第ニ幕『歌姫と情報屋と研究』
――少女と別れた後、太陽が西へ傾きかけた頃だった。
「どういうことですかっ!!」
狭い協会の受付で、自分の声が大きく響いた。恐らく外へ丸聞こえだ、だがそんなことを気にしている余裕はない。いつもなら率先して宥める兄も、今回は悪乗りして受付のお姉さんを睨んでいる。慌て過ぎて顔に汗をかくお姉さんの姿は、自分の座っている椅子の後ろにしがみついてどこか滑稽だ。
協会に来た私たちは入り口にある受付で依頼終了の紙を提示し、報酬を貰おうとした、いや、今まさにしているのだが。
「あ、あの…… ですから、どういうことですかと言われましても…… いないものはいないですし、」
「協会長が戻らないと報酬はなし?」
いつまでも話を伸ばそうとするお姉さんに、兄さんは話を遮るために横槍を入れた。ひきつる笑顔は変わらないが、お姉さんが視線をそらす時間は先程よりも長くなり、いつまでたっても彼女から答えはでない。試しにカウンターを握りこぶしで叩いてみる、ドゴッといい音にお姉さんは大きく反応し、ゆっくりとこちらを向いた。私たちが来たときと同じように彼女は座り直し、おどおどしながら答えを紡いだ。
「……ま、まぁ、そういうことですね……?」
聞くなよと思わず言ってしまいそうな口を、とりあえずおさえつけることには成功した。
――どこにでも取りまとめる幹部はいて、この協会も例に漏れない。ここでは協会長という立場の人が大体取りまとめており、金銭、特に依頼達成者への報酬を払うのも協会長ということになっている。そして今、その協会長はここにいない……らしい。そのため、報酬を払うことは出来ないという。いつ戻るのか、と聞いても分からないと繰り返すのみ。それでは
「…… 金払いたくないだけじゃないすか?」
兄がこう言うのも無理はない。協会員が少ないため、協会へ来る依頼がそもそも少ないのだ。いわゆる経営難、と言うべき状況なのだろう。まぁそんな状況でも一応は国の一機関だし、さすがに払いたくないわけではないと思っていた、思っていたのだが。
「ま、まさかっ!そんなこっ、ことは!!」
噛みまくるお姉さんに二人して冷たい視線を送る、信じていた私が馬鹿だったようだ。この慌て具合は、兄のいう通り"払いたくない"のだろう。
……さて、どうしたものか。この様子だと協会長が協会の建物の何処かにいそうだ、隠れてこちらの様子を伺っている、なんてあのずる賢い協会長ならする。お姉さんをいじり回せば、案外ひょっこりと出てきてくれるかもしれない。兄と視線で合図をとりつつ、言葉をさらに紡ごうとしたとき、自分の後ろの扉が開いた。協会長か、と期待したが、入ってきたのは赤い髪の男の子。と、同時に少年と一緒に入ってきたものに驚く。
「すみませーん、協会長、いますー?」
陽気な声と共にズルズルと重たい音が、床の表面を擦りながら、狭い協会の中で小さく響き渡る。あっけからんとした口調で尋ねるその子は、二十、いや三十キロはありそうな大きい麻袋をいとも簡単に引っ張っていた。漏れる息の音に横をみると、兄は少年の方を見て口を開け、固まったままだ。
