21
貴女が落ちた世界は、とても緩やかに動いていた。早すぎる世界に体を痛めた貴女は、心を癒す場所を求めさまよい、ここへ誘われた。何一つ現実を示さない世界、空想のような、息継ぎさえも叶わない居場所。
それでも貴女は目を閉じ、手を伸ばさないでただゆらりと落ちていく。
22
海の色は空の色。光の中で青だけが愛されて、暗い水の中を進んでいく。他はすべて拒絶しても、空だけは包んで離さない。空には悲しみも幸せもある。ならば海の色は、どちらの青を映したのだろうか。人はもちろん、悠々と泳ぐ魚達ですら知り得ない。
知るのは海と、今日も青い空だけ。
23
君の世界は、一つ一つを重ねてようやく形になった。僕の世界は、一つ一つを取り除いてようやく形を見せた。雨の日も風の日も、僕らは手を取り合い、時には離して世界を象った。生きた者も死んだ者も、僕らの世界を君に託すための架け橋。
さぁ、紡いでおくれ。ここは君の図書館だ。
24
指先にしな垂れる枝を乗せ、未だ降る木の葉に風を囁く。
今まさに壊れゆく古の森に掌を添えて、まだ残る影に新たな影を付け足す。それでもみしみしと聞こえる音に、ただ一人の力がこんなにも無力なのだと思い知らされる。森の声を聞くものは私一人だけ。
ここは、もうすぐ廃墟となる。
25
いつだって君はそばにいた。僕も君のそばにいた。愛してくれると、お互いに触れて確かめあった。涙も笑顔も全て君と僕の大切な思い出の一部だった。それなのに。
僕の隣には、一人分の間がある。初めてそこに立って見る景色は、僕よりほんの少し、たった1m以内のずれた世界。
26
花匂う春の庭、走り回る子供たちとその母親の姿をずっと追っていた。自分の身体が動けなくなってから数年、抱いた赤子は地を歩き母親はその跡をゆっくり歩くほどとなった。ふと、花の香りが近くなった。
「おばあちゃん、花のおうかんだよ! キレイでしょ? お供えしてあげるね!」
27
まだ幼い日、あの花には毒があると聞いたことがある。
見た目も鮮やかな赤が血みたいで恐ろしく、植生地も墓場が多いと聞いて思わず泣きそうになった。街の隅でひっそり咲いている姿を見ては、避けるように別の道に歩を進めた。
まるで、花言葉の「悲しい思い出」から逃げ出すように。
28
香り高い一輪の花がある。
枝に咲いたその花は、春を待ち望む人達のささやかな希望。人の目と鼻をくすぐっては、次の季節の花である桜に役目を譲るために花を散らせるのだ。まだ雪が残る、春の遠き町の片隅のさらに奥。ひっそり咲いたその木の下で、椀に梅酒を注いで乾杯しようか。
29
その花は、枯れるところから成長が始まる。
茎は伸びても、どこもかしこも枯れていて、弱々しく咲いた花びらもカサカサのボロボロ。しかし雨が降り、太陽の光を浴びればいつのまにやら美しい黒の花びらとなっているのだ。ただ、すぐに花は蕾となって地中に帰る。逆さまの花の人生だ。
30
災いを詰め込んだパンドラの箱は、底の方に小さな幸せを隠していた。
最後に残った光のような希望が溢れた絶望を和らげる。それで人を救えるのだから、希望の持つ威力は底知れないね。でも実は、希望だけじゃないんだ。絶望は人をスクうよ、奈落の穴へと誘いながら。