第ニ幕『歌姫と情報屋と研究』
ガタゴト、ガタゴト。大きく音を鳴らして馬車はゆったり砂利道を進む。大きな石に車輪が乗るたび馬車は上下に揺れ、話している最中では自分の舌を噛まないかとにかく心配だった。はりに支えられて広がる幌、その間から見える草原は相変わらず静かで、私達の話す声と時折強く吹く風の音だけが聞こえる。時々草原の緑はグラデーションのように輝き、とても綺麗で目を自然に向かせる、幌馬車の一番後ろから見る景色は普段自分が見るものとは一風変わっているような、そんな気もした。人生の中で馬車など滅多に乗らなかったから、かもしれない。ふと気配を後ろに感じると見張りを交代しよう、と馬車のおじさんから声をかけられる。私は小さく一度頷いて馬車の中側へ座り直し、視線を隣に座る兄とその前にいるユティーナへ移した。
少女に誘われて王都へ一緒に向かうことになった私たちは、野営地から続く街道を少し進んだところで馬車に出会った。乗っていたのは壮年のおじさん二人、王都まで行くことを話したところ乗らないかと誘ってくれたのだ。普通なら代金を払わなければいけない所だが、二人が操っていたのは行商人用の幌馬車らしく、護衛をしてくれるならお金はいらないと言われ、収入源の少ない私たちとしては断るどころかむしろ喜んで受けますといった具合である。同じく彼女にも同意をとって、結局王都までその馬車に乗せてもらうことにした。見た目よりも広い荷台の上、ユティーナと私達はお互い向かうように座り、馬車が動き始めたところで彼女との話は再開されたのだった。
「それにしても、お二方だけで旅なんて……すごいですね」
「いやいや、あんた一人じゃん」
苦笑する兄さんの言葉に私も頷き同意を示す、大抵ギルドは最低5人ほどで旅をすることが当たり前であるため、二人だけで旅することは驚かれることなのかもしれない。だが、一人の場合――ユティーナのような場合とはまるで違う。お金の面や生活の面、様々な理由を挙げることができるが、一番の理由は戦闘の面でだ。一人では戦闘も回復も全部やらなければいけないし、誰かが囮になってということもできない。旅の上では命に関わる、とても危険なことだ。もちろん、彼女がこの近くにある町から来ただけかもしれない、横におかれた旅の荷物も長期用ではなく短期用の鞄で、中身はそこまで入っていなさそうにも見える。しかし仮にそうであったとしても、彼女はたった一人で野営地の近くにいた。野営地の手前までに魔物と会わない、という保証などない。荷物に視線を留めながら、思い付く質問を黒髪の少女へ。
「ユティーナさんは普段どちらに?」
「王都に住んでいます。たまに旅もしますけどね」
ということは、王都からあそこまで一人で来たことになる。王都はそう遠くないが、ちょっとした旅ぐらいの距離があるから、魔物と会わずにというのは運が良くないと無理だろう。一人で倒しできた、なんてことはないとは思ったのに。ユティーナはかなりの実力者なのだろうか、先程の歌の効果が余程強いのか。積もっていく疑問のためにもう少し聞いてみようと考えかけたその時、ユティーナが慌てたように言った。
「普段はもう一人いるんですよ。その人が前衛も後衛できるから……今日は近くまで送ってもらって、魔法の練習を……」
「あぁ、そう、なんですか……」
質問する前に答えの一つを言われ、ついつっかえてしまった、質問しなくてもよかったらしい。しかし、練習のためとはいえあんなところに一人はやはり危なすぎる。私もそうだが、魔法の練習は詠唱に集中しなければいけないため、周りがみえなくなる。そういうとき守る人がいないと魔法も……魔法、魔法?ひっかかるその単語をもう一度口内で繰り返し、ようやくその意味を飲み込めば、自然と手は伸びていた。
「魔法使いなんですか!」
「ふえ?」
