第一幕『自由を掲げる牧場』

 門を出た所で待っていた馬車に乗り込み、走りだしてから早数分。ゆったりと出来る車内の中の雰囲気は、良くも悪くも静かなままで落ち着かなかった。協会長が頼んでくれた馬車は大型で中も広く、正直普段の幌馬車と違って揺れも少ないから快適だ。けれどもそれはいつもと違う状況だから余計に負担に思えて。
「リベルテと言えば大牧場だな、上手く宿で空き部屋が確保できると良いんだが」
「行ってみないとわかりませんよ」

 青々とした草原が広がる窓の外を眺める銀髪の青年と、同じく窓をむくれた顔で眺める赤髪の少年が、皆を挟んで対角線上に話をする。だがそれぞれ眺めている方向は真逆で、視線すら合わせることはない。仲の悪さがここで露呈していた。
 リベルテは広々とした牧場や農場を抱える、国内の食を管理している町だ。前王時代から続く四つの農家・酪農家が町の牧場などを管理し、流通まで行っているという。そんな自然豊かな町には勿論宿屋などもあるが、何せ丁度旅の要所として利用する人が多いためか、中々宿の空き部屋も取れなかったりする。きっとノウゼンさんが心配したのはそのことなのだろう。
 ゆったりとした座席で二人がこうして話を時々するも、その合間にいる自分たちが口を挟むにはかなり雰囲気が怖い。席順を自然と彼らの位置が一番遠くなっていた、協会の応接間と同じように取ったのだがそれも良かったのかどうか。喧嘩にならないように見張っておくか、そう思案した時ふと、兄が声を上げた。

「あ、そうだ。リベルテからフロンティールまで歩くんだったんだよな。俺行ったこと無いけど、道は誰か分かるの」
「俺も分からないな……エイブロ。持っているだろう、出せ」
「はぁ? いきなり何ですか」
「地図だよ、お前が持っていないはずがない。情報屋はギルドを通して持っていると聞いた」

 邪悪な笑みで少年を脅しているようにしか見えない研究者は、手だけ彼に差し出したままほら、と催促した。これで持っていなければただ恥ずかしい人なのだが、意外にもその指摘は当たっていたのだ。面倒くさそうに、そしてぶっきらぼうに答えていた赤髪の少年は、顔をしかめながらもベストの背中部分を探り、一枚の紙切れを取り出す。持っているんだ、とつい言葉を発してしまうと、あからさまにエイブロはそっぽを向き、そんなに離れてもいないのに地図を青年には渡さず、隣の少女に渡した。

「これ、エイブロが書いたの?」
「――いや、情報屋同士で組んで色々歩き回ってたことがあって、その時皆で書いたんだ。もう組んではないけど」
「へぇ……」
「一人立ちしたときに貰ったんだ、国内の地図はこの国、なんか置いていないしな……」

 まだ向かいから見ているから詳細は見えないが、やけに細かに書かれていることだけは見て分かった。彼の言う通りこの国には地図というものが売られても図書館に置いてもいない、以前学校の先生に聞いた所、それは敵国に渡ったら危ないからではないかとか、そんな回答を貰った覚えがある。情報屋からしてみれば迷惑な話なのかもしれない。
 黒髪の少女は見終わった地図をにこにことノウゼンさんへと渡す。それを見て少年は少しだけ顔色を変えたが、特に何か口出しすることはなかった。

「本当に詳しいな。売ったら良い値になるんじゃないか?」
「売りませんよ。話を聞き終わったらエスペラルの情報屋に預けるんだから」
「……冗談の通じない男だな」
「そりゃあ悪かったですね。あんただって若干本気のくせに」

 冗談とも本気とも取れる青年の言葉に、彼はすぐに食いついて睨みをきかせた。恐らく本当に冗談だったとは思う、それでも火に油を注ぐとはまさにこのことで、溜め息をわざとらしくついた青年の態度に少年は怒りが目に見えている。余計な一言が多いところまで一緒だ、この二人は。

「お前には冗談が通じないことはよーくわかった。今度からは冗談ばっかり言ってやる」
「じゃあ俺は金輪際あんたを相手にしなけりゃいいってことですね」
 駄目だこの二人の相性は本当に悪すぎる、これで一緒に旅をしようとしているのだから巡り合わせは意外と過酷だ。睨み合う二人の視線は人を殺せそうな勢いがあり、真ん中に挟まれた少女は可哀想に固まっているだけ。そしてもう一人、挟まれていて耐えかねた者が、声を荒げた。

