第三幕『旅の始まりと最高の誕生日』
踏み入れた協会の応接室は普段依頼者とギルドが使うためか、意外と広く作られているようだった。部屋の中央にある机には鮮やかな水色の花が生けてあり、白い壁と明るい茶色のソファにとても映えている、他にあまり色鮮やかな物がないからでもあるが。二つ置かれたソファのどこに座るか迷い足を止めていると、細い銀色の糸が自分の横を通っていく。横を見ると後ろに束ねた銀色の髪を揺らしながらノウゼンさんが私の脇を通り抜け、遠慮などないと言わんばかりに一つのソファの左端へ座っていくところだった。それをじっと見ていたエイブロはすぐさま違うソファへと向かい、彼から一番遠い場所で座る――不自然なほど目をそらす彼、余程あの研究者を嫌っているらしい。ユティーナはエイブロに続き、私は兄さんに続いてノウゼンさんが座っているソファの端に座る。位置的にはエイブロとユティーナに向かうようにして私たちが座るようになった。最後に座ろうとしたユティーナが、何か思い付いたか急に動きを止める。視線を追うと、その先にあるキャビネットにはポットとお茶の葉を入れている缶が。
「あの、皆さん、紅茶いります?」
「あ、いるいるー」
ユティーナの問いかけに兄さんがぱっと答え、エイブロは軽く頷いて、ノウゼンさんは頼む、と小さく言ってユティーナに合図した。こんな時はさすがに顔をしかめたりしないかと視線をそらす。
見た目的には確かに、協会長の言う通り私たちの仲はそれほど悪くない、見た目は。皆が皆、やろうと思えばできそうなメンバーである。まだまだ会話は固いだろうが、そのうち慣れれば楽しそうなギルドになれる気もした――もちろんノウゼンさんの性格についていければの話だが。だが問題はまだ他にもある。先程の流れから、ユティーナとノウゼンさんを説得出来るような根拠は、今のところない。果たして、私が言いたいことはこの二人を納得させる理由になるのだろうか。
「ティリスさん?」
不意に名前を呼ばれてはっと顔をあげる。ユティーナが目をぱちくりさせながら不思議そうな顔をしてこちらを見ていて、その他のメンバーも私の方を向いて反応を待っている。どうやら、私は何かしら質問されたらしい。心配そうに顔を覗きこむ黒髪の彼女へと慌てて聞き返す。
「な、何?」
「ええと、紅茶いりますか?」
「あ……うん」
そういえば紅茶がいるかどうかさっき聞いていたのだったか。反射的に頷きながら答えると、お湯はすでに沸いていたらしい、ユティーナは手際よく紅茶を淹れ始めた。部屋の中でこぽこぽと可愛らしい音をたてながら、赤は五つのカップに注がれていく。葉の種類まではわからないが、ふんわりと漂う紅茶の甘い香りは気分が落ち着く。黒髪の少女は元々紅茶を淹れることに慣れていたのか、危なげなく一人一人の前にカップを置いていく。机の上は紅茶の赤とカップの白、そして真ん中に置かれている花の水色に彩られ、一気に鮮やかになった。運び終えた少女が赤髪の少年の隣に座ると、ノウゼンさんは止まっていた話を切り出す。
「どうするんだ?依頼の件」
やりたくないと言いたげな声音、恐らくノウゼンさんにとって、この依頼は何の得にもならないからだろう。得になるのは、はっきり言って今のところは私と兄さんとエイブロだけだ。私と兄さんは武器の修理のことが、エイブロは機密情報のことが鍵となって、この依頼を引き受けるだろう――私たちとしては受理した方が明らかにいいだろうし、エイブロもリスクのことを考えれば。湯気がたつ紅茶のカップを片手に、兄さんは軽く唸った。
「俺は別に良いと思うけどな。報酬もあって、支援もあって。ついでに依頼主が国だから信用も出来るっていうのも」
協会長への信用は全くこれっぽっちもないが。心の内だけでそう呟いて、自分も紅茶のカップを手に取る。独特だが慣れた香りに心が落ち着いていく、皆の様子を伺いながら口付けて言葉は閉ざして。
