第二幕『虚無の村』

 リベルテからフロンティール村に行く手段は徒歩しかない。幾つもに分かたれた細い道、繁る長い草が馬車の行く手を阻むそうだ。エイブロが持っている地図を見なければ、自分たちもその辺の道端で文字通り路頭に迷っていただろう。彼がかき分けた跡を辿って、四人はその後ろに続く。
  草原の合間で滴が飛び散り、耳を澄ませば微かにせせらぎが聞こえる。踏み越えた草の隙間に水が流れるのが見え、足元を何度も確認しながら歩けば、自然と足は大股になる。付いて行きながら注意することと言えばその程度で、後は先導する彼を信じるのみ――それが本来重たい足取りも軽くしていた。ふと滴が真上から垂れる、晴れていた筈の空を見上げると、顔端に冷たい小さな雫がまた一つ、頬を滑っていく。下へと垂れる雫を手の甲で拭い、フードを被ってまた足を進めた。
  目的地、フロンティールが辺境と呼ばれる所以はこの川にあるらしい。元々草が生い茂るだけだった空き地を有効活用するべく、農業に適した土を耕し、種を撒けば作物が育つよう整備して良い畑を作っていったという。そんな村に、エイブロは幼い頃世話になっていたのだとか。少しの間住んでいたという彼は、後に同じ酒場で働くことになる情報屋に連れられて出て行った。結果、帰ってきたら全てが焼けていて驚いたと。

「村のことなら何だって調べた、どうして焼けたのか、誰が焼いたのか――誰か生き残っていないか。何回も帰った、一番近いリベルテでも沢山の人に聞いた、それでも知ることが出来たのはほんの少しだけだった」

  何処か遠い場所を映す濃緑の瞳は彼らしくない色合いで、こちらの口も塞がる。進む足取りは相変わらず早いが、少年は近寄りがたい雰囲気を身に纏っていた。そんな彼が、徐ろに差した指先の向こうに草原の終わりと小さく黒ずんだ廃墟――どうやらあれが村に続く道のようだ。

「ティリス、置いていくぞ」

  思わず立ち止まっていると、横を銀髪の青年たちが通って行く。ふと吹き抜けた風が運んだものは、僅かな雨の匂いと慣れ親しんだ薪の香りだ。濡れた地面を踏み締め、厚く覆う雲の隙間から漏れたか細い光の下をくぐり抜けて彼等についていった。


  フロンティールは、またの名を虚無の村と呼ぶ。命が失われ、生きる糧さえも奪われた廃墟、それが現状においての村の姿だった。生まれてからの十七年間、これほどまでに強く居たくないと思うような場所に足を踏み入れたことはない。――草原から見えた黒ずんだ建物は焼け焦げて崩れた家、枯れた群草は煤にまみれた柵、全てから自分の知識にある姿が思い浮かばない。五人で村の奥へと進みながら、数年経っても変わらぬ惨状を目に焼き付ける。

「四十人程度の、普通の農村だった。ほとんど自給自足で外界とあまり接点もなかったよ」

  そう答えたのはこの村に住んでいた赤髪の少年だ、彼は苦虫を噛み潰したような表情のまま、歩き続けている。 何度も旅の途中で前線に立ってきた。魔物をこの手で殺すことも、死ぬところも見てきた。勿論立ち向かう人もそう、戦いの後に何人かを一緒に弔ったこともあった。だが、その人たちはまだ戦う覚悟があった人たちだ。立ち向かい、死と隣り合わせであることを覚悟した者たちだ。この村の人はきっと違う、こんな未来を想像することなどなかっただろうに、襲撃されたせいで短い命の先さえ奪われた。
  道すがら聞いた話、こんな姿になってしまった事の始まりは、隣国アルストメリアとの間で繰り広げられた"鉄の森"の領土の協議だという。森は現在西側をハイマート国領、東側をアルストメリアともう一つの隣国・フォブルドンの領地にしている。昔は旅人も行商人も行き交うような森だったが、今は魔物の住処となっていた。原因は魔法による事故らしいが、詳しいことはわからない。
  村はそんな揉め合いの騒動の最中襲撃された。原因は、協議の場を設けようとしたアルストメリアの、再三の要請を断った国王だと言われている。結果、村人は一人を残して全滅、その一人と兄たちは顔見知りらしい。情報屋である少年も知らないことらしく、珍しく彼が驚いていたことにこちらが驚いた。
  ついでに気になったといえば、兄はこの話が嫌いらしい。話そのものを拒否する姿は初めて見た気がするが、本人が特別何かを言うことはなかった。
  村に唯一ある通りを抜けていくと、初めて開けた場所へと出る。川を背にした広場のようだ、その中央には文字が掘られた石碑と豪華な花束――見ただけでも分かる、村人の墓石である。

