第三幕『白亜の城からの来訪者』
村の前に広がる草原を抜けきり、リベルテの町に着いたのは夕方近く。しかし、一度エスペラルにも寄らなければいけないことは全員分かっていたので、馬車を拾いエスペラルへと向かってもらうことにした。
少年に地図を確認してもらい、皆で予定を立てていく。昨日の険悪な雰囲気の馬車の旅とは違い、幾分か緩やかな雰囲気となっていた。
予定としてはこのまま北の港街エスペラルへと向かい、一泊。旅の道具で買い足す物を揃えてから野営地へと向かい、鉄の森の中で一泊。予想外に鉄の森が広いらしく、一日で抜けきるのは危ないのだという。そこで、途中ハイマート側の領地内ギリギリで休み、朝を待ってからアルストメリア側へと入る、との判断だった。
少年の心配はそれだけではなく、今夜の宿も入っていた。長い冬が明け、エスペラルにとって今まで雪の影響で止めていた商業を再開する大事な時。山を越えてシュテルンの商会や、王都を通ってくるハーフェンの商会が交渉のために宿屋は商人でいっぱいだ。だが、今夜の宿は騎士が手配してくれているらしい。それを聞くだけで安心したのは、言うまでもない。
港街に着いたのは夜近く、馬車から降りたときには陽が落ちきっていた。すでに寝る場所は確保されているとはいえ、遅くに出歩くのは旅人としてあまり歓迎されない行為だ。夜になれば治安の悪い地域では悪漢に襲われる、という昔からの決まり文句がある。もちろん悪漢に襲われたとしても倒す自信は大いにあるのだが、そこは女の子として怖いと思っていた方が無難だろう。
国一の港街と言われるだけあって、停泊する船の光は港を昼かと思うほど照らす。そんな輝かしい港を通り抜け、神官たちが向かった先は職人通りとよばれる通りだった。数回だけ来たことがあるが、この通りでは宿屋や市場が並ぶ代わりに、各地方の様々な職人がこぞって店を並べる。ただ、他の通りと比べて朝が早い代わりに夜も早く、夜に経営している店が少ないのでかなり暗く人通りも少ない。その通りを、悠々と二人の先生は歩いていく。不意に騎士が呟いた。
「やっぱり閉めるのが早いなぁ、こっちの通りは。酒場でも寄ってくりゃ良かったかな?」
「何、腹でも減ってんのお前」
隣を歩いていた神官がその呟きに応じる。その答えに騎士は一度目を丸くし、何を言っているんだこいつ、と言わんばかりに大きなため息をついた。
「バーカ、酒に決まってんだろ」
「後ろにガキがいるのにそんなもん飲むなってーの」
「お前何言ってんの?ガディーヴィとノウゼンは飲んでもいいだぜ」
「残りが飲めねぇだろ!」
「いやいや、赤毛の坊っちゃんも酒場で働いてたら飲めるだろ。ティリスとかユティーナの嬢ちゃんとかもたしなむ程度ならいけそうだし。つーかさぁ……お前が酒飲めねぇ」
「ちげーぇ!飲めるからっ!」
「……あの二人、仲が良いんですか?悪いんですか?」
先生たちの後を歩きながら、ユティーナが横並びに歩いていたノウゼンと兄に尋ねる。この国で禁酒の年齢は決まっていないが、推奨年齢は18以上。正しくは騎士の言う通り、兄やノウゼンだけではなくエイブロも、ユティーナも、当然私も飲むことができる。ただ推奨というだけあって、酒場で年齢を確認されるとちょっと気まずくなることには違いない。良いとも悪いとも思わないが、とりあえず先生たちの言い争いの内容はどうでもいい内容だ。
「いいんじゃね?」
「喧嘩するほど仲が良いと言うだろう」
ユティーナの質問を真面目に答え、ノウゼンと兄はまだ言い争う先生たちを落ち着かせに小走りで近づいていった。その様子を見ながら、エイブロが深く長い溜め息をついてぼやく。
「……本当に泊まるところあんのかよ……」
「ま、まぁそれは大丈夫だと思うよ?ちゃんと約束は守る人たちだから」
