第三幕『白亜の城からの来訪者』
村の中を吹き抜ける風が異様に冷たく感じる。こんなに緊張したのは、いつぞやの入学試験以来かもしれない。ギルドは図らずも横に並んで、先生――使者の言葉を待っていた。
「依頼内容はアルストメリア王国とフォブルドン共和国の調査。国内全体の様子、特に、魔物の様子を見てくることが主な仕事だ」
使者の一人、焦茶色の髪を持つ騎士が服の中から手紙を取り出し、丁寧に封を切っていく。その封筒は見たことがある、協会長も時々持っていた、王城からの通達だ。几帳面に折り畳まれた紙を広げ、文面に目を通す使者の顔は相変わらず真剣である。
「国としては、国内での異変の原因が全く見つからなかったため、フォブルドン共和国とアルストメリア王国で何らかの異変があったと認識している。調査過程で異変についての原因がわかれば、その場で取り除ける範囲内で動いてほしい。まずは渡すものがある。ここは……君に渡そうか」
無言で待つ私たちに視線を合わせてから、神官はマントの内側から細長い青の筒を取り出す。騎士の視線を受け、彼はエイブロへとその青い筒を渡した。少年が首をかしげながらもそれを受け取り、筒を開けて中に入っていた紙を伸ばすと――彼の、明らかな動揺する声が聞こえた。
「……っ、これ、まさか」
「アルストメリアとフォブルドンの地図だ。極秘のため、ギルド以外の人に見せることは禁じさせてもらう」
言葉の内容に兄やノウゼンが後ろを振り返って、少年の手元を凝視した。つられるように思わず、自分も彼の手元を覗き込む。
そう大きくない紙の上には何本も線が引かれ、大体の距離、徒歩での移動時間といった事細かな詳細が至るところに、所狭しと言わんばかりに描かれている。他国の知らない地図、恐らくこれが協会長の言っていた「情報」なのだろう。使者の言葉もどこか念を押すような響きを持っている。しかし、騎士が一番聞いてほしかった相手であるはずのエイブロは――
「すげぇ……何年かかったらここまで書けるんだ……」
自分の世界にすでに浸っていた。目は爛々と輝き、声も聞こえていないのではないかと思うほど熱中している。その行為に呆れてか、今まで無表情だった使者たちの顔の眉が突然寄った。
とはいえ、エイブロの気持ちがわからない訳ではない。敵国の地図など滅多にお目にかかることのない物同然の代物。ただでなくても国内の地図が貴重品であるのに、こんなもの、ギルド以外の人に見せることができる筈がない。この地図が不用意に盗られでもしたら、情報漏洩をしたとして国が私たちを捕まえに来るだろう――盗られたら赤髪の少年が意地でも取り返しに行くだろうが。
「オホン。また協会のエスペラル支部にはある程度の雑費を渡しておいた。武器などの修理費用はそこから……」
「おしっ、じゃあエスペラルで早速修理だな」
騎士の説明を遮り、兄がノウゼンへと輝くような目で話しかけた。先生二人の眉間があからさまにキュッと寄る。兄の笑顔と先生たちの怒り顔の間に置かれたノウゼンは、前を向いたまま遠慮なく兄の頭に手刀を落とし、見事黙らせることに成功。かなり強い力でやったのか、ドスッ、と鈍い音が聞こえた。
「あだっ!なにしやが……」
「立場をわきまえろ、このバカ」
反論しかけた兄に、有無を言わせない青年の言葉が突き刺さる。今のは兄が悪い。頭をさすりながら黙る兄を一瞥してから、大きく咳払いをして騎士は言い直した。
「……オホン。修理費用などはその雑費から出してもらうといい。では注意事項だ。コルペッセ神官、頼む」
使者たちが視線を交わし、お互いに合図をとる。騎士の隣から一歩踏み出し、神官はほんの少し間をおいてから話始めた。