「先に誰か来ていたみたいだな」

  真っ白なリボンで結われた大輪の花は、風に揺れて墓前を優しく彩る。先程の雨が溜まったのか、墓石の窪みに小さな水溜まりが作られていた。少女は手の甲で優しく払い、軽い手入れをし始める。それを見ていた兄が、手伝おうとしたのか花の近くへとしゃがみ、近くから覗き込んだ。雨で濡れた彼のマントが豪快にはためいて、所々についていた滴が空に飛び散る。

「こら、兄さん」
「あ、わりぃ」

  その瞬間、微かな違和感が頭を過る。少女の手と墓石には拭い切れない小さな滴、飛んできた飛沫の温かさ――駆られるようにしゃがみ込み、花束を持ち上げて確認してみた。やはりどこにも無い、他にはあるのにこの花束にはない。大きく広がる花弁、白いリボン、青々とした茎――新鮮さを際立てる花束が、むしろ奇妙な物へと変わる。

「皆、周りに人影は見える?」

  後ろの四人だけ聞こえるように小さく尋ね、自分は手持ちを確認する。兄や少女は慌てて辺りを見渡し、人影は見えなかったのか首を横に振った。少年はナイフを取り出して後ろの確認を、銀髪の青年もその表面を眺めている。不意に青年は前を向き、同じように声をかけてきた。

「何に気付いた」
「この花束、どこにも滴がついていません。雨が止んでから置いたのなら、本当についさっきのはずです。でも、私たち、誰ともすれ違っていない」
「――俺たちが来るよりも前に忽然と姿を消したか、水の中にでも飛び込んで流されたか。もしくは」

  そう言いながら、彼は自分のマントから小さな本を取り出してぺらりぺらりと捲り始めた。本の主な使用方法は魔法の媒体、魔法を使わなければならない時にしか使わず、使う必要のない時に出す物ではない。彼の行動によって、何も言わずとも皆が目的――敵の襲来に備えての行動に合わせていく。戸惑いながら黒髪の少女は腰紐から杖を、溜息をついた赤髪の少年はしまいかけたナイフをもう一度逆手に、兄は剣の柄に手を添え、自分も長い袋の紐を解いて槍を取り出す。
  この村の中は狭く、道のほとんどは濡れた木材に遮られていた。ほとんどの家が焼け落ちているせいか見通しも良く、人影が立てば確実に見える。それでも見えない、自分たちは誰もいない――けれども花束からして、それはありえないことだった。
  それぞれが視線を交わし、迎撃体勢が整ったことを確認してから、青年はその声を張り上げた。挑発する、嫌味ったらしい声を。

「俺たちが来たから隠れたか、攻撃しようと待ち伏せているかのどちらかだ」

  瞬間の出来事だった。右側にいた少女のその向こう、崩れた木材の陰から赤い光が連なって飛来する。彼女の近くにいた青年は銀髪を翻し、中途半端に開かれた本を向けて僅かに言葉を紡いだ。紫の光が想像より遥かに強い速さと正確さを兼ね備えて、魔素は大きな壁となる。

「【雷の壁】」

  少女の眼前に現れた紫は、次々と迫る赤を弾き、空へと魔素として飛散させる。赤は火属性の魔法、紫の魔法は青年の得意な雷属性の魔法だ。どちらも殺傷能力を持つ、攻撃魔法用の属性と言っていい。そんなもの同士をぶつけ合うような場面に遭遇したのは、学生の頃以来だろうか。
  魔法以外の攻撃に備え。彼女と木材の合間に滑り込んで体勢を整える。すると今度は後ろから剣戟――人影が飛び出してきて、兄に大きく斬りかかる。谺する金属音がやけに響いて、その強さが彼の顔に驚きと焦りの色を滲ませたようだった。じりじりと地を削りながら後退していく足取りはかなり重く、相手の強さを垣間見る。