「やめーぃ!こんなところで喧嘩してもしょうがねぇだろ!」

 兄の馬鹿でかい声に男たちは視線を彼に向け、少女は視線を完全に逸らしたまま窓の外を見ていた。さらにユティーナやエイブロが座る席の向こう、小さな出窓から覗き込む馬車主もまた、兄に視線を向けている。兄の足を思い切り強く踏んでから、何とか場がまとまったことに感謝は一応した。勿論それで二人の気が収まることもなく、ふんと同時に鼻を鳴らして彼らはまた窓の方を見ていた。
 一連のやり取りを終えた頃を見計らい、兄からその大きくない地図を受け取る。破らないよう慎重に開けば、細かな図や線が真っ先に目へ飛び込んできた。確かに青年の言う通り、情報屋や商人からしてみれば喉から手が出るほど欲しい代物だ。だからといってそれを口にだすかどうかはまた別なのだが。
 何とか時間をかけて道順を覚え、持ち主へ地図を返した。どうやら先に予定を練っていてくれたらしい、ノウゼンさんが窓から視線を離して小さく笑んだ。

「とりあえず、協会長の言うとおり今日はリベルテで泊まる。明日の朝出発して、フロンティールまで歩いたら昼前には着くはずだ。村の中で城の方から話を聞いて、その後リベルテ経由でエスペラルに行って必要なものを調達する。恐らくエスペラル到着は夜になるだろうから、明日、明後日はエスペラルで泊まるほうが賢明だろう」
「早ければ鉄の森には三日後、という所でしょうか」
「そうなるな」

 すらすらと淀みなく流れていく彼の言葉はうっかりすると聞き逃してしまいそうなほど硬くて飲み込みにくくて、やはり嫌になる。それでも予定はきっちりと立てられていて、それを頼りたくなってしまう。心の底から嫌いだが、その合理的で理想的な計画を無碍になど出来なかった。

「凄い……あの短い時間で計画を立てられたんですね」
「計画を立てるのはうまいんだな、流石研究者だ。これでせいかあだだだっ!」
「もー、エイブロは余計なこと喋らないのー」

 少年の渾身の嫌味は少女の手で止まる、耳をつねられた彼は窓からも引き離されて馬車の椅子に倒れこんだ。花のような笑顔が、怖い。朝のとんでもない発言といい、今回の行動といい、彼女はどことなく普通でないことを感じる。やるときはやる、と捉えればいいのか、これは。
 軽く口を開いたままの研究者はすぐに視線を逸し、途端無言を貫き始める。ようやく解放された少年はそんな研究者の方を一度見やるも、真っ赤になるほど耳をつねられた痛さには勝てないのか、何も言わなかった。ついでに言うと、ノウゼンさんの性格がそう変わることがあれば私が驚いただろう。
 きりよく終わった馬車の中、リベルテに早く着きそうだと馬車主から告げられる。明日の朝までは用事もない、今日はゆっくりできるようだ。早速どんな宿に泊まるのか、着いたら何をしようかと皆で話しつつ、旅の醍醐味を心の中だけで楽しんだ。


 大牧場の空気は澄んでいる、とは最早衆知の事実である。天高く昇った月は明かりで旅人や草原を照らし、古くから伝わる夜の怖さを感じさせない。穏やかな風に乗った枯れ草の匂いは、きっと丘上の牧場から降りてきたのだろう。
 そんな穏やかな夜の草原を、金と赤の風が颯爽と駆けて行く。景色が暗緑に染まる中での対立は、一層その鮮やかな色彩を美しく見せ、通りがかった人の足を止めるほどだった。緩急をつけては近づいたり、遠ざかったり。二人の男たちが繰り広げていた剣戟は徐々に、その間隔を狭めていく。速さも重みも一般人らしからぬものだ。