「……君たちに、休戦中ではあるが敵国に行ってもらうことになる。今回の依頼はれっきとした異変調査だ、あまり隠さず堂々としてほしい。また、向こうでの行動の際、疑われるようなことは一切しないように。一つの例として、フードは被らないことをお勧めする」
「質問です、何故フードを被ってはいけないのですか?」
「疑われる原因の一つだからだ。過去にフードを被っていたハイマートの者の一人が、商業のために訪れたフォブルドン共和国の首都スクラトゥーラで捕まっている。何とか野営地まで帰ってはきたが、体の至るところに切り傷や擦り傷があって全治2週間以上の怪我だった」
全治2週間以上の怪我、という言葉に場が一瞬で張り詰めた。フードを被っていただけで捕まり、商業のために訪れた者が怪我を負わされる。過去に戦争をするほど関係は悪化している、とは考えていたが、そこまで悪いと思わなかった。
「万が一向こうで拘束された場合、命の保証は出来ない。本当に危なくなれば全力で逃げてもらうことになる。……最後に一つ。生きて帰れ。何に置いても、これだけは絶対に守ってくれ。多少の無茶が必要なのは分かっているが、君たちが死ぬことは国も望んでいない」
「……先生」
神官の、あまりにも真摯な眼差しに思わずたじろぐ。静かすぎる沈黙はとても長く感じた。生きて帰れという言葉に秘められた思いは、話を聞いただけで簡単に理解することは出来ないほど重いものだと、私たちの心に刻みこむように。
「君たちに渡した地図は、たくさんの犠牲を出した上でようやく作られた地図だ。決して無駄にしないでくれ、頼む」
そう言うと、神官がゆっくりと頭を私たちに下げた。エイブロは俯いて地図の両端を握りしめる――彼が今持っている地図は、次に敵国を訪れる者が迷わないように、死なないように、多くの人たちが命懸けで積み重ねてきた道しるべだということだ。
「……暗い話をしてすまなかった。以上で城からの伝言は終わりだ。ここからは個人の話」
「個人、ですか?」
「まずは説教からかな」
そう言って、神官は頭を上げて微笑む。付け足された言葉に疑問を感じたらしいノウゼンが、姿勢を崩し始めた二人の使者へ尋ね、騎士の説教という単語に兄がゲッ、と身を引く。城の話題より前に話していたのはほとんど説教のようなものだったではないか。しかし個人という割にはその眼差しの強さは一つも変わらず。神官は長くため息をつき、私たちを見渡しながら言った。嫌な予感が、する。
「お前ら、さっきの戦闘状況を振り返ってみろ。魔物ですらない俺たちが何を使ったか。どういう行動をしていたか」
「……どういうって、」
「俺が打ち合ってるときに一度でも技らしい技、使ったか?」
騎士が同じようにため息をついて兄を見る。あ、と思い出したように小さく声をあげたあと、兄は先生たちの視線にだまりこんだ。そういえば彼等は技を使っていない、先生はただ、兄と打ち合っていただけだ。常に優勢にいた先生が技を使う暇など沢山あった筈だが、何となく理由は察しがついた。使わなかったのは私たちの実力を試すためか、あるいは……。
「ティリス、エイブロ。俺が使った魔法の中に中級以上の魔法があったか?」
「……ありませんでした」
「なかったです」
神官が私とエイブロを交互に見て、言葉を続ける。二人揃って首を横に振りながら、悔しさにマントの裾を握りしめてしまった。騎士と神官が本気を出さなかったのは、出してしまったら私たちの相手など、一瞬で終わるから。
「初級魔法と基本剣技。その程度でまだ苦戦してるようじゃまだまだだな。向こうの魔物が手加減してくれるとでも?」
「それは!……それは」