兄さんにとってこの依頼は珍しくやる気の出るものなのだろうか、或いは危険がある方が好き、というだけなのか。とにかく、私がそう思えるほど兄さんはこの依頼に対して乗り気で、ただ修理のためだけに動いているわけではないとわかってホッとした。
しかしそんな兄さんの反応に、問うた銀髪の研究者はただ目を細めるだけだった。納得のいく答えではなかったらしい、何も言わず視線をそらしている。その先には、紅茶を飲みながら静かに見ていた赤髪の少年の姿。
「――俺もいいと思います。少しでも情報があればそれでいい、何も敵地の奥深くまで潜入しろって言うわけじゃない。これで機密情報を持って帰って来いって言われたら迷わず断っていたでしょうが、ただ状況を見ての判断でしたら」
「状況を見ただけで報告出来るような情報が得られると本当に思っているのか?えらくおめでたい頭だな」
「ええ、思っていますよ? 動かないよりはマシかと。それとも状況を見ただけでは情報を得られないんですか?意外と研究者って難しく考えるんですね」
「そりゃあどうも。研究者っていうのは確実な結果が得られないと動けない性質でな」
「可笑しいなぁ、以前お会いした研究者さんは中々良い推測が出来る方だったんですけど……ノウゼンさんが頭固いだけじゃないだけでは?」
間の手を全く入れられない攻防が淡々と続く。ただでさえ細められていたノウゼンさんの目は先程よりもさらに細められ、エイブロは今にも箍が外れそうな勢いで喧嘩を売り続けている。思わず雰囲気に呑まれそうになりながら、自分の兄と黒髪の少女とに視線を送る――しかし、首を振られただけ。手には負えないと二人共が諦めたようだ。ちなみにこの間にもまだ青年と少年の言い合いはずっと行われている、長い。
「情報屋というのは色んな人から情報とか意見を聞くものなんじゃないのか? それこそ不確かな情報を取り扱うとは思えないな」
「大半はそうですね。ですが、この目で確かめに行くことだっていくらでもありますし、状況判断だけでも大きな情報を得ることだってあるんですよ」
小さく鼻で笑って、研究者は話を打ち切るように目を閉じた。情報屋の少年も完全に彼を無視し、再び紅茶を飲み始める。どちらも意見は的を射ている、二人の意見は真っ向から対立したままでお互いが譲らない、大きな確信が心のなかに浮かび上がった――この二人の相性は最悪だ。自分なんかとは比べ物にならないほどエイブロとノウゼンさんの仲は酷い。
漸く言い争いを止めた二人を見て、ユティーナは机にカップを置いて口を開いた。
「このメンバーで大丈夫なのでしょうか? 私はそこが心配です」
大丈夫ではない。これで大丈夫という人がいるのなら、まずはその人の目を疑う。こんなに仲が悪くて印象も悪くて事あるごとに反発しそうな二人がいる時点で――はっきり言ってしまえばこの二人だけが問題なのだが。しかし、ユティーナが言う問題とはメンバーだけであり、依頼そのものには特に反対意見はなさそうだ。
後は、と誰かが呟き、自然と視線が集まってくるのが分かった。残っているのはただ一人、兄さんが促すように服の裾を軽く引く。少女の不安そうな顔が私の方へと向けられ、人のいない方向を見続けていた少年も、瞼を伏せていた青年も、こちらへ視線を寄越して。小さく息をつく、ノウゼンさんは紅茶のカップを手に取った。
「お前はどうなんだ?ティリス」
鋭い視線が私に向けられるのを感じ、たじろぎそうな身体を何とか抑えつける――耐えろ、こんなことで怯んでいてはこの男と話さえできない。私はこの依頼をどうしても受けたい。その気持ちを伝えるべく、手を強く握りこみ、息を整える。兄さんが私の態度の変化にいち早く気づいてくれて、恐る恐る声をかけてくる。