「【土の牙】!」

  少女の杖が茶色の光を灯し、空に高く突き上げられると同時、円錐を象った光が六つ出現する。茶色は土属性、他とは違い魔法に硬さを付与する不思議な属性――なんだここは。まるで魔法の見本市かのようだ、こんなに属性がばらばらなんて今まで見たことがない。
  後ろで浮遊する魔法は彼女の号令に合わせ、交戦中の剣士の後ろ側へと飛来していく。人影は一歩後退し、土埃を巻き上げる光を切り伏せた。瞬間、操り手の少女だけではなく、場の全員が驚愕する。いくらなんでも、普通の剣士の、普通の片手剣で簡単に切ることができる代物ではない。
  思わずこちらを諦めて加勢しようか、という所でもう一つ、自分の眼前から人影が現れる。フードを目深に被った人影、がたいの良さからして男に間違いない。魔法を使っていたと思われる男性には、仄かに赤く光る片手剣。だがその長さは一般的なものよりも短く、ナイフをそのまま少し伸ばしたようなものだ。思い返してもあまり見かけることはない、特別製の魔法器具か。どちらにせよ、連なって飛んだあの魔法の量からすると、かなりの実力者だ。
  兄と対峙する人影もまた、目深に帽子をかぶっている。こちらも男に間違いない、あの腕で女性だと言うのならば、知り合いの男性騎士は皆悲鳴を上げるだろう。
  そう、想像にもしていなかった緊急事態だ、いくら旅人の経験を積んだメンバーと言えども、はっきり言ってここまで強い敵と遭遇したことが無い。だからこそ、こんな初盤で苦戦しているのだ。そう、思うしかなかった。
  ノウゼンさんがフードの男へ矢を放ち、距離をわざと取らせる。だがその合間に、地を強く蹴った音に振り返ると、兄が上段で切り下ろされた剣を押し返すところだった。数歩では足りない距離の間合いを一瞬で詰める勢いと脚力、少女が魔法を放っても慣れたように避ける判断力――兄では勝てないと一瞬にして悟ってしまった。

「ティリス!」

  余所見をしている場合ではない、少年の言外の注意に思わず身体が反応する。飛んできた炎を既の所で回避し、魔法使いへと接近し攻撃を仕掛けようか。しかし、槍を振るうも軽やかにかわされ、舌打ちをした。反応が早い、やはり自分だけでは厳しいか。後退した彼へ大きく横薙ぎして距離を取らせようとするが、魔法剣で防がれ内心焦った。少年には既に追撃の合図を送ってしまっている、僅かに身体を硬直したそのタイミングを狙ったかのように、男の唇が動いた。
 間近に迫るフードの下、薄暗い影から聞こえたその呪文に、本能的に左へ身体を捻る。すぐ右側を通り抜ける赤の光と、炎属性特有の熱さに顔を顰めた。後ろまで一直線上に狙った魔法、しかし少年もまた避けていたためか、被害はなさそうだ。
  今度は自分から距離を取りに行く、防御用に槍を前方で構えて――しかし、次の瞬間強く弾かれて大きく体勢を崩す。赤い剣がつきつけられ、再び唱えられた呪文――間違いない、初級魔法の【火の玉】だ。避けようにも崩されて足がもつれ、逃げられない。
  反射的に目を閉じて、数秒。ぎぃんと鈍い音が目の前で弾けて、そのまま地面へと倒れこむ。魔法が中断されたからか、魔法使いに初めて焦りが見えた。
  槍を使って立ち上がり、なんとかゆっくり後退する。退治する男の足元には見覚えのある彼の小ナイフ――少年が助けてくれたのだ、どうにか彼に向けてありがとうと合図を送った――残念なことに、それで終わらなかった。息をつく暇すら与えず、宙へ炎を灯す男はくすりと笑う。呪文に対する速さ、量、最早普通の魔法使いと称するのは無理だ。この男は、ノウゼンと同じ道を極める種類の魔法使い、少なくとも研究者向きの高度な魔法の使い手だ。