少女は言い返そうとするも、彼女へ注がれた二人の視線に二の句が継げないままだ。確かに奇襲みたいなものだった、迎撃できるだけの体勢も整えることはできなかった。しかしノウゼンの攻撃によって先生たちとの距離を充分に空け、迎え撃てるだけの体勢を整えてから戦闘を開始した。……その体勢を整える時間ですら与えられたものだったのかもしれない。何はともあれ、ほぼ最初からやり直した状態ですら、私たちは手加減した先生たちに勝てなかったのだ。
「個人的なところをいくと、ガディーヴィ」
「は、はい!」
「最初の受け方は良かったが後がぐじゃぐじゃだ。重さに耐えるだけなら鎧着てるやつらの方が強いぞ。剣士なら早い攻撃にも耐えなれなければダメじゃねぇか。それに何だあの集中力。後ろから来る魔法にも呼び掛けにも気づけないなんて。お前一人で戦ってるつもりだったのか?」
止まることなく話すその口調は、重く重く突き刺さる。指摘する部分も全くその通りで、兄は視線に耐えきれなかったらしく口を完全につぐんだ。騎士は項垂れる兄から視線をそらしかけた青年へと視線を移す。
「それからノウゼン。最初の魔法の発動は良かったかな。ただ、回復魔法の間が悪すぎる。折角の高速詠唱なのに手間取ってどうする。それならユティーナの嬢ちゃんに任せず攻撃するべきだった。お前の得意な雷魔法はなんと言っても魔法が敵に向かっていく素早さがいい。お前はそれを全く活かしきれてないじゃないか」
「……仰る通りです」
ノウゼンは先生の視線から目をそらし、小さく呟いた。前から彼は「回復魔法は便利だが扱いにくい」と言っていたが、こんなところで裏目に出るとは思いもしなかっただろう。騎士は魔法の先生ではないが、青年の魔法の特性をよくわかって指摘していた。
「ユティーナの嬢ちゃんも。距離をとらせるために足元へわざと攻撃するのは良い。そのあとの戦闘は駄目だったな。魔法は発動してから消えるまでに制限時間がある。とりあえず発動させてからタイミング合わせてるようじゃ消えちまって役に立たない。それからおんなじ魔法ばっかだからすぐに目が慣れる。後半は魔法が来ても驚かなかったな」
騎士はユティーナにも話しかける。戦闘中一番焦っていた彼女は、ついに一度も「歌」を使うことはなかった。結局一種類しか使わなかったし、魔法のバリエーションはあまりないのかもしれない。黙りこんだユティーナへ視線を一度合わせてから、神官は騎士の後を継ぐように少年へと話しかけた。
「エイブロ。魔法の中断は中々良かった。ただそれだけの腕を持っているのならわざわざティリスの後ろで待つ必要はなかった。俺なら敵の後ろがわに回り込んでタイミングを合わせる。あと注意力散漫しすぎ。場を全体的に見るのは良いことだが、反対に目の前の敵を見ていないことが多かった。連携出来てないし」
「……痛いところつくな」
ぼそっと呟いたエイブロは、認めざるを得ないように頷いた。確かに彼の戦闘時の位置的には、全体を見る役割ではなく、神官と対峙する方だった。
そして、神官がこちらを見た瞬間、一番厳しい評価を覚悟する。
「で、ティリス。魔法を避ける動作や攻撃されたユティーナの前に割り込むのは良かったよ。だがその後は余所見するわ注意されるわ、何やってんだ。しかも魔法使えるのに魔法使わないってどういうことだ。あの数の魔法を普通の攻撃で凌げるとでも思ったのか?甘すぎ。今まで倒せる敵だけを倒してきた感じだな」
予想以上の評価にぽっかりと胃に穴が開きそうだった。特に一番最後の「倒せる敵だけを倒してきた」という言葉は、戦う者として聞きたくもない。要するに、向上心がないと言われていることと大差ないからだ。
「……例えば、さっきの戦闘で俺が中級・上級の魔法を使ったり、ルーフォロが技や魔法を使っていたとしたらもっと早く決着ついてたかもし」