「……ティリス?」
「大丈夫、兄さん。――私は、この依頼を受けたいと思う」
カップを持ち上げようとしたノウゼンさんの手が止まる。兄さんが納得したように頷き、エイブロは興味を示して身体ごとこちらに向く。ユティーナは不安ながらも何か確信があったのか、ゆっくりと頷いた。低い声、お前もかと小さく呟かれ、銀髪の研究者が持ち上げたカップは机の上へ戻された。やはり依頼そのものに反対なのは彼のみ。先に賛成した兄さんとエイブロへの反応を含めてか、少し威圧的にノウゼンさんは言葉を放った。
「俺たちが率先して受けるような問題か?」
根本を突かれた、予想はしていたがやはり論戦で敵に回すと恐ろしい相手だ、この人は。だが今回は何とか言い返す材料を考え付いたので問題ない。身体を斜めにして、ノウゼンさんの顔が見える位置に座ってから、その緑青色の瞳に視線を合わせる。ここでしくじればこの話はなかったことにされてしまうかもしれない、だから慎重に、けれども強く主張はして。隣にいる兄と目の前の少年に勇気をもらう。
「ノウゼンさんが言いたいのは、私たちが受けなくても他のギルドがいるだろうってことですよね。でもこの依頼、他のギルドでは無理なのです。外で自由に動き回れて、魔法使いがいるのは私たちだけだから」
「あ……」
兄さんが小さく呟きを漏らす。そう、私の中で一番気になったのはこの事実だ。この問題をそもそも解決しているのは私達だけ、他のギルドはそうではない。
まず現時点で、正式な依頼を受けることが出来るギルドは少ない。ギルドの構成員はほとんどが剣士で、私達兄妹が魔物に襲われた野営地や街門など各地の要所で護衛を引き受けていることが多いからだ。領土の割に人口が少ないこのハイマートでは騎士団が各地に回って護衛を、というだけでは足りない、と以前他ギルドの人から聞いたことがある。頻繁に魔物が来るわけではない、けれどもいざ来た時に守りが薄くて侵入されました、何てことになったら悲惨な状況になる。
そして、魔法使い。外にいる魔法使いで、本当に自由に動き回れる者は一体何人いるだろうか?街の外で一年近く旅をしていた私ですら、初めて外の魔法使いに会ったのは今日会った彼女、つまりユティーナだけだった。ノウゼンさんのように研究者になった者がほとんどなのだろう。アルストメリアやフォブルドンは悪魔の生息地、悪魔の弱点を確実に攻撃出来る魔法使いがギルドにいなければ、そもそも話にならないのだ。
「確かにノウゼンさんの言う通り、私たちが引き受けなければいけないことはありません。でも、すでに国の中で襲われた人たちがいるのです。着々と時間が減っていることはノウゼンさんだって分かっていますよね?」
「っ……」
「無理にとは言いません。でも、一人でも多くいればそれだけ依頼の達成が早くなります」
言葉を詰まらせたノウゼンさんに話しかける。考えこむ青年の姿に違和感を覚え、不安を消しきれないまま身体の向きを直し、今度はユティーナへと顔を向けた。彼女の心配な部分は確かメンバーについてだったか。先程よりは少し曖昧な理由になってしまうが、それでも言わなければならないような気がした。
「ユティーナ。私はこのメンバーが一番だと思うの。前衛も後衛もしっかりしてそうだし、知識とか情報とか頼りになれるし。多分旅をする上で困ることは少ないと思う。もちろん戦闘の面でもね」
「わ、私もそう思いますけど……」
「信用がない」
ユティーナの回答を遮り、きつく言い放つ声が一つ。全員の目が私から声を発した赤髪の少年へと移る。ユティーナは仲が良くなさそうとかやんわりと言いたかったのだろう、とても慌てて隣に座る彼へ視線を向けていた。だが、今回たまたま運良く、彼の反応は見えていた――私の言葉で彼の反応が大きかったのは"このメンバーが一番"という部分だ。どうやらエイブロは依頼に納得していてもメンバーには納得していなかったらしい。当たり前か、さっきから見た目で分かるほどの険悪感を醸し出していたのだから。
