヒーをまた一口含んだ。カップが置かれる頃には、たっぷり入っていた黒茶色の海はカップの半分以下まで減っている。飲む早さに再度顔を顰めた青年は、まだたっぷりと残るミルクコーヒーを見てため息。
「――むしろ、お前は学校に行かなきゃならないし、この街の地理くらいは把握しなきゃならないんだ。無理すんな。しばらくは友達を作ることでも考えてろ」
青年は話題を変えて、少女の手が止まるように言葉を発した。青年はひどく負けず嫌いなところがあるので、話題を作りたがる。そんな言葉に対して、少女は青年の予想以上の反応を見せた。ことりと置かれたコーヒーカップに細い指が添えられているものの、持ち上がることはない。まるで彼女の時が止まったかのように、机とカップはひっついたままだ。
彼女がこういう風に手を止めることは、稀にある。幾ら仕事上手でも、幾ら一匹狼として名が知れ渡っていると言っても。所詮少女は、見た目の年齢以上の経験を異常に受け取ることは出来ないのだ。だが、明らかに今までと違っている点が一つある――それは、彼女に求められているのが普段の闘争ではなく、平和だから。
組織――彼女たちが所属し、仕事を請け負う場所。平和を目指すが故に、争いとは切っても切れない場所だ。組織に所属する少女にとって、そんな一時の平和など世迷い言に等しい。
ならば何故彼女の指が止まるかと言えば、そんな世迷い言のような彼の言葉に偽りがないからだ。おまけに仕事では味わう瞬間など皆無な優しさまで滲ませて。慌てて彼女が喉の奥から引いてきたのは、否定の言葉だ。
「できないわ、だって、この間にも魔女は――!」
「それが無茶なんだよ。日常的に魔女のことを考える必要はない。考えても見ろ、道端歩いているやつ、皆が魔女のことを気にしているはずがない。そんなこと考えているのなら、危険だーっつって家に引きこもっているだろうからな。逆に気にしすぎて、お前が組織の人間とバレる可能性だってあるんだ」
――魔女は、悪だ。そうやって呟かれたのは、一体いつだったのだろうか。少なくとも青年にとっては、子供の頃から付き合ってきた話題であった。だが、時間が経つに連れて浸透するかと思われたその認識は、欧米の感覚であって、ここ日本の感覚には合わなかった。こっそりと扉から顔を出し、襲われないように最新の注意を払って、足音をなるべく立てないように外へと出かける――そんな日常が見れるのは、未だに魔女の討伐が行われていない一部の地域だけ。日本ではまだ多くの魔女が残っているにも関わらず、そんな日常を見ることが出来ない。道を急ぐ人、買い物を楽しむように袋を持つ人、皆一様に日々を楽しんでいる。
思い当たる節があったのか、少女は身体を強張らせた。今までの仕事で、事前に情報が漏れたり相手に気取られたことも両手の指の数では足りない。それは彼女の経験の少なさもあるが、警戒しすぎた彼女に気付く――そういった例もないとは言えないらしい。
「……ごめん」
萎れた彼女を見て、青年は少しだけ反省するように頭を掻く。柄にもない、なんて自分自身に言い聞かせながら、彼女の頭を軽くぽふんと叩いた。
「大丈夫、今から覚えていけばいいさ。幸い、仕事はまだ」
「……ありがとう、蒼樹」
「どういたしまして、姫さん」