もう一度少年の方へと振りかえる。身長は、私よりも低いようだ。顔も童顔だし、十三、四の歳かもしれない、それにしても見た目に反してかなり豪快というか。私達が言葉攻めを止めている間、何とか冷静を取り戻したらしいお姉さんは、先程私達に言ったように鮮やかな赤髪の少年にも答え始めた。
「す、すみません、協会長はただいま、出掛けておりま…… 」
言葉の途中で、少年は愛らしい……ように見えるが中身は腹黒そうな笑顔を浮かべ、お姉さんのいるカウンターの近くへもたれた。ゆっくりと協会の中を見回して、目的のものが無かったのかため息をつく。そして、着ていた商人用の柔らかそうな服の長袖を捲り、少年はカウンターの前に置かれた丸椅子へと座った。
「俺、早朝と朝と昼と夕方前にも来ましたよね?この荷物を引きずって。お姉さん覚えていますか?覚えていますよね、来る度にお話ししましたから」
「え、ええ……」
「で、協会長はまたいらっしゃらない。いつお戻りになられるんでしょう?朝、あなたはお昼にと、お昼には夕方にと。次は夜ですか、それとも夜中ですか?」
「……さ、さぁ…… ?」
それは脅迫に近い。似たようなことをしているとはいえ、怒りはこちらの方がたまっていそうだ。お姉さんに笑いかけてはいるが、少年の目は笑ってはいなかった。あの荷物を1回持ってくるのも大変だろうに、回もきたのだろうか、荷物を引きずることは楽かも知れないが、ここまで何回も来るのはさすがに辛い。お姉さんと少年に聞こえないように、隣の兄さんへ小声で呟いた。
「荷物を持ってきても協会長がいないから、持って帰るしかないのかな」
「そりゃ怒るわ。俺だって嫌だし」
兄さんも同情しているらしい。何だか、自分達の怒りが馬鹿馬鹿しくなってきた、彼に比べればまだいい方だろう。少年が袋のバランスを直す度聞こえる独特の音、ちょっと袋からはみ出している、詰められた大量の綿。恐らく中の物を防護するそれと音から察するに、工業品の類いか。……絶対重い、これ。思いきって聞いてみようかと思ったが、兄さんに耳打ちされた内容にその考えは彼方へ飛んでいく。
「どうする、協会長待つか?それとも、もう宿に行く?」
「……これだけ来ている人がいるのに出ないのなら、見込みないよね」
「だよなー」
お姉さんを脅せば出てきてくれるかと思ったのだが、そう簡単に出てきてくれるわけではないらしい。それは目の前の少年も同じ考えだったようで、一度私達の方へ視線を向けた後、態度を変えないお姉さんから完全に意識をそらした。そしてくるっと後ろを向き何をするかと思いきや、扉を開けて外に呼び掛ける。
「わりぃ、まだ協会長帰ってねぇって。どうする?ユティーナ」
最後に呼ばれた名前に体が反応する。扉から覗きこんできた見覚えのある少女に、目を疑った。思わず彼女の名前を叫んでしまったことは、許してほしい。
「ユティーナ!!」
「あれ、ティリスさん、ガディーヴィさん!」
開きかけの扉からひょこんと身を乗りだし、黒髪の少女が協会の中へ入ってきた。かわいらしいワンピースのフリルが揺れる、瞬く瞳の色は淡い菫色。門の入り口で見た時ともちろん、何一つ変わっていなかった。― 再会は早かった、さっきの感動の別れは何だったんだろうか?