「エイブロさんは……」
「エイブロでいいよ。その代わりこっちも呼び捨てでいくから」
先程カウンターのところで話した時よりも冷たい声に聞こえたのは、気のせいだろうか。その表情も、ノウゼンさんへ最初向けていたあの射ぬくようなもの。背筋がぴんと張る、敵だと認識されたような気分だ。かといってここで諦めるわけにもいかない。視線を逸らさないよう、きちんと彼に向き直ってから。
「エイブロは、このメンバーは嫌なの?」
「あぁ、嫌だね。別に五人って決まっている訳じゃないし」
五人でなければいいのか、言外にノウゼンさんを省けと言っているのだろう、彼は。しかしノウゼンさんに抜けてもらうと少し不便になることがある。まず、城勤めでも学校勤めでもない、個人の研究者だからというのが第一に。それに加えて実力がある、知識がある、それに……。頭のなかを整理し終えて私が反論しようとしたところで、まさかの当の本人である研究者が動いた。
「エイブロ、とか言ったな」
本人が口を出すなど思ってもいなかったのか、少年は勢いよくノウゼンさんへと振り返った。珍しく興味を示したことに私も驚く、彼がこんな風に言い出すのは聞いたことがないかもしれない。湯気が立たなくなった紅茶を飲んで一息つき、ノウゼンさんはカップをまた机に戻す。銀糸が微かに揺れて、赤髪の少年に問いがかけられる。
「お前、俺が雷魔法の上位研究者マスタリーであることを知っているだろう?」
「なっ――何でそれを……!!」
「やっぱりな。ならば、俺が雷魔法の高速詠唱が出来ることも知っているはずだ。お前が優れた情報屋で、尚且つ頭の回転がそれだけ良いのなら」
今度はエイブロが黙る番だった。エイブロがノウゼンさんを見ていたとき、妙におかしかったのはノウゼンさんをすでに知っていたからか。そう、ノウゼンさんを外したくない最大の理由は、普通の魔法使いよりもはるかに早く魔法を練り上げる事が出来るから。そしてそれを誰よりも本人が自覚していたらしい。
――ノウゼンさんが言った上位研究者マスタリーとは、ある程度魔法分野での成果をあげ、一定の条件を満たした研究者に送られる称号だ。その条件の中には魔法の詠唱を一部省略する高速詠唱という技術が出来ることも含まれる。もし早く魔法を使わなければならない時、例えば逃げるときなどにおいて、その能力はこの中の誰よりも役立つだろう。
ノウゼンさんの言うことは間違っていない。そして同時に、それを聞いて息を呑み黙ったエイブロが優れた情報屋であることも。いや、それよりも気になったことがあって、こっそり研究者へと視線を向ける。言い方は悪いし嫌みにしか聞こえないが、あのノウゼンさんが手放しに誉めているということに。
「俺の実力は、能力はこの依頼に貢献出来る。そうだろ、ティリス?」
「え?あ、はい……あのノウゼンさん、いつから賛成に……?」
ノウゼンさんがあっさり賛成に変えていた。いつの間にか勝手に吹っ切れていたらしい――或いは自分の利益になることでも考え付いたのか。出来れば前者であることであることを願う、ろくでもないことを考えていなければそれでいい。だが如何せん予想外過ぎて、ポカンと口を開けていたエイブロはノウゼンさんの先程の一言で勢いよく立ち上がり反論した。
「あんた反対だったんじゃねぇのかよ!?」
「今賛成に切り替えた。あ、俺と反対のままが良かったのか?そりゃ悪い」
「っ……!」
ノウゼンさんの性格については悪いとしか言いようがない。それにしてもさっきまでの敬語はどこにいったんだろう、この少年は。口調が丁寧なものからざっくばらんなそれに変わっているあたり、こっちはこっちで吹っ切れていたらしい。ユティーナが服の裾を思いきり引っ張って、エイブロを落ち着かせようとして、エイブロも何とか息を整えようとしているが効果はあまりなかったらしい。