「ノウゼンさん、援護してください!」
「っ今それどころじゃない!」

  いつも冷静なノウゼンさんが怒鳴り返す形となり、思わず二人揃って後ろを向く。その聞き慣れない怒鳴り声に何事か、と。
  後ろの戦況は更に複雑なものとなっていた。銀髪の青年が本を向ける先は敵ではなく兄、灯る光は相変わらず紫色だが、細く伸びた光は癒やしの力を纏っている。魔法使いと攻防戦を繰り広げたほんの少しの間に、兄さんが何ヵ所も怪我を負っていたようだ。回復してもらいながら兄は相手の剣を受け止めるも、怪我のせいで思うように動けていない――当たり前だ、回復魔法は傷を完全に癒せるわけではなく、痛みを和らげたりするだけの魔法でしかない。更に、魔法を使えても同時に全ての箇所の痛みをとることは出来ず、結果的に一つの怪我の痛みを取る間に他の怪我が増えていくに違いない。それでも今こうして全員倒れずに耐えているのは、呪文の一部を省略できる高速詠唱が使えるノウゼンさんと、少女の攻撃魔法があるからこそ。しかし、その余裕も少しずつ削られてきているのは、端から見ても分かった。
  また一つ、受け損ねた一撃が兄の右手をかすり、手袋の表面から赤い雫を垂らす。まずい、彼等が先に倒れるかもしれない。かといって、目の前にいる魔法使いを放っておくにもいかない、先にこちらを倒しきるか、いっそエイブロか私だけでも兄達の手伝いに行くか――悩んでしまったのが、致命傷となることも知らずに槍先を迷わせたまさにその時だった。
  自分の槍の下側へ一気に接近してきた魔法使いに気付き、すかさず相手の剣を受け止める。だが、無理な体勢から受け止めたせいで、剣で抑えこまれたとすぐに気付くことが出来ない。魔法使いの後ろにはすでに火の玉が準備され、おびただしく浮かぶそれらは号令を待つだけだった。私の槍を弾いて後方へと飛ぶと、魔法は飛び出し、何個かだけ私をかすっていく。何故外したのか、通りすぎてから魔法使いの狙いに気づいた剣士の相手に集中する兄さんと魔法の詠唱に集中する少女、二人に魔法が向かっていく。
  少年が素早く抜いた大振りのナイフで、追い掛けて炎を散らす。青年が回復魔法を中断して魔法を相殺していく。それでも、それでも、まだ火の玉は消しきれずに残っていた。少女が私達の動揺に気づいて後ろを振り返り、飛来してくる魔法を瞳に映した。

「しゃがめ!」
「え?あわわぁっ?!」

  怒声に彼女は、しゃがむというより地に滑るように伏せて何とか魔法を回避する。頭上をすれすれで通りすぎた魔法はその先、戦闘中の兄さん達に向かった。まずい、そうは思うものの、前に集中していて気づかない兄へと向かう魔法は、誰も止めることはできない。剣士は魔法の接近に合わせて兄の剣を一際大きく弾き、体勢を崩す――最初からそのつもりだったのか、迷いは一切見られなかった。既に迎撃体勢に入った剣士はともかく、兄は踏みとどまるのがやっと――防御が間に合わない、魔法を唱える隙もなく、赤は彼に飛来していく。迫る気配にようやく兄が気づいて振り向こうとした時、兄の右肩に赤い光の塊が大きく掠ったように見えた。剣を意地でも離さなかったようだが、それでも受けたダメージは大きかった。
  苦痛の表情と共に兄さんの剣を握る力が弱まったのだろう、剣士が身を低くし、剣を横へ大きく反動を付けた直後。剣は遥か高く晴れた空の宙を舞う。
  剣が地面に落ちる音によって辺りは静まりかえる、ゆっくりと剣士は兄さんの首筋へと剣を添えて、動かない。残りの四人も動けない。動けば、きっと誰よりも早く剣士は兄さんの命を奪えると、よく分かっているから。どうする、こういう場合はどうすればいい。一歩も動かずに固まっている皆と何とか視線を交わそうとした時だった。

「…… とまぁ、苛めんのはこんくらいにするか」
「へ?」

  呆けた声に皆の顔が上がる、剣士は兄の首筋から剣を放し、一度軽く振るってから腰の鞘へと戻した。土を踏む音に後ろへ首をひねると、先程の魔法使いが私達に近寄ってくる。魔法使いは目深に被るフードの縁に手をかけ、優しく話しかけながら、一気にそのフードを後ろへ引き上げて笑う。

「お前らはともかく、ガディーヴィに気付いて貰えなかったのは残念だな」

  同時に、兄の前にいる剣士もその帽子を外して投げ捨てる。すると、鮮やかな短い金髪が魔法使いのフードの下から、黒みを帯びた焦げ茶の髪が剣士の帽子の下から現れた。兄とノウゼンさんはその姿に目を見開き、何度か瞬きを繰り返す。そして、正体を現した二人の男性を見て、自分もただ呆然とその場に立ち尽くすことしかできなかった。
  ――薄い緑の目を笑みに変えながら、金髪の魔法使いが軽く手を挙げる。綺麗な木漏れ日色の瞳は鮮やかに、優しい色合いを帯びていく。まるで太陽の光のような髪が風邪に揺れていつものように綺麗だと思った。