「よ、さっきぶり」
「はい、さっきぶりです!」
兄の言葉に元気よく答えるユティーナは、当たり前だが中身も全く変わらない。しかし、何故こんなところにいるのだろうか、別れた時は確か人と会う用事があるとか言っていた。しかし彼女の視線の先を見て理解する。そうか、この少年が、彼女が約束していた人なのだ。私たちとユティーナの顔を見渡して、赤髪の少年はボソッと呟くように尋ねた。
「知り合い?」
「うん!」
いきなり目の前で話されたら、まぁ普通はそうなる。はつらつと答えたユティーナに、そうか、とだけいい少年はこちらへ向き直って、私達の視線へ合わせた。よく見ると先ほどまでの怖い笑顔ではなく、何となく柔らかな雰囲気の笑顔だ。
こういうのを、お似合い、というのだろうか。何となく思うところがあるのだが、会ったばかりの人間に言うのには勇気が必要だ。結局その話題は心の中へしまいこみ、ユティーナは少年の隣に並んで、少し顔を赤らめながら話すのを聞いた。
「この人がさっき話していた、私のパートナーの、」
「エイブロと言います。この街で情報屋として働いています」
ユティーナがしてくれた時も丁寧な自己紹介だったが、エイブロと名乗る少年はさらにその上をいく。さっき彼女を呼んでいた時のようなくだけた口調など、微塵も思わせない。足を少しだけずらし、右手を揃えて胸の前へ合わせ、まるでお辞儀の手本のように頭を下げる礼。あまり最近は見慣れないが、貴族や騎士が使う敬礼だったはずだ。あまりに綺麗すぎて、思わず言葉を失ってしまった。――やりすぎだ、微妙に笑っている気もするので、わざとなのだろうが。
「丁寧にありがとう、ガディーヴィだ」
「妹のティリスです。兄と一緒に旅をしています」
その行動に特別なにも感じなかった兄に合わせて挨拶をし、試しに手を出してみると向こうから軽く握手してくれた。悪い人ではなさそうだ、ユティーナの言う通り。兄も握手を交わしたところで、入り口近くでは邪魔なのでと彼に誘われて少し脇へと四人で寄った。エイブロは私たちの顔を見つつ尋ねてきた。
「お二人だけで旅をされておられるのですか?」
ユティーナと同じ質問だ。声音には、驚きが混ざっているような気がする。やはり、二人は珍しいのだろうか。この二人に聞かれても、あなたたちも二人ですよね、としか言えない。
「はい、でも」
「昔は三人だったんだけどなー」
エイブロの質問に短く答え、さっき考えていた言葉を続けようとした時、兄はまったく別の答えを繋げた。やられた、余計なことを喋りやがったこの馬鹿、と無意識に服を握っていた。完全にその事を忘れていた、兄としては思い出の一つだろうが、私としては忘れていたかった事実の一つ。先に話を聞いているはずのユティーナが、運悪く話に乗ってしまう。
「え、もう一人いたんですか?」
馬車の中で聞かなかった答えに驚いているようだ。とはいえ、それが間違った事実というわけではない。そう、私と兄、そしてもう一人。いたといえばいた。もちろんそれが誰だったかは当然知っているし、旅も一緒にしたのだが……あれを一人として数えないでほしかったのだ。
「ま、二週間ぐらいしかいなかったんだけどな」
「旅人よりも研究者の方が俺には性に合うんだよ。ガディーヴィみたいに力馬鹿じゃないしな」
兄の言葉を継ぐように、新たに男の声が重なった。なんだよそれ、と兄が苦笑する隣で、私は肩を落とすしかなかった。姿を見なくても、声の主を瞬時に判断できる。――出た、出やがったよこの男と。
会わなければいいなぁと期待していた分、このショックは大きい。私の態度に反応したのか、エイブロは訝しげな目で入り口に立つその男を見つめていた。
「あ、きたきた!」
喜びをあげる自分の兄に対して怒りが込み上げてくる、私がこの街で一番嫌いな人だと知っているのにも関わらず、この人は。兄の親友などでなければ関わりたくもない。顔を見るのも声を聞くのも、出来る限り避けたいというか嫌だ。とはいえ、一応挨拶はしておかなければ兄さんに迷惑がかかってしまう。振り返って、声音低く。