「じゃあやってみてくださいよ」
神官が不意に発した言葉を遮り、エイブロはかなり低い声で彼等を睨んだ。背中をゾッとさせるその声は、止めようと思って声をかけようとしても、迫力が凄すぎて話しかけることができない。こんなところでまた戦うのかと、騎士はそう言って止めようとしたであろうそのとき。
「いいぜ」
「おい」
目を細めた神官はエイブロの誘いに乗った。騎士が神官の方を向いて歩き出そうとしたその肩を掴む。神官はバシンッと音が聞こえるほど勢いよく騎士の手を払い除け、エイブロの元へ歩きながらあの魔法剣を鞘から抜いた。
「ルーフォロ、下がっててくれ」
騎士は頭を抱え、止めても無駄だと分かったのか、一緒に下がるように手招きする。手招きに応じ、ノウゼンや兄が騎士の隣に歩いていった。ユティーナは少年が心配なようで、二人の方を振り向く――しかし、止めても無駄なのはわかっていたらしく、すぐに騎士がいるところまで下がった。
村の南を一度見てから、少年は神官の前でナイフを鞘から出す。少し腰を落としながら、胸元で逆手に持ち変えて横向きに構えた。
「――気高くも儚い赤き焔の支配者よ、汝の手に抱かれし灯火を我が小さき剣に宿らせ、立ちはだかる敵を焼き尽くす刃となれ!【炎の膜】!」
空を焦がす赤い光、エイブロのナイフへと集まり、纏いながらも大きく揺らめく。魔法の呪文はその道で学んだものなら誰でも、内容さえ聞けばどんな魔法か分かってしまうため、呪文は聞かれないように小声で唱えるのが普通だ。しかし、彼はわざとらしく声をあげ、その中身をさらけだしていく。エイブロが唱えたのは魔法の中でも少し難易度が高い、武器に魔法を纏わせる「付加魔法」のようだ。自分の武器に合う魔素を変換しなければならないため、扱いが難しく、出来たとしても方向性を付けられないため、維持するのが難しい。その魔法を使う辺り、エイブロは短剣使いだが魔法使いとしてもやっていけるだけの実力を見せていた。しかし妙だ。エイブロの得意分野は後衛からの攻撃なのに、この魔法は完全に前衛向きのもの。本人はリベルテであんなに前衛を嫌がっていたが、今はどう見ても前衛に慣れた行動をしている。
「ほぉ……よっぽど接近戦に自信があるようだな」
神官がそう言った瞬間、エイブロは燃え上がるように光が揺らめく刃を片手に切りかかる。神官はその刃を軽々と剣で受け止め、二人は騎士と兄がしたように切り結んでいった。今まで見た中で一番の早さと強さ、少年は神官に詠唱をさせないつもりだ。……そう思っていたし、エイブロも思っていたに違いない。派手に切り結びながら、余裕の笑みを浮かべる神官を見るまでは。
「さっき呪文が丸聞こえだったな。お礼にこっちも聞かさせてやるよ」
この戦いの中でできるはずがないと誰もが考えただろう。しかし、先生のその余裕は決して負け惜しみなどといったものではなかったのだ。ほんの一瞬の空気の揺らめきが周りの魔素を、震わせる。
「"Vetus flammis aeternum expectamus"」
「っ!!」
ノウゼンや兄が目を見張り、隣ではユティーナが杖を強く握りしめた。騎士だけが何事も無かったようにその光景を見守り続けている。私たちが使う言語とは全く違う言葉が、古い詩の旋律の一節のように聞こえた。ユティーナの歌と同じ、古語。発音することが難しく理解も難解だが、使用できれば通常の三倍は優に越えるだけの力を秘めた言葉。神官の、国立神官団の限られた7人に入る実力を今、自分たちは目の当たりにしていた。
「ignis gaberin(【聖火の槍】)!」