「大体今日顔合わせたばっかりのメンバーで信用なんか……」
「信用出来るよ」
自分でも驚くほどさらっと出てきた言葉が、エイブロの言葉を遮る。ユティーナも、ノウゼンさんも、兄さんもこちらに視線を移したのが分かった。今のが自分の声だったということに気づいたのは、視線が集まってからだ。立ち尽くすエイブロの目がほんの少しだけ揺らいで、すぐに伏せられる。何を言っていいか分からない、沈黙の後に小さく呟かれた。
「……意味わかんねぇ」
「――うん、意味は分からないよね。だって言った本人が分かってないもん」
「なんだよ、それ」
呆れた声は、幾分か通常通りに近くなってきている。ようやく彼の落ち着きを取り戻した、と言うべきか。だがその視線はさらに鋭く、もう最初出会った時のように、挨拶をしてくれた時のように、優しそうな笑みは何一つそこにはない。だからこそあえてそれを真正面から受けた。
――何を言えばいいのか分からない。私にとって信用なんて取るに足らないもの、信用なんて元々無いに等しい生活だったというのもある。
「"今"信用がないのなら、旅の間にでも作ればいいかなって思っていたぐらいだから」
それでは理由にならないので却下されるだろう、そう思ったとき、小さな笑いが周りから零れる。自分の横を見ると今まで黙っていた兄さんが笑いをこらえていた、ノウゼンさんはこちらと目を合わせないようにしながら、馬鹿正直、と口の端を少しだけ上げながら言った。正面を向くとユティーナもやんわりと笑っていて、よく見るとエイブロもかすかに笑っていた――私を除く全員が、笑顔だったのだ。思わず抗議の声を上げてしまったのは許してほしい。
「ちょっと、」
「わりぃわりぃ。信用なかったら作りゃ良いって、おもしれぇな、ティリスって」
「えっ、そ、そう?」
途切れ途切れに笑いをこらえてながら話すエイブロは、もうあの冷たい視線を向けてくることはない。どちらかと言えば興味を惹かれたように、それこそ面白がって見てくるだけだ。そして偶然か、皆が笑ってくれているおかげで場の雰囲気も知らぬ間に良くなっている。
あんな理由でいいのか?と思ってしまう、ただ自分が考えたことを正直に話しただけだ。疑問を抱いて悩んでいると、目の前で少年がソファに座り直し、柔らかな笑顔――挨拶の時にしてくれたようなあの雰囲気で話しかけてきた。
「ま、あんたへの信用はあるからな。ぶっちゃけ、信用がないのはそこの澄まし野郎だけなんだけど」
「おい、誰が澄まし野郎だ」
「あんただよ、ノウゼンさん」
青年は眉を潜めるが、エイブロは何事もなかったように無視した。この二人の仲が悪いのは変わらない、しかし、さっきより雰囲気がいいからか普通の日常会話にしか聞こえない。堪えきれなくなって笑う兄さんは、ノウゼンさんに睨まれるも忍び笑いに変えただけ。エイブロはまた微かに笑いこちらに視線を移した。
「ティリスの言う通りだ。実力があればそれを最大限に利用する。信用なんか二の次、三の次」
「エイブロ……」
「それに、結構コネとかありそうだし。ねぇ、国立学校魔法学部を次席で卒業された第一期生のノウゼン・フォン・ディモルフォセカ殿?」
エイブロを除く全員の首が一斉にノウゼンさんへと向く、その言葉の意味を少なくとも私と兄さんは知っていて、ユティーナも部分的には理解できてようだ。国立学校魔法学部、次席で卒業、それからおそらく初めて聞いた研究者の本名。暫く黙っていたノウゼンさんが、ゆっくりと口を開く。
「……お前、情報屋にしては個人を調べすぎだろ……」
「え、ちょっ、本当なんですかっ!?」
「嘘をついてどうする」