「――お久しぶりですね、ノウゼンさん」
「ん」
私の挨拶に短く答えたノウゼンさんは、小さく手をあげた。ここに来たのは恐らく事前に、兄が手紙で連絡していたからだろう。もちろんそれだけではない可能性もある。ノウゼンさんも協会員の一人だし、何か別の用事で来たのかもしれない。とりあえず来なくていい。兄さんが元気よく手を振ると、ノウゼンさんは銀色の長い髪と白衣を翻し、悠々と私達の方へと歩いてくる。とその時、急に歩みが止まった。
「……どちらさま?」
聞きようによっては高飛車な言い方にしか聞こえない。ノウゼンさんの細められた緑青色の瞳と、エイブロの鮮やかな濃緑色の瞳の視線が重なる。体勢としては、ノウゼンさんが見下ろしエイブロが見上げる形だ。黒髪の少女はエイブロの横で何故かあたふたとしていて、一瞬何事かと思ったが、その違和感の正体は直後に理解出来た。エイブロは先程私たちにやった丁寧なお辞儀などしない、何か思うところがあったのか、機嫌は悪そうだ。
「……エイブロと言います。この街で、情報屋を」
「ふぅん、そちらの方は?」
私がノウゼンさんを嫌う原因の一つ、それは相手が紹介してきたときのこの反応の仕方である。初対面の――私の時も一緒だったが、名前を聞いてこの態度は失礼だと思う。せめてこう、宜しくとか、初めましてとか。とにかく、第一印象が最悪なのだ。この人に良い反応を求めること自体間違っている、と言われればそうとしか言い様はないが。話をいきなりふられたユティーナは、小さく言葉をつまらせながら挨拶していた。
「ゆ、ユティーナといいます!」
「へぇ。で、何してんだ?」
ほら、また。他人の事に関心が薄いのは分かるが、さすがに良い印象はないだろう。軽くあしらわれた少年はじっと銀髪の青年を見据えたまま動かず、少女はぽかんと口を開いたまま立ち尽くしていた。言葉の最後は、私たちに向けてだったのだろう、ノウゼンさんはすでに体ごと私たちに向き直っている。どう答えるか迷い、結局兄さんが答えた。
「この間の依頼の報酬を貰いに来たんだ。あと、協会長に聞きたいことがあってよ」
「聞きたいこと?」
兄さんの言葉に、ノウゼンさんはその先を促してきた。隣からは助けを求める視線をひしひしと感じる。……どうやら、詳しい説明は私に委ねられたようだ。よく見るとユティーナ達も興味があるらしく、こちらの話を聞く体勢になっている。かいつまんで、私たちが今回の旅で見たものを説明することにした。
――
話を聞き終わるとノウゼンさんは目を閉じて腕を組み、壁へと背中を預ける。エイブロは近くにあったソファーにもたれ掛かって、何か考えごとをしているようだった。二人とも信じられないのだろう、悪魔に複数回遭遇したなんて。起こっていることは普通ではありえないから、考えることもあるはずだ。反面、情報屋で様々な情報を仕入れてきたエイブロと、色々な場所で地味にコネをもつノウゼンさんなら何か分かるのではないか、と期待出来そうだ。
「……それ、本当か」
「ええ」
「私も見ました。エイブロと一緒に倒したものが1体、私が倒したものが1体なので……合計で4体、ということですね」
私が話した後に聞いた話、ユティーナも私たちと会う前、既に戦っていたという。場所は港街レクエルドと王都を結ぶ、草原に囲まれた道――つまり、私たちが今さっき馬車で通ってきた所だ。その時は何ら問題なく倒せたそうなのでよかったのだが。
どうやら魔法が効かなかった悪魔は、私達と彼女が一緒に倒した一体しかいなかったらしい、兄さんはみんなの態度を見て首を捻る。
「魔法が効かねえ、っていうのもそうなんだけど、数もやっぱりおかしいよな。四体も出てくるなんて」
「そりゃそうですよ。そもそも昔は一週間に一匹しか出てくるか出てこないかだったですし」
エイブロが立ち上がり、背伸びしながら応じた。しかし、言っている言葉はかなり重要だ、その情報は知らなかった。さすがはエイブロ、情報屋を名乗るだけのことはある。だとしたらこの件は本当に異常という呼ぶべき状態なのだろう。ふと、ノウゼンさんが納得するように頷き、もたれていた壁から背を離した。