足へ無防備に置かれていた彼女の手をとり、しっかりと握る。彼女の歌しか聞いてないので、発想がそこまでたどり着かなかった。とにかく外にいる魔法使いは少ないのでこの出会いは貴重である、それが同じ年代の女の子ならなおさらだ。まさかこんなところで出会えるとは……と思っていたのだが、ユティーナはそうでもないらしい。感極まる私とは対照的に、彼女はじっと私の行動を見守っているだけだった。むしろ私達が驚いたことに驚いているようにも見えて、こちらの動きも止めざるを得ない。
「珍しい、ですか?」
「え、だって外にほとんどいないんだもん!ユティーナさんも思いませんか!?確かに魔法学校の卒業生は元々少ないですけど!皆研究者の道に行く人ばっかで!!」
「……あ、はい?」
少しずつ傾いていく彼女の頭、そんなこともお構い無く話す。いつの間にか前のめりになっていた私は、隣に座っていた兄さんに無言で首の襟を掴まれ、元の位置へ戻された。いきなり喋りすぎた所為か、ユティーナが話についていけてなかったみたいで、何度も瞬きを繰り返している。ユティーナの知り合いには彼女のような魔法使いが多いのだろうか。
「他にもいるんですか?研究者以外の、外で活動する魔法使いが」
私の質問にん―、とユティーナは唸る。頭を揺らしながら必死に考え込んでいる、心当たりがあるのかもしれない、そう期待してうずうずしながら待った。しばらく考えたユティーナの答えが出される。しかしそれは決して私が想像していたような朗報などではなくて、
「――いませんけれど?」
という悲報だった。いないのか、そうか当たり前か。
少し考えれば分かることだ、自分の中の常識がそう簡単に何度も覆るわけではない。それでも期待していたことは確か。ちょっとした喪失感に項垂れていると、ユティーナは励まそうとしているのだろうか、手を握り返してきた。
「だ、大丈夫ですよ、すぐに増えますっ!」
「そんなすぐには増えない……最低でも後1年は卒業しないもん、私の学年ですら私一人なのに」
え、とユティーナは驚きを漏らし、それだけで彼女が普通ではないと理解出来た。
そう、私の学年にいた生徒中、外で――学校がある王都から出て、魔法使いとして旅しているのは私一人だけだ。他の人は研究者か、騎士団・魔術師団の見習いか、才能と運があれば城勤めか。外に出る魔法使いはとにかく少ない、第一期生である兄さんの代では二人いたものの、一人はその後に研究者の道へ行ってしまった。その他の学年はどうかは知らないが、恐らく似たようなものだろう。そもそも魔法学を学ぶ人数は毎年百人にも満たない、それも問題の一つだ。だから、他の外の魔法使いというのは個人で学んだ人くらいしかいない。そして、私の言葉に驚いたのなら彼女もまた……
「そうなんですか、学校に行っていてもそんなに外へ出てこないんですね……」
「やはり、ユティーナさんは一般の方でしたか」
数は少ないが個人で魔法を学ぶ人もいる。基礎から学ぶのは同じだが、個人では先生の問題、家庭の問題と積み重なってきて応用までいけないのだという。実力がつかなければ、もうそれで諦めるしか道はない。仮に実力がついたとしても、大抵は城の魔術師に志願していくし、それ以外も研究者となるだろう、その方が明らかに将来も安定している。――そう、個人で学んだとしても、学校を卒業した者と似たような進路だ。あえて言うならば、魔法を諦めた人がどこに行くかが違うだけ。そういう意味で考えるのなら、ユティーナの立ち位置は少し不思議に感じる。私達は皆と違う道を選んだが、どうやら彼女もまた珍しい人生を選んだらしい。もちろん彼女の実力が分からないためなんとも言えない。しかし、魔物が出ると分かっている草原に置いていかれるくらいなのだから、それなりに実力はあるんだろう。
――もしかしたら、先程の歌があるからこそこちらに来たのだろうか、それなら納得できるような、出来ないような。ずっと握り込んでいた所為で、やたらと温かくなってしまったユティーナの手を離すと、
「そういやさっきの歌うまかったな、あの歌も魔法なのか?」