剣を振り上げる神官の背後、か細い黄色の光が何十と出現し、同時に赤色の光がその周りを纏う。光属性、火属性、同時に二属性の魔法を混合させて発動させたのだ。二属性混合の魔法なんて簡単に使えるものではない、もうこの人の実力の天辺が分からなくなってきた。
エイブロをナイフごと押し退け、神官が剣を少年の眼前へと突きつけると、炎を纏う針が数本同時に彼へと飛来する。エイブロはその内の何本かを弾くも、全てをナイフ一本だけで対処できる訳もなく。
「エイブロ!」
「大丈夫かっ?!」
攻撃をまともに受けてしまったエイブロにユティーナと兄が叫ぶ。派手な音が鳴り止み、砂埃がようやく晴れたそこは魔法によって抉られた地面。そしてその中心にかろうじて立つエイブロは、兄よりも酷く怪我をしていた。むしろあれだけの攻撃を受けて踏みとどまり、その場に立っていること自体奇跡だ。裾は破れ、袖は裂け、短いマントの生地に赤が滲み――それでもエイブロの目の光はまだ強く灯ったままだ。神官が剣を下ろし、軽く一振りしてから肩で息をするエイブロへと話しかける。
「威力はだいぶ落とした。本気でやらなかっただけありがたく思え」
「これでっ……威力落としたって言うのかっ……」
彼は息も絶え絶えに、頬を走る一筋の傷から垂れる赤い血を、ナイフを持たない右手の甲で拭いつつ、もう一度逆手でナイフを構えた。まだ神官の後ろには魔法が数十も残っている。それをエイブロはふん、と鼻を鳴らし、挑発して全て使わせようとしていた。
「……本気でやったらどうです。俺はまだやれる」
「どうなっても知らねぇぞ、ガキ」
神官が剣を躊躇いなくエイブロへと突きつけると、残っていた魔法が全て同時に飛来する。エイブロは魔法の接近に身を低くし、横へナイフを大きく凪ぎ払った。ナイフによって弾き飛ばされた赤い光の針は色々な場所へと散っていく。
そのうちの、一本。無理矢理弾いた魔法の中の一つが偶然か必然か、エイブロの斜め後ろ、焼き焦げて積み上げられた木材へと向かっていく。魔法はまだ、消えていない。古語詠唱で強化された魔法がたとえ小さくても、木材の山に突っ込んでしまったら、
「やべぇっ!」
騎士の呟きに、場にいた全員が魔法を消そうと動き出す。しかしその誰よりも早く、一番遠くにいたはずの神官がエイブロを強引に突き飛ばし、魔法と木材の間へとに自ら躍り出た。体勢も整わぬまま剣で魔法を弾き返すと、神官は膝からその場に崩れ落ちた。
同じく地面に倒れたエイブロの元へ駆け寄り、手を差し出して少年を立ち上がらせる。神官には騎士が駆け寄って立ち上がらせようとする。エイブロは戦いを放り出した神官に文句一つ言わず、いきなり頭を下げた。神官はその様子を見てか、騎士の手を借りて立ち上がるやエイブロの方へと早足で近寄り、突然両手で彼の襟を鷲掴みにする。
「今のわざとだな?!村に何かあったらどうするつもりだった!」
わざと、という言葉に全員が固まる。まさかそんな筈はと思いたいが、エイブロほどの実力があれば狙うことは可能であった。現に、神官の言葉をエイブロは否定しようとしなかった。
「貴方が止められないなら俺が止めていました」
「反論しねぇってことは、」
「だって、村を傷つけるなんて出来るわけがない。俺も、貴方も」
「なに、言って……」
「戦闘中ずっと不思議に思っていました、木材に魔法が飛ばないように調節していたことが。貴方ほどの実力がある人が、俺の攻撃にわざわざ魔法を中断せざるを得ないなんて、おかしいと」
「っ……お前」
神官の呟きに、赤髪の少年は目を逸した。いまひとつ要領の得ない言い方だが、エイブロが言っているのは先の戦いで私を助けた時のことのようだ。あの場面で彼のナイフによって集中力が途切れて、神官の詠唱が中断されたのだと思っていた。しかし、考えてみれば打ち合いの中で魔法の詠唱が出来るのならば、あれくらいの攻撃に詠唱は中断されない。