「よ、久しぶりだな」

  ――暗い蒼の目を細めながら、茶髪の剣士は髪を後ろに撫で付けて整えた。深い水底のような瞳はいつもキリリとしていて、そのかっこよさと性格から皆の人気者だ。

「元気そうで何よりだぜ」

  どちらも先程の戦いを行った人とは思えないほど言葉も行動も軽かったが、それでも慣れた気配が戻ってくるようで状況が整理出来てくる。世話にもなったし、この先一生忘れてはならないであろう二人、そんな人たちを反射的に指さしながら大声で叫んでしまった。

「先生!?」
「はぁっ?!」

  先生達は私達の行動を見て豪快に笑いながら、その光景を見守っていた。実に楽しそうに、笑って見ているだけだった。


「いやぁ、まさか攻撃体勢とられるとはなぁ。そりゃこっちから攻撃したのが悪かったんだろうけどさ。途中で気づいてくれんのかと」
「す、すみません……」

  墓前で先生達の笑い声と軽快な声が響く、空は見事に晴れ渡り、先ほどの雨の匂いもほぼ消えたらしい。しかしそんな爽快な景色とは裏腹に、私と兄とノウゼンさんは直立不動状態を保っていた。学校で説教された時の癖だ、四年間で染み付いた体勢はそう簡単に崩れない。説教めいた口調で話す茶髪の先生の話を、暗い気持ちで聞きながらただひたすら謝る羽目になっていた。後ろで置いてけぼりになった少年は少し胡散臭そうに、同じく話に交われない少女はおどおどしながら聞いているようだ。

「まー、しゃーねーな。き・づ・い・てくれなかったもんなぁ?しかもよりによって一番弟子のガディーヴィでさえ」
  兄が金髪の先生からの嫌みに言葉を詰まらせる、二人の、嫌みという名の追及に耐えられなかったのか項垂れていく。兄はびしっと姿勢をただしてから先生二人に頭を下げて、大声できっちりはっきり謝罪を述べる。あまり申し訳ないという気持ちは実際にはないのだが自分も、隣で顔をひきつらせる青年と目を合わせてから、一緒に頭を軽く下げる。

「ごめんなさいっ!」
「申し訳ありませんでした」

  半ば強制的に謝らせた当の本人達は別にいいって、と軽く手を振る。彼等が先生ではなくただの知り合いならば、頭を下げることも謝罪の言葉をいうこともなく、むしろ今すぐにでも槍で攻撃していただろう。気づいていたなら一言くらい言って欲しかった、危うく死を覚悟しかけた。
三人で焦ったりぶすくれていると、除け者にされていることに耐えかねたのか、エイブロが小さな呟きが漏れる。それはもう、呪詛の言葉にしか聞こえないほどの暗さを持って。

「生徒だって分かってるんなら攻撃するなよ」
「聞こえてんぞ、そこ」
「何の話でしょう」
「棒読みやめろ。わざとらしすぎる」
「えー」
「ま、攻撃したのは、ほらあれだ。一種の愛情表現ってやつ?」
「やな愛情表現だな、おい」
「おっと、随分嫌われたなー」

  元々細かったエイブロの目が更に細くなり、あからさまな舌打ちをしてそっぽを向いた。本格的に先生達を嫌ってしまったようだ。私達との初対面の時はとても丁寧な挨拶をしてくれたのに、今だってそんな素振りを一切見せない。

「ええと、エイブロ?」
「あーいう冗談がきつすぎる人は超!がつくほど嫌いなんだ。最初の挨拶くらいはまともにしようかと思ったけど、話聞いて取り繕うのも面倒臭くなった」

  彼の言葉に苦笑しながら、先生たちは立ち上がってまたくすくすと笑う。見れば、睨みつけるエイブロの視線が彼等に向いていた。手を差し出そうと金髪の先生は動くが、その視線の強さにすごすごと手が帰っていく。

「自己紹介がまだだったな。コルペッセだ。学校ではこいつらの魔法実技を担当してた」
「俺はルーフォロ。学校ではこいつらの武術実技を担当だった」
「コルペッセ先生は魔法の師匠、ルーフォロ先生は剣の師匠だぜ」