「ならば協会長に聞いてみなきゃな」
「それがよ、今は協会長いないんだと」
少しだけ視線をずらし、今まで安心したように笑っていた受付のお姉さんへ向けた。これ見よがしと言わんばかりの大きな声だが、私たちの他に人がいないため、その声を咎めるものはまったくいなかった。五人の突き刺さる視線を受け止めながら、お姉さんはさっき私達に言ったものと同じ台詞を同じ笑顔で繰り返した、中々根気がある。
「そ、そうなんです。ただいま協会長は出張でして」
言葉の続きはノウゼンさんの行動によって遮られた、いや、正しくはお姉さんが勝手に止めてしまっただけ。硬い革靴が床に下ろされる時に鳴る、独特の高い音が協会内に響いて、一歩進むごとに威圧感を放つ。ノウゼンさんはカウンターに近寄るとお姉さんなど目にくれず、その隣、空いている椅子の後ろをのぞきこんだ。
「失礼、 話を聞いたご感想を述べていただけますか?協会長」
ノウゼンさんの目の前の椅子が、ガタッ、と動く。一斉に全員の視線が集まる中、中年の男はそろりとこちらを伺うように椅子の後ろから顔を出した。その様子は、悪いことをして怒られた子供のようで、見下ろす銀髪の青年の視線からは完全にそっぽを向いていた。どこかにいるとは思っていたが、まさかそんなところにいるとは。というかよく分かりましたね、そんなところにいると。諦めたのか、沈黙に耐えられなかったのか、おずおずと協会長はノウゼンさんを見上げて口を開いた。
「……そういう空気を読まない発言、」
「その前に、大の大人が隠れて恥ずかしくないんですか?」
協会長の発言をバッサリときったノウゼンさんは、協会長の前から椅子を奪い取り、受付の脇へ寄せる。目の前で行われていることにお姉さんは笑顔を固まらせ、泣きそうな顔をした。これは、ノウゼンさんが相当危ない人と見られてる、まあ仕方がない。協会長はというと、その一連の動作を見て咳払いをし、
「……先程の事例は、先月末から確認されておる」
話を華麗にそらした、いや、戻した。お姉さんを手の動きだけで奥に下がらせ、協会長は先ほどまでお姉さんが座っていたところへと座った。昔騎士団にいたというこの男、ピシッと座るその様はいい。――ただし先ほどまで隠れていた、という事実がなければ。荷物をカウンターの下に置きながら、エイブロが小さく呟く。その手にはさりげなく荷物の表と請求書の紙。
「先月末……魔物の活動時期にはまだ早すぎますね」
「国の調査によると、魔物達の住みかは荒らされていなかったらしい。また、食料難と言うほどでもないというのも、すでに報告が上がってきている」
「じゃあ、一体……?」
今協会長が言ったことぐらいしか魔物達がこっちに来る理由はなさそうだ。兄やノウゼンさんに視線を向けるが、首を横にふられた。二人とも心当たりがないようだ。エイブロとユティーナに視線を移すも、やはり首を横にふり、お手上げだと言うように同時に両手を上げた。仕方ない、ここは協会長に聞くしかないだろう。
「国の方では何か掴んでいるのですか?」
「あー……まぁ一応、フォブルドンかアルストメリアではないかと考えた、とは」
「フォブルドンとアルストメリア」
はっと誰かが息を呑む音がする。意外な名前が出てきた。フォブルドン共和国とアルストメリア王国、ハイマートの隣に面する国だ。協会長が戸惑いがちだったのはその言葉に含まれた意味通りなのだろうか。この二国は普通の国ではない、ハイマート王国と両国の間に友好関係などない――いわゆる、敵国。
「本当にそうなら、大変なことじゃないすか?」
「う、うむ……」
兄の呟きに協会長はただ唸るだけ。それもそのはず、一概にああだこうだと言うわけにはいかない立場だからこそ、こういうとき明言する訳にはいかないのだろう。しかし、否定をするそぶりを見せないし、先程協会長が言った二国は確実に関わっているようだ。つまりこの件は一筋縄でいくものではないということでもある。兄さんの質問にいつまで経っても答えない協会長に代わり、ノウゼンさんとエイブロが答える。