今まで黙っていた兄さんが考え込む少女に尋ねた。あの歌とは、悪魔を立ち止まらせ、私達が倒しやすいようにしてくれた先程の歌のことだろう。言われてみれば魔法の詠唱に似ていたような気がする――まったく歌詞の意味は分からなかったが。それもそのはず、彼女が歌うために使用した言語は昔のもの、現在では使用されていない古語だった。私は専門にしていないため、書くことは出来ないし読むことも出来ない、理解できなくても仕方がないと自分でも諦めついている。ちなみにその観点から見るならば、ユティーナは城中入りしてもおかしくない実力者である。魔法の詠唱を古語で行った場合、私達が普段使う翻訳詠唱の3倍は優に越える力が付与される、と聞いたことがある。余程専門に勉強しなければ使うことすらできない、とも。
だが黒髪の少女はそこに触れてはくれなかった。
「ありがとうございます。あれは魔法ではなくて、ただの歌ですよ。おまじないのようなものです」
「……ような?」
「ような、です。……多分」
弱々しく付け足された"多分"は、声の小ささにも関わらずよく聞こえた。ユティーナの様子からして、あまり深く突っ込まれても困るようだ。先程から彼女に見えないよう、服の裾を引っ張っては視線を寄越してくる兄さんへ、目で合図する。この話題は、なしだ。一言も話さないやり取りが終わったのを見て、図ってかユティーナは話題を変えた。
「でも、嬉しいです。同じ年頃の女の子の魔法使い、久しぶりに見ました」
「私もです、学校以外ではユティーナさんが初めてですね」
「俺も学生以外は城勤めの人ぐらいかな……外で会うのは初めてかも。ティリスより下の年の子なんて……」
「「え?」」
馬車の外を吹く風の音が、一段と大きく聞こえる。微妙な空気がまた私たちの間に流れ、兄さんはしまった、とでも言わんばかりに私達から視線をそらした。反対側、少女は何度も目をしばたかせている。兄も私と同じように考えていたらしい。というより、これでユティーナが私から見て年上ならとても気まずい。女性に対して年齢を聞く、というのは昔から何となくしづらいものがあって、こちらから口を出すには少し勇気が足りなくて。少し恥ずかしそうにユティーナは俯いて、ゆっくり言った。
「失礼だとは思うんですが、その、お二人の歳は?」
二人して言葉につまった。別に答えることは構わないのだが、もしかして意外に年下に見られていたのだろうかとか、実は同い年だったのだとか、ぐるぐると思考が駆け巡っては沈んでいく。歳が上だからどうか、とかなんて特別何もないはずだが、何故か気になって仕方がない。そして悩んでいても仕方がない、私は正直に、あくまでも正直にその数字を答えた。
「じゅ、十七です。兄は、二十……」
「あ」
思わず彼女へ注視する、上か、下か、同じか。可愛らしい声をあげて、黒髪の少女は微笑んだ。
「――ホントに近いんですね……私、16です」
「ほんとー!?わーい!初めての年下!」
「え、あ、あの、ティリスさん……?」
あ、つい心の声が。でも本当に嬉しい、学校では自分の学年以外交流がなかった。たまに兄の教室へ行っていたため、兄の学年の魔法使いたちは比較的分かるのだが、はっきり言ってそれぐらいだ。下の学年は廊下ですれ違うことはあったかもしれないが、一般課程の人と魔法学科の人との見分けはつかない。だからこそ、こういう"年下の魔法使いの女の子"というのは初めてである。
「嬉しい!ね、ユティーナって呼び捨てしてもいい?」
「も、もちろん、ですよ?」
「わ―!これからも末永く宜しくね、ユティーナ!」
「……末永くって……」
ユティーナの顔はこちらから背けているので見えないが、確実に愛想笑いを浮かべながら、兄さんに助けを求めているように思えた。兄さんは友達ができてよかったな―、とでも言いたげ、予想通りにユティーナの期待を裏切ってくれている。しばらくすると、彼女自身から手を差し出してきた。変わらない態度に潔く諦めてくれたらしい。
「こちらこそよろしくお願いします、ティリスさんと、ガディーヴィさん」
「あぁ、宜しくな」