思わず信じられない、と言いそうになって抑える。怒られるのは目に見えている、言わないほうが良いだろう。向けられた視線に苦笑いしつつ、何故この人がこんなところにいるのだろうと思案する。ノウゼンさんは頭が良いしすごい人なんだろうなぁとは思っていた、思っていたが、本当にそこまで頭が良いとは思わなかった。
国立学校とは私や兄さんも通っていたところで、型に当てはまらない色々な学問を勉強出来ることで有名な学校だ、魔法学部もそこにしかない。国立だからと言って頭が良くないと入ることができない、というわけではない。筆記試験以外にも実力試験のみの形式もあり、私たちは何とか入ることが出来た。ノウゼンさんは確か、筆記と実力の両方を受けた、と兄さんから聞いたことがある。その学校で首席、次席という立ち位置は重要であり、エイブロの言う通りコネがあると言えるだろう。例えば、首席や次席なら国内の研究機関に大抵入ることが出来るし、先生しか使えない学校専用の研究室だって簡単に開けてもらえるはずだ――何の成績を残していない私たちは無理だが。
そしてもう一つ、私は始めてノウゼンさんの名字を聞いたわけだが。ディモルフォセカ家、本来貴族の地位に無い家が研究などの学問によって功績をあげ、国から直々に栄誉の証として貴族号《フォン》を賜る学者貴族の一家。彼は、その一人ということ。
「文句は言いませんよね?使えるものは使う、お互い様でしょう、ノウゼンさん?」
「……お前、覚えていろ」
少年のからかいに研究者はこれ見よがしに大きくため息をつき、低い声を搾り出す。しかしそこで依頼を受けないという言葉は出なかった。ようやくまともに開かれた複雑な緑青色の瞳と、やんわりと眼尻を落とす鮮やかな深緑の瞳。ほうと安心したように肩をなでおろした美しい黒髪に楽しそうに場を見詰める柔らかな金髪。――これはもしかして、もしかすると。埋めいていた小さな不安が、徐々に期待になっていくのが分かる。周りの意思確認も含めてそっと尋ねる、この依頼への参加についてを。
「じゃあ、この依頼は……」
見渡すと誰一人として目をそらさず、私の視線に合わせてくれた。メンバーが心配だと言っていたユティーナが手をあげる。その笑顔はあの花の咲く可愛くて綺麗なもの、期待が大きな確信へと変わっていく、彼女の不安は取り除けただろうかなんて今さっきの様子を見ていれば。
「私は、賛成」
「俺もー」
やはり、ユティーナは賛成に変えてくれたようだ。兄さんが間髪入れずユティーナの後に続いて同意を示し、優しい笑顔を見せてくれた。心配してくれていたのだろうか、視線を交わし頷きを一つ見せると、向こうからも頷く。こっそり握っていた服も離して、兄さんは何事もなかったように紅茶を飲み始めた。
後は、とノウゼンさんへ視線を移す。私の視線に気付き、少し考え込む素振りを見せてから研究者の青年は口を開いた。相も変わらずのその口調で、けれども敵意なく、やはり淡々と静かに。
「反対する理由がないな」
「……はぁ、素直に賛成って言えばいいのに」
「ガディーヴィ、お前が正直すぎるんだ。まったく兄妹そろって」
少年と少女が同時に吹き出す、兄さんは何だよ!とか、笑うな!とか喚いている。あんまりにも自分の兄が必死だったのでつられて私も笑ってしまった、私はともかく兄が正直なのは昔から、否定などする必要もない。忍び笑いをしていた少年が少女と同じように手をあげて答えた。
「俺も賛成」
――皆の意見が一致した。依頼が受けられる。協会長に言わなければいけない、依頼を受理出来ることを。自分でも分からないほど逸る気持ちを何とか抑えて、ちょっと冷めてしまった紅茶を飲み干し、立ち上がろうとした。きっと協会長のことだから、扉の向こうで待機しているのだろうとか、勝手な予想を立てて。
「じゃあ……」