「……貴方ですか?この村の、生き残りは」
エイブロの質問に思わず神官の方を見てしまう。神官は、驚いたようにエイブロの顔を見つめて襟をつかんだその体勢のまま。否定しないところを見ると、どうやらエイブロの「神官がフロンティール村の生き残り」という指摘は正しいらしい。ノウゼンと兄が目をそらしたのも納得できた。
「お前、何で」
「…………ごめんなさい、俺が、いれば……襲撃された時にいれば」
そう言って、エイブロは目を閉じていた。傷は浅かったのか、すでに血が乾き始めていた頬を伝う滴を拭おうとはせず、ただ静かにエイブロは泣いていた。
(――久しぶりに帰ったら全部焼けてるなんて――)
エイブロが草原の中で言った言葉が先程よりも、後悔の重みを増して私の心の中で繰り返される。神官は自分の手に落ちる滴を見て呟くように言葉を口にした。
「……村と関わりがあるのか」
「九年前に、世話になりました……。ただ一人残ったと思っていて、もう一人いると知って」
「そう、だったのか。じゃあさっきのは」
「貴方が本当に生き残りなら、村がこれ以上壊れることを望まないはず。強引な方法ですが、普通に聞いても答えてくれなさそうだったので」
神官は手から力が抜けたようにエイブロを解放する。よろけるエイブロをユティーナが後ろから支えると、神官がもう一度エイブロと視線を合わせた。だがエイブロのその言葉を気にした様子もなく、神官は一人頷いた。
「そうだな。もし質問されても答えてなかったとは思う。……俺こそごめん。他にいるとは思わなかった」
「いえ……村にいたのはほんの数ヶ月ですから」
今の今まで二人がここで会えなかったのは悲しいことではあるが、ようやく会えたと言わんばかりにエイブロは目を細めて笑っていた。その笑顔は蔑む笑顔ではなく、単純に出会えた喜びを表現する笑顔――神官はそんなエイブロの頭に手を置くと、二、三度ゆっくりと優しく撫でる。
ようやく落ち着き、無言のまま神官と少年は握手を交わす。様子を気にしていた少女が小さな鞄から、無地のハンカチを取り出してエイブロに差し出した。
「大丈夫?エイブロ」
「あぁ。……皆さんにも迷惑をかけました。すみません」
少年はユティーナからハンカチを受けとると、涙を拭き取り頭を下げる。わざわざ戦ったのにはちゃんと理由があったらしい。何はともあれ一件落着したようだ。場が一度静かになりかけ、騎士がのんきな声で打ち破る。
「……さーてと、とりあえず村から出ますかねぇ。今から行けば馬車くらい確保出来るだろ。いいよな?コルペッセ」
「あぁ。お前らもいいよな?残りの話は別の場所で」
無言で頷くとそれを了解ととったようで、何も言わずに先生たちが村の出入口へと歩を進める。皆で目を合わせた後同じ道を、先生たちの後ろを歩き始めた。後をゆったりと追いかける中、銀髪の青年が一人小走りで先生たちの横に並ぶ。
「そういえば、ここに呼んだ理由って……」
「予想はついているだろ。お前たちが今から行くアルストメリアやフォブルドンが、どういう場所か知ってもらうためさ」
騎士は一度立ち止まって、一緒に止まった皆と視線を合わしてからノウゼンの質問に答えた。勿論この目で確かめるまでは何とも言えないが、まず普通に旅ができる場所とは思えなかった。先に歩き続ける神官の元へ小走りで近づいていく騎士を横目に、他の五人で顔を見合わせて、思い出したように二人の後を追う。その時、一番後ろにいた少年が村の最南端にある墓石を振り返っていたのを、私は見なかったふりをした。