私と握手したあと、ユティーナは兄さんとも握手を交わした。にっこりと笑みをたたえる彼女に、こちりまで笑顔になる。――握手は約束締結の証、本当に末永く付き合いたい、と思う。ちょっとした知り合いは多いが、一緒に旅をしたり、一緒に戦ったりという人は今まで兄以外にはいなかった。あの歌と魔法があれば、後方支援としては最高の逸材だ。一緒に旅を、と提案してみようかな……そう考えたとき、ユティーナは思い出したように声をあげた。
「――あ、そうだ。王都に着いたら人と会う約束があるので、私は門のところでお別れです」
「え!……ってそうか、魔法の練習してただけだしね」
そういえば、ユティーナは旅人というわけでもなかった。少し、残念。しかし王都に住んでいるのならいつでも会える、また機会があれば、旅に誘ってみよう。
彼女は座り直すと、更に笑みをこぼして話を続ける。
「次に会ったときは私のパートナーも紹介します。すごくいい人なので!」
「あ、もしかしてさっき言っていた、約束してる人?」
「そうなんです!仕事があるらしかったので、先に王都へ帰ってもらったんです。きっと、ティリスさんもガディーヴィさんも、彼とは仲良くなれると思います」
「ほぉ?そりゃ楽しみだな」
「ほんと、楽しみに待ってるよユティーナ!」
ふと、馬車の中を吹き抜ける風が弱まった気がした、移動速度が遅くなりつつあるのだろう。馬主と入り口の間から見えた幌馬車の外、昼間は緑に光っていた草原が淡い橙色へ染まり、違う顔色を覗かせる。そして、広がる草葉のその先。壁の向こうにそびえ立つ白亜の城もまた、夕陽を受けて橙色に輝いている。城の上にはためくのは白地に青で縁取られた黄色の線を二本染め抜いた、王国の旗。ハイマート王国、王都レクエルド。ユティーナとの別れは、早くもすぐそこまで近づいていた。
「ありがとうございました!」
門のところで下ろしてもらい、三人で馬車の御者にお礼をする。時間はちょうど夕方になったところ、夕陽がまだ燦々と輝いていて、街中を歩く人もまだ多い。魔物の襲撃等があったため、予定していた到着よりは遅れたものの、人が少なくなってくる夜につくよりかは断然いいはずだ。
馬車が遠ざかって行くのを見送っていると、ユティーナは笑顔を浮かべて振り返った。花の笑顔、そう形容するのが正しいと思うほど、彼女の笑みは可愛らしく太陽の光と比べてもなお一段と輝いて見える。
「じゃあ、ここで私は」
「あ、そうか。じゃあ……」
つられたように笑顔になってしまうが、心境としてはかなり落ち込んだ。そういえば門のところで別れるんだったっけ、あぁでももう少し長くいられないのだろうか……せっかく仲良くなれたのに。そんな気とは知らないユティーナは、纏めた黒髪揺らしながら街の大きな通りの方へ歩きだす。少し進んだところでまたこちら側を振り返り、大きく手を振ってきた。
「さようなら!」
「……バイバイ!」
せめて、と私は大きく手を振りかえす。それを見届けたユティーナは、通りの奥へ走り去っていってしまった。――あっけない別れだ。陽気に走る黒い歌姫は、夕陽の中でもよく目立つ。
しかし角でその姿が曲がってしまうと、なんとなく寂しく感じて、挙げた手も下へと垂れる。少し感傷に浸っていると、兄さんが私の肩に手を置いてくる。
「また会えるって。あの子がこの街にいる限り」
「後、私達がこの国から出ていかない限り、ね」
出ていく予定など、万に一つもないが。
――さて。兄は今日中に協会に寄るという旨を手紙に書き、先行する馬車の人に届けを依頼しているはずだ。もう既に届いているだろう。今からは協会に行くことへ頭を切り替えなければならない。
協会の建物は街の東側に流れる川のほとりにある、活気のある中央の大通りと違って人気の少ない、寂しいところ。灯りが少ない場所だ、さっさといって用事を済ませた方がいいだろう。……用事と言えば、先週の依頼の報酬を協会へ貰いに行っていない。どうせだからそちらも済ませておこう。兄と私、お互いに顔を見合わせて大きく頷き合うと、自分達の右手側にある川の方へ歩きだした。