「おおっと」

 金の髪が一瞬、立ち止まって崩れるような動きをする。相手の絶え間ない攻撃に緩んでしまったのか、体勢が保てなくなったところを、赤は見逃すこと無く走り寄る。いつの間にか増えていた大振りのナイフを瞬時に逆手へと持ち替えて、エイブロは攻勢の手を一気に進めた。左手を下側から一気に切り上げる動作、狙いは恐らく相手の剣の柄――しかし聞こえてきたのは、剣が弾き飛ばされる音ではなかった。
 金属音が静まり返り、辺りに静寂をようやくもたらした。切り上げられる寸前で止められたナイフが小刻みに揺れている。図らず赤髪の少年が息を呑んだ瞬間、青年の反撃が始まる。
 逆転した状況は一気に加速していく、ナイフを横に押すことで出来た隙に、少年の腹に目掛けて兄は突進する。剣の到達直前、気づいた相手は後ろへと身軽そうに飛ぶものの、それさえ兄は見越していたらしい。踏み込んだ足を軸にして剣を横薙ぎすれば、空中でも少年は防御するしか無い。弾かれた剣をまた繰り出せば、少年は防戦一方だ。
 動きは遅いが一撃は重い兄と、動きは速いが一撃は軽いエイブロ。どちらにも一長一短があるが、今夜は守りに入った時点で少年は体力を消耗しすぎていた。タイミングを見計らって、兄は低姿勢をとって剣を振り上げる。大振りのナイフ二本が同時に少年の手元から外され、甲高い金属音とともに宙を舞った。

「おっしゃー。えーと、大丈夫か」
「……この体力馬鹿」

 力尽きた少年から発せられたのはそんな言葉だ、思わず苦笑しながら聞いていると周りからも微かな笑い声が聞こえる。水を飲みながら二人を見ていた少女と、弓の調整にいそしんでいた青年の声だろう。弓の弦からぴんと高い音がする、青年は立ち上がって戦いを終えた二人に近づいていて笑った。

「諦めろエイブロ。そいつはガディーヴィだからな」
「ひでえ」

 少年は差し出された手をしっかり握って、ゆっくりと苦笑しながらも立ち上がる。負けた方ではあるが、彼も訓練ができて楽しそうだったのが印象深い。


 牧場の町リベルテに到着したのは夜近く、日も沈みかけた頃だ。何とか二部屋を確保することができ、晩御飯の後鈍った体を解す目的で外に出ることになった。訓練はその次いでのようなもの。
 手合わせは兄の勝ち、見る側にとっても勉強になるほどの良い出来栄えだった。エイブロの短剣の剣術を見るのはこれで二回目、実際に戦闘でやっているところを見るのは始めてだ。その素早さ、とっさの判断力――真似したいことは幾らでも思いつきそう。

「十分強いじゃないですか。その腕、なかなかいませんよ」
「お前の短剣も良かったぜ。やっぱり速いと対応しづらいな」
 二人がお互いの健闘を讃えているのをみて、少し羨ましくなる。自分は重い剣に耐えられないため、兄との手合わせではいつも負けているのだ。速さを重視しているところはエイブロと同じだが、あんな風に兄と渡り合えたこともない。しばらくは二人に鍛錬してもらわなければ、あんな風に男性へ追いつくことは不可能だろうか。
 訓練の一部始終を見ていたノウゼンさんは、小さく息をついてから落ちているナイフを見詰める。

「普通短剣を飛ばすなら後衛だが……それだけ出来るなら前衛でもいけそうだな」
「近接は最後の手段であって、俺はあくまでも後衛ですよ」
「身軽に動けるのに?」
「前に行くのは嫌です」

 彼の提案に少年は首を振り、ナイフを鞘に戻していく。どうやら後衛をどうしても譲りたくないらしい、何かこだわりがあるのだろうか。それとも前衛になりたくない理由でもあるのか。首を傾げた私や兄とは裏腹に、今まで黙っていた少女が声を上げた。

「そろそろ宿に戻りませんか、明日の準備もまだ終わっていませんし」
「お、そうだな。そろそろ戻るかー」

 普段ならまだ食いつく青年も、その案に逆らわないらしい。全部のナイフが拾えたことを確認して皆で宿へと戻っていく。ほんの僅か、安堵した表情を見せた少年の顔を見たとは、誰にも言わずに。


 宿で湯浴びした後にユティーナと二人で部屋へ来るよう呼び出しがかかった。華美が少ない廊下を歩きながら、男性陣の部屋へと向かう。木材の香りが漂う中、湯上がりでほかほかというのは良いリラックスが出来る条件だ。