「そうかな。ノウゼンはやっと信用できるようになったけど、あの二人は一生信用できなさそうな気がする」
愚痴に思わず答えたが、その答えはあまり意味がなかったようでもう一度ため息をつかれてしまった。全く知らない旅先でまで、険悪な雰囲気の中にいるのは耐えられないから、あの青年が信用できる、という言葉には安堵したが。
「おっと、信じられねえか。これでも一応商人でもあるんだぜ、自分の商会に泥を塗るようなことはしないさ」
「商人?」
「おっと、知らねぇ?旅人様に欠かせないナイフから騎士様に捧げる聖剣まで!武器のことならシュテルン一輝くコンステラシオン商会へ!」
劇の台本を読むように流れる先生の口上は、紛れもなく商売人のそれと同じ。なんとも言えない微妙な間が広がった。エイブロが目を瞬かせながら騎士を見つめ、納得したのか視線を逸した。
「あぁ、コンステラシオン商会……そういやあそこはシュテルンにある商会だっけ。――はぁっ?!コンステラシオン!?」
少年は驚いたように騎士を振り返り、指を指す。コンステラシオン、どこかで聞いたことがあるようなないような。そんな疑問の答えは、意外にも兄たちの口から出てきた。
「コンステラシオンっつったら……」
「先生の、ご実家?」
「……そういえばルーフォロ・コンステラシオンって名乗っていましたね」
あぁそうだ、ついさっき聞いた。エイブロが信じられないものを見たように固まっているその間に、騎士は答えを導いた三人の指摘に頷いた。
「正解。エスペラルに泊まってると思うんだよな、うん」
「……ま、まさかあんた、コンステラシオン商会会長の親類かなんかか」
「次期跡継ぎでーす」
エイブロの質問に元気よく手を挙げて答えた騎士の雰囲気とは裏腹に、場はしんと静まり返る。どう問題なのかは知らないが、良いことではなさそうだ。エイブロは少しの間頭を抱えると、何もなかったように頭をあげて黙り込んだ。
先生たちの歩みが止まるまで待っていると、一つの店の前で二人は止まった。後に続いていた私たちも、先生たちの後ろで止まる。中からは小さな灯りが微かに漏れている、軒先に何か看板がかかっているのだが、外は暗くて何が書かれているかまでは見えなかった。
「お、ここだここ」
扉の上部からぶら下がる小さな鈴を騎士が二回鳴らすと、澄んだ高い音が夜の街に響く。すると、間もなくギィ……とドアが開き、髪を上で団子にまとめた若い女性が顔を覗かせる。彼女の姿を見て騎士が手をヒラヒラと振った。
「よ、ビアンカ」
「ルーフォロさん!……遅いですよ?」
「わりぃわりぃ、案外時間食っちまってさ。今度また良いやつ仕入れるから勘弁」
なら良いですけど、と渋々引き下がるその人は、よく見ると鮮やかな金髪碧眼だった。年は私たちと同じか少し上だろうか、職人通りの店にいるだけあって男勝りな女性に見える。色々と思案していたそのとき、騎士の後ろにいた私たちの姿を見て彼女は歓喜の声をあげた。
「あー!この子たちですか!?」
「うん。ギルド・インペグノ。ついこの間できたばっかの新人ギルドだが、実力はあるぜ」
「どんなゴツい人がくるのかと思ってたら!こんなかわいい子たち!」
「ふえ?……え、え、と、?」
身近にいたユティーナをハグし、女性は満足げに顔を緩めた。ユティーナは突然のできことに頭が追い付いていないようで、ゆっくりと慌て始める。実力がある、というのは中々歯がゆい言い方だ。女性は彼女の様子に頷いて、ユティーナを解放するとにこやかに挨拶した。
「初めまして!ビアンカ・セヴェルです」
「初めまして、ギルド・インペグノのギルド長のガディーヴィと言います。後ろのメンバーはこちらから順にユティーナ、ティリス、ノウゼン、エイブロ」