「そうだな。領地に侵入し、他国の国民を襲っているのなら、」
「外交問題とかっていうものじゃないです。宣戦布告ですよ」
ユティーナは驚いたようにノウゼンさん達を見つめる。そこまで考え付かなかったのだろうか、その顔は少し青ざめていた。さて、どうしたものやら。国同士の問題なら、簡単に首を突っ込むわけにもいかない。この件からは手を引くべきか、悩んでいたその時、突如背中に悪寒が走った。カウンター越しから協会長の不気味な笑い声。理由は何となく今までの経験上予想がついた。
「……君達に頼みたいことがある!」
「断る(お断りします)」
「ま、まだ何もいっとらん!」
五人全員が声を揃えて断ると、協会長の慌てた声が協会に響き渡る。どうやら皆考えることは同じだったらしい。内容は聞かなくても、話の流れから分かる……それが、難易度が高い依頼だということも。呆れたようにエイブロは小さく笑った。
「どうせ敵情視察か魔物退治でしょう?まったく情報もない、下準備も出来ていないこの現状で自分達にどうしろと?」
「うぐ、あ、そ、そのだな……」
図星らしい。協会長の笑顔には眉が寄り、口元はひきつっていた。
ノウゼンさんも酷かったが、この少年も相当性格が悪いようだ。つっかえまくりながらも協会長は続けようとするが、エイブロの貫く視線に口をつぐんだ。おまけでつけられた営業スマイルは、やはり目だけ笑っていない。悪気はないかもしれないがそこへさらに兄さんが言葉を付け足した。
「つか、はっきり言って武器とかも必要になってくるよな。食費とか、宿泊費とかいるし……あ、やっぱり金か」
「ぐっ……」
協会長の眉間にさらにシワが寄る。兄さん、今お金の話はやめた方がいい……なんて言わない。よっしゃーいいぞー、もっとやれー、と心の中で応援。すでに協会長の心は折れかけで、崩れていきそうな予感がする。このままいけば、依頼の話は無かったように終わるだろう。さらに男性陣の攻撃は続く。
「第一、正式なギルドではない俺達に頼む方が野暮ですよ」
確かにそうだ。ここにいるのは協会員であって一つのギルドではない。そんな大がかりな依頼になるのなら、他に頼む方がいいだろう。ノウゼンさんの指摘は問題の核をついているように思える、これで協会長も諦めてくれないだろうか。
しかしそんな期待は簡単に裏切られる、先ほどよりも不気味さが増した微笑みで、協会長はそうかそうかと頷いている。何か、思い付いたらしい。不安しか覚えないのは気のせいだろうか。
「ふふふ、そう言うと思っていたのだ。た、確かに今回依頼するのは敵情視察、危険は多かろう。しかし!今回は違うぞ!」
いつもいつも滅茶苦茶な依頼をしている人間が言う台詞ではない。だが、自信満々なところを見るに、どうやら真っ当な意見があるらしい。これだから小賢しい人間は嫌いなのだが
。無駄ひとつない動作で椅子から立ち上がった協会長は、私たちに手を突き出す。そして、ピシッと効果音が付きそうなくらい綺麗に人差し指を立てた。
「一つ!この件に関しては国も危険だと考えておる!そのため、この依頼を受理したその時点で、国家機密指定の敵国の情報の幾つかを与える!」
とても自信満々に言ってはいるが、その内容には同意しにくい。国家機密指定の情報をそんな簡単に与えていいのだろうか。後で国にバレたら解任だろう、この人は、確実に。とはいえ、規制がかかっているかもしれない情報を貰えるのはとても美味しい話だ。こういうものは多少なりともお金を払うなど大きな代償を伴うことが多く、それは幾度となく情報屋に助けてもらった私たちも理解できる。
「もちろん、守秘義務も伴うので責任は重大。しかし依頼のためなら、ということですでに預かっている」
「……魅力的だな」