「何でしょう、夜遅くになるのに……」
「ノウゼンさんだもん、きっとろくでも無いことでしょ」
「なるほど」

 短く答えた少女をちらりと横目で見て、思ったのは一つ、慣れとは凄いなと。彼女たちと付き合い始めて二日目にして、早くも「ノウゼンさんだから」という理由で通じるようになってしまった。彼女はあの青年のことをどう思っているのだろう。少なくとも少年とのやり取りを見て良い方には捉えていないだろうから。
 相も変わらず働く思考を一旦置き去りにして、ギルドとして確保した部屋の一つに着き、扉を慎重に叩く。ほんの少しだけ出来た隙間から視線を感じた後、一瞬の間が空いてから招き入れてもらえた。部屋の中央には大きめの木製テーブル、その上には更に大きな紙が一枚乗せられている。周りには兄と少年の姿――どうやら話し合っていたらしく、お互い椅子には座っていなかった。
 兄たちと自然に目が会い、テーブルへと手招きされる。紙には何やら攻撃だの回復だの物騒な言葉――そこで気がつく、これらは恐らく自分たちの戦闘の仕方、そしてその体系。

「見事なまでに攻撃中心のメンバーだ。回復と支援が期待できない、つまりこのギルドは特攻タイプのギルド」

 扉を閉め終えた銀髪の青年は長い溜息をつき、褒めてけなす。一人一人の攻撃力は、全員がすでに旅を経験していることもあって問題はない。けれども、何故か回復にまで手が回っていないようだ。この中でまともに回復魔法を使えるのはノウゼンさんただ一人なんてふざけている。このままでは、五人全員が大怪我をしたら対処する方法がない。彼が言いたいのはそういうことだった。

「敵国に入ろうっていうのに、これは確実にまずい。――なるべく回復の方法を考えるようにしよう。包帯とか、薬草とか――」
「って言っても今更だしな……明日城の人に聞いてみようぜ、俺達より詳しいかもだろ」

 そうだな、と頷く青年を見て少年は紙をたたみ始める。夜はもう遅い、そろそろ寝ないと明日に響いてしまうだろう。大欠伸を漏らした兄は、背伸びをしながら呟いた。

「うっしゃー、作戦会議おわりー、寝るぞー」
「はーい」
「ガディーヴィ、明日は頼む」

 私、エイブロ、ユティーナの三人が声を揃えて返事したのに対し、ノウゼンさんは兄に何かを任せた。彼が意味不明なことを言うのはいつものことだが、やはり唐突に言われても理解できる訳もない。もちろん私たちにはその内容は分からないし、言われた当人も分かっていないらしい。兄に何を頼むというのだろうか。青年はこれ見よがしにまたため息をつき、首を傾げた相手の肩に手を置いた。

「忘れたのか?お前がギルド長なんだぞ」

 そうだ、すっかり忘れていた。ギルドの代表として紙面に書かれていたのは兄の名前である。ならばその通りに物事を進めると、結果的に明日使者へ取り次ぐのは兄の役目になるだろう。本人は状況が飲み込めてないようで、首を傾げていたがそれもすぐに終わる。事の重大さにようやく気づいておおぅと手を叩きかけ――叩きかけて止まる、ということは納得していないらしい。

「ノウゼン、明日さー」
「断る」

 この話の流れは、察するに「ギルド長交代の願い」だろうか。やはり彼もまだ、あのギルド長を押し付けられた一件に関して怒っているのか。だがそれは青年も同じようで、質問すべてを言い切る前に断られてしまう。ぷーと成人男性には似つかわしくない顔で、兄はくるりと向きを変えた。

「じゃあ、エイブ」
「お断りします」
「――ユティーナ」
「ごめんなさい、ガディーヴィさん!」

 名前すら呼び終わらない内に、少年は深々と頭を下げる。もう一度上げた顔は営業スマイル、姿勢はぴっしりと外向き用、さすがはエイブロだ。兄は声をつまらせて顔を向きを変えるも、その先で断られている。面白いなあと一人笑っていると、最後に私の方を向いて泣きそうな顔っ面。

「ティ…」
「却下」
「ひでぇー!!まだちょっとしか言ってねぇじゃん!」

 あぁ、うるさい。ギャーキャー喚く兄を握りこぶしで勢いよく殴り、床に落とす。苦笑いする三人と私の中心で、一人兄さんはすすり泣いて辛そう。頑張れ、フォローはするぞ。そんな心にもなさそうな声を掛けられているのが、なんだか不憫だった。

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