  ルーフォロという名前が出たとたん、一瞬エイブロの表情が変わったことを見逃さない。少しだけ視線を反らす動作、名前を聞いて何か思い出したようだ。コルペッセ先生の名前の時も微妙に反応していたが、ルーフォロ先生の方には心当たりがあるのかもしれない。一方少女は頭を下げ、二人に自己紹介した。

「ユティーナと言います。隣はエイブロ。二人で情報屋をやっています」
  先生達は少女の花の笑顔によろしくなーと軽く言い、今度は目を丸くする。顔が忙しい先生達だ、まったく。エイブロが久しぶりの営業スマイルを見せて近づいていく、先生の引きつり笑顔ははっきり言って見ている分には楽しい。

「ねぇ?情報屋の俺に正しい自己紹介をしないなんて、ふざけんのも大概にしろ?」
「ちょっとまて、お前、さっきと雰囲気違いすぎだろ。どこいったさっきの優雅な態度」
「冗談で攻撃してくる人に遠慮はいらないと思ったんで」

  この三日間で分かったことが何個かある、その一つはエイブロが営業スマイルをする意味。嘘は言っていないが、この先生達は大事なことをあえて言っていない、彼はそれについて言及している。更にこの村へ彼等が何故いるのか、その答えは、二人が言っていないもう一つの職業が関係している。
兄が迫るエイブロを止めようとするも、ノウゼンさんが肩を掴み、首を横に振った。止めないで何を言い出すのかと思いきや、その答えは意外にも彼らしいもの。

「今回は先生が全般的に悪い」
「ひでぇっ!!お前をそんな風に育てた覚えねぇぞ!?」
「育てられた覚えは充分ありますが」
「ぶっ!あははははっ!!」

  先生がノウゼンさんの言葉に反論するも、全般的に同意見だからか誰も見方をしてあげる事が出来ない。この先生達は生徒からの人気が非常に高いのだが、ノリが良すぎるというか、悪ノリしすぎる性質があるのだ。そして、間違いなく今回は彼等が悪い。わざとらしくため息をついてから、ノウゼンさんはコルペッセ先生の爆笑する声を背ににやりと笑う。なんとまあひどい生徒もいるものだ。

「分かった分かった!ちゃんと言えば良いんだろ?」

  観念したように先生は手を上げ、解放されるなり服の乱れを軽く直す。ルーフォロ先生がコルペッセ先生を手招きすると、先生がゆっくりとすり抜けていき耳打ちを受けた。何事か話し合い、お互いに頷いて、コルペッセ先生とルーフォロ先生は並んで面に向かい合う。そして、今までのだらけた声から一転、真剣な声が響いた。

「ギルド・インペグノで間違いないな?」
「はい」

 まだ名乗っていないギルド名が呼ばれ、空気が一気に変わる気配を肌で感じる。反射的に答えると、ふと小さく先生達は笑って姿勢を正した。先生が右手を胸に当て、足を少しだけずらし、ゆっくりと丁寧にお辞儀する――エイブロが私たちと初めて会ったときに使った、そして騎士達や貴族達が使う正式な礼を。

「先程は失礼をした。私達はハイマート王国から派遣された者だ」
  ハイマート王国、という名前が出ただけで緊張が走る。そう、この二人の職業は学校の先生だけではない。むしろ学校の先生は副業であって、本業は城勤め。

「私はハイマート王国国立神官団所属、第2神官のコルペッセ・スクレプリア」
「ハイマート王国国立騎士団所属、第2師団長、ルーフォロ・コンステラシオン。君達に依頼説明をするように拝命された」

  城の使者――しかも国の中枢を担う、国立騎士団と国立神官団の中でも団長と副団長に次ぐ高位の者。学生時代から知っていたが、こうして改めて聞くとあまり信じることができない。見目と釣り合わない城の使者代わりの先生二人はもう一度、優しく微笑んだ。そして、直後ゾクリと背中を撫でる急な冷気を感じた。前を凝視する、目の前にいるのはさっきまで冗談を言い合っていた先生ではない、微笑んでいた筈の顔はすでに無くて、代わりに剣の切っ先にも似る真剣な顔がそこにある。あくまでこの二人は城の使者、そう理解させるだけの雰囲気が場を占め、体は自然と強ばっていった。

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