たった一人の呟きに全員が振りかえる。そこには、かなり考え込んだ様子のエイブロがいた。しまった、エイブロは肝心な情報屋だ。横目で見た彼は、興味津々だと言わんばかりに目を輝かせていて、すでに受けることをかんがえていそうな雰囲気すらある。情報屋はリスクなしの情報が入ることを一番好む、と以前聞いたことがあるが、まさか彼もそれに当てはまるのか。今回の場合依頼を受理した時点で情報が入るため、一切のリスクがないと言ってもいい。しばらくエイブロを見つめていたユティーナが諦めたように言った。
「あぁ、エイブロが落とされちゃいましたね、これ」
「ってエイブロさん落ちるのはやっ!いいのそれで!?」
思わず心の声がでてしまった。すでにエイブロはどのルートを通れば楽かとか、食料をどこで調達すればいいのかとかぼそぼそと言っている。宙に何度も指を走らせ、ルートの確認すらしているようにも見える。完全に乗り気なエイブロの様子に満足したのか、また納得したように頷いて協会長はさらに一本指を立てる。
「二つ!この依頼の遂行中は国の補助金が出てくる!こちらに預かっておくから、必要経費である程度賄えるぞ!」
その前に報酬を払いなさいよこのおじさん。大体必要経費で5人分も食費や宿泊費はいつまでも賄えないだろうから、そんなに使うことはないものだ。下手をすれば、横領、なんてことになりかねない。だが、そんなことよりも必要経費という言葉そのものに反応した奴がいる。ぽかんと口を開いたままの、兄さんだ。
「武器とかも?」
「もちろん!修理も必要なら、無料で!」
「うーん、受理した方が……」
無料、という言葉のところから悩み始めた兄さんをノウゼンさんが睨み付ける。確かに私たちは同じ武器を5年以上使っているから、替え時であることは間違いない。資金が乏しい私たちにはお金を賄って貰える、なんてことは滅多にない。だから兄のいう通りかもしれない、と少し同意した。悩む私達の様子を見て協会長はにんまりと笑い、ノウゼンさんの方を向いた。
「そしてそして!最後に一つ!ノウゼン君!」
「なんですか」
ノウゼンさんの問題は確か、ギルドでない私たちに頼むのは、ということだった。このノリでいくのならば、それを打開する策があるのだろう。あぁしかし、とんでもなく嫌な予感がする。耳を防ぐ準備でもした方がいいだろうか?
「正式にギルドになってしまえばいい!」
「何で最後だけ理由が適当なんですか!」
協会長に向かって珍しくノウゼンさんは吠える。そう、適当だが、正しい。正しいし合理的だしそうした方がいいに決まっている。だが、はっきり言ってユティーナやエイブロはともかく、ノウゼンさんを仲間にしてほしくはない。これは個人的な感情ではあるが、エイブロならこの意見に同調してくれると信じている。そもそも全員の仲がいい訳ではないのだし、今日会ったばかりだし。
「君たち仲良さそうだし大丈夫!」
とうとう目がおかしくなったんじゃないか、この人は。親指を立て笑顔で言われたも、何が大丈夫なのかさっぱり分からない。
――しかしこの問題、ほっておくわけにはいかない。情報も、お金も、ギルドの設立にも興味はあるが、私にはそれ以上にこの依頼を受けたい気持ちがある。もちろんすでに落ちたエイブロや兄さんはいいが、巻き込まれているユティーナとノウゼンさんはまだ悩んでいるはずだ。同意してくれるかどうかも、現状では全くわからない。
何はともあれ、一度気持ちの整理をつける必要がある。相変わらず勝ち誇った笑みを浮かべる協会長へ、言葉を迷いながらも尋ねた。
「……ちょっと考えさせてもらっても」
「おお、もちろん!そっちに部屋があるから、そこで休憩しながらどうぞ!」
私の提案に快く答え、協会長はカウンターから手を伸ばした。視線を皆に走らせると、意外にも全員すぐに頷いてくれて、部屋での話し合いを決心する。協会長が指した方にある応接室に向かい、私のあとに続いて他の四人の足音が、一斉に協会内に響き渡る。頭の中でこんがらがる思考はとりあえず、無視。少しだけ心の中にある不安をせめて一時でも吹き飛ばしていたくて、目の前にある両開きの扉を、精一杯伸ばした両手を使って左右に大きく開け放った。