「うんうん、宜しくね、インペグノの皆さん!」
兄は馬車の中でノウゼンとエイブロによって叩き込まれた、余所行きの挨拶を噛むことなく話す。馬車の中では至るところでダメ出しを出されていたが、何とかちゃんと練習したようだ。元々兄の笑顔は元気が良いのでまずまずの出来上がりだろう。
「さて!立ち話ばっかじゃしんどいでしょう?中に入って!ルーフォロさんたちもほら」
女性はそういうと店のドアを大きく開け、手で中を示す。店の内装は手前以外の小さな明かりを切っているのでよく分からないが、植物と革の匂いが漂っていた。次々と入っていく途中、神官が思い出したようにあっ、と声を挙げ中を見渡す。
「あれ、そういやお兄さんは?」
「今宿屋で交渉中。昼からずーっと粘ってるわ」
「おいおい、大丈夫か?」
「大丈夫。もうちょっとしたら帰ってくると思う!」
呆れたようにため息をつくビアンカさんの隣で、一体何人が口を開けたまま固まっただろうか。今は、夜。彼女の兄が交渉を粘っているのは、昼から。かれこれ鐘が七つ、八つ鳴るくらいは余裕にたっているのではないのか。
女性はぱたぱたと奥へ走り、天井からぶら下がる何かを引っ張る。その瞬間、眩しい明かりがいっせいに店内を照らした。急な光に眼が慣れた頃、開くとそこには整頓された机があり、上には道具入れ用の木箱、物差しやかなり大きな鋏が置いてあった。また、壁に立て掛けられた板には切れ目が幾つも入って段差になっており、そこへ美しく輝く布地が綺麗に折り畳まれて掛けられている。
「布に針に服……洋裁店ですか?」
「そう!布地を買い付けて実際に服を作ったりするのよ。座って座って!」
店内をゆっくりと見渡していたノウゼンの質問に、ビアンカさんは短く答えて椅子を示した。机を通り過ぎて奥へ行く彼女は職人用のオーバーオールを着ていて、先程まで作業をしていたのか少しくたびれて見える。机の上にはどこの職人が作ったのだろう、見事な刺繍が施されたテーブルクロスが敷かれていた。思わず色鮮やかな花の刺繍部分に手を触れ、感嘆を漏らしてしまう。
「うわぁ……綺麗なテーブルクロスですね」
「それ、兄貴が染めて父さんが縫って、私が刺繍したの。綺麗でしょう?」
「ええっ、すごい!」
刺繍自体も凄いのだが、作った人間が目の前にいるのがまた凄い。売り物にすれば自分が今着るマントなど何十枚でも買えそうな値が付きそうだ。
「もう閉店時間だから人がいねぇけど、普段の日はオーダーメイドを頼みに客が押し寄せてんだ。な、ビアンカちゃん」
「んー……まぁ、多いときなら一日で五十受けるけど、今はまだ二十くらいしかないから余裕です。……あ、晩御飯食べてないよね?兄貴が帰ってきたら作らせるから」
唸るビアンカさんはさらりと爆弾発言をかまし、話題を晩御飯へと変えた。数が今二倍以上に増えていた気がするのだが、良いのかそれで。一日で五十も受けたら仕事がたまりまくるのでは。しかし誰一人突っ込んでくれるわけでもなく、神官は晩御飯の話題へ乗っかった。
「そこ、ビアンカちゃんが作るとこなんじゃね?」
「兄貴の方がおいしいもん、私が作るより」
ぷぅっと効果音をつけて頬を膨らませるビアンカさんは、直後、扉へいきなり走っていく。何事かとみんなが振り向き、彼女が扉の取手に手をかけて開ける。その寸前、カランカランと店内に鈴の音が響いた。大きな体が扉をくぐり外からこちら側へ入ってくる――傭兵、だろうか。剣を日常的に使っている騎士よりもさらにがたいの良い体は、歴戦の戦士を思わせる。少し茶みを帯びたマントを羽織り、その中側には剣の柄が見えていた。オールバックにされた金髪と海のそれよりも深い碧眼が北の人間であることを示していた。その姿を見とめた神官と騎士が声をあげる。
「おっ、フィルさん」
「フィルさんお疲れー」
「お帰り、兄貴」
先生たち以外の、私たち五人が一斉にビアンカさんに兄貴と呼ばれたその男性を振り向く。さっき言っていた、宿屋で昼から今の今まで交渉していたというお兄さんか。
「只今、ビアンカ。いらっしゃい、ルーフォロさん、コルペッセさん、……と」
「ギルド・インペグノ。今回依頼している旅人さんたちだ」
向こうという言葉に男性が私たちを凝視する。恐らく向こうとはアルストメリアとフォブルドンのことだろう。ビアンカさんが分かっていないようで、私たちとお兄の間で視線をさ迷わせる。
「こんな子供たちが……いや、失礼した。フィルバート・セヴェルだ」
フィルバートと名乗ったその人は手を差し出し、兄は挨拶の後その手を握る。握手を交わし、男はマントを脱ぐと軽く畳んで机に置きながら、妹へ何事か話しかけた。女性はマントを預かって奥へと一人歩いていき、その姿が完全に見えなくなる。目で追って確認したらしいフ男性はこちらへ向き直る。そして、姿勢を正し右手を胸に当てて足をずらしてお辞儀した。その所作を見て、風が吹き抜けるように私たちの間に緊張が走る。この、礼は。
「……この度は依頼受理をしていただきありがとうございます。ハイマート王国国立騎士団所属、第三師団長のフィルバート・セヴェルと申します。以後、お見知り置きください」
この人も国の人だったのか。慌てて礼をしようとすると、先生たちが手で制止してくる――しなくても大丈夫、という合図だろうか。
「今回鉄の森の内部、アルストメリア側の直前まで護衛してもらう。調査ついでにな」
「あ、安心しろよ。フィルさん超強いから」
「コルペッセ神官もお強いですよ。もちろん、ルーフォロ師団長も」
「お前にそう言ってもらえると嬉しいな、フィルバート」
既に紹介が終わっている先生たちは、特別城の人風な振る舞いはせず、気軽に話しかけてくる。それを見てかフィルバートさんも姿勢を少し崩した。堅苦しいのは苦手そうだ、先生たちと同じように。
「残りの話は晩御飯の後に致しましょう。作ってきます」
そう言って彼は立ち上がる。お湯が沸いたよー!とビアンカさんの朗らかな声がタイミングよく聞こえ、ふっと小さく笑ってからフィルバートさんは奥へと歩いていった。
そしてほぼ同時に、急にお腹の音が鳴った。回りから漏れる笑い声に恥ずかしくなり、うつむいてから今日一日にあった出来事を思い出す。フロンティール村と、エイブロの過去。先生たちの、使者たちの真剣な話、アルストメリア王国とフォブルドン共和国の実態の一端。そして……。
「ようやく形になってきたなぁ、会ったばっかに比べたら。お前らの仲もまともになったし。な、ノウゼン、エイブロ」
「ガディーヴィさんが思うほど良くないですよ?でも、会ってからまだ3日ですけど、ノウゼンの性格は大分分かってきました。今なら手綱を握れる自信があります」
「……ほぉ、言ったな。じゃあ今度からの戦闘の指揮はお前に任せる」
「あわわ、ノウゼン、エイブロに指揮を任せちゃ駄目ですよ!この人、自分が動くことしか考えないんです!」
仲間がどんどん賑やかになっていくことが、嬉しい。旅は辛いかもしれないけれど、このメンバーなら乗り越えることが出来そうな気がして、無理矢理皆の話に割り込んだ。
「今から考えればいいよ!」
「お前はマイペースすぎる。大体いつも後に後にと物事を回すから上達が遅いんだろう」
「何でも出来るノウゼンと一緒にすんなよ。な、ティリス、ユティーナ。魔法はゆっくりと学ぶもんだよな?」
「んー、たぶん」
先生たちに微笑ましく見守られる中、私たちは奥から匂う香ばしい香りに胸を踊らせながら話の花を咲かせていったのだった。