第三幕『旅の始まりと最高の誕生日』
「受理してくれるのだな! さらに新しいギルドの誕生! いやー、めでたいね」
聞き覚えのある声が扉越しに聞こえた、そう思った瞬間。応接室の扉が勢いよく開かれ、皆で一斉に入口へと振りかえる。そこにいたのは目を爛々と輝かせた協会長、自分の体が、立ち上がるその体勢のまま止まる。この人、まさか。予想外過ぎて固まる場に向けて、協会長の後ろ手から紙が一枚取り出された。見なくてもそれが何なのか、察して。
「とりあえずギルド新設の申請だな!あとは依頼受理用の記入用紙とおぅっ!?」
「かくれんぼの次は盗み聞きですか。いい度胸をお持ちのようで」
書類を右手に持ったまま協会長はその場で止まった。協会長の叫びに消されてしまったが、とすっと場違いな音が聞こえていた気がして、思わず彼の方を凝視する。協会長が挙げた左手のすぐ脇には、今飛ばされたものとみられる短剣が扉に軽く突き刺さっていた。慌てて振り返れば、手の中で短剣を弄びながらエイブロは視線を私に合わせてくる。間違いない、投げたのは彼だ。協会長は刺さった短剣を横目に見ながら、扉を閉めつつ小声で囁いた。
「え、エイブロ君、盗み聞きくらいでちょっと恐くないかいひぃぃっ!!」
とすっとまた小さな音、今度は協会長の足元、立っている場所のすぐ前に短剣が突き刺さっていた。狙いを定めるためか、エイブロは微妙に腰を浮かせて次を準備していた。やる気満々だ。
一方、協会長は少年に任せたのだろうか。兄さんが紅茶うめぇなーと場違いな発言をし、ノウゼンさんはそうだな、とこれまた場違いな相づちを打った。意外にもユティーナは止めず、優雅に紅茶へ口を付けている。朗らかに笑いながら少年は協会長へ短剣を見せつける、悪いことは何ひとつもしていませんよ、と言いたげに。
「すみません。手が滑りました」
「滑ったんじゃないよね?!今こっちに向かって投げたよね?!まったく君と言う人はぁっ!?」
とすとすっと刺さる音が連なる。よく見ると扉に接した協会長の、左目と首のすぐ傍に短剣が突き刺さっていた。もはやここまで来ると書類に当たっていないのがすごい。
小さくため息を長くついたエイブロは、左手の指の間に先程より少し大振りの短剣を挟み、投げることが出来る体勢で構えている。明らかに慣れた行動、次に余計なことを喋れば命はない、と脅しているようなものだ。
「え、エイブロ君、」
「……何か言うこと無いんですか?」
「私が悪かった!すまなかった!!これからは真面目にします!!!」
「はい、ありがとうございます。さっさと書類を寄越してください」
おずおずと協会長が書類を差し出すと、エイブロは無理矢理書類を引ったくる。恐喝に強盗、あるいは脅迫に強奪、これだけ聞けばただの犯罪者だ。協会長は緊張が急に解けたらしく、落ちるように床へ座りこんで、私達の行動をぼうっと見ている。先ほどまでの笑みを消し、無表情で書類に目を通していたエイブロは、私と同じで何かしらの予感があったのか目を閉じてそっと言葉を溢した。
「俺たちがなんと言おうと、依頼を受けさせるつもりだったんですね」
エイブロは机の上に書類を放り出す、協会長がみるみる顔を真っ青にして目をそらす。言葉に思い当たる節があって、ソファから身をのりだして書類を間近で見ると、エイブロの細い指が書類の一番下を指す。
――依頼受理者の欄。ギルド代表としてガディーヴィ・クラスペディア、つまり兄さんの名前が記載。さらにもう一枚、ギルドを新設する際に記入する用紙には先ほどの兄さんの名前を先頭に、ティリス・クラスペディア、ノウゼン・フォン・ディモルフォセカ、ユティーナ・メリオル、エイブロ・グラーシアとすでに記入されている。両方とも推薦人の欄には協会長の名前が書かれていて、空欄は実質のところギルド名のみ。男の人にしては丁寧な字で書かれていて、余計に腹が立つ。依頼を受けると決めたから別によいのだが、それにしても断り一つ無いとは。しかし、どうやら兄さんの心配は別のところにあるらしい、肩を落としながら書類を持って。
「俺、勝手に代表者にされてるし……」
兄さんは代表者になどなりたくないのだろう。目立ちたがり屋ではあるが、先頭に立って引っ張っていくような柄ではない。確かに見た目的には代表者に近い兄さんだが、実際の代表はノウゼンさんかエイブロの方がいい気がする。とはいえ、もうすでに書面に書かれた以上、変更には新しい紙に書き直す必要がある。正直面倒だ――なんて言ったら兄さんに怒られそうだが。ユティーナが項垂れる兄さんの肩に手をそっと置いた。
「私はガディーヴィさんでいいと思います」
「そうだな、見目はお前が代表者っぽい」
ノウゼンさんが邪気を含んだ笑顔でフォローする。フォローというよりかは茶化している、の間違いか。ほふく前進で逃げようとする協会長の首根っこをがっしり掴んで、エイブロは頷いた。
「俺もガディーヴィさんでいいですよ」
「皆が良くても俺は良くない……」
「諦め悪いなぁ兄さん。もう訂正効かないって」
私の言葉を聞いてさらに項垂れる兄さんを見て、また皆がくすくすと笑う、もちろん兄さんの周りの空気は暗いままだが。誰一人譲らないために四対一となり、結局このまま兄さんがギルド長に落ち着きそうだ。不意に協会長が間抜けた声であ、と呟くと全員がエイブロの手元を見た。まだ首根っこを掴まれたままの協会長は、器用に服の裾から紙とペンを取り出す。
「君たち、ギルド名は何にするんだ?」
全員が一斉に協会長から別のところへと視線を移す。考えていなかった、名前については何も。それは他の人も一緒だったようで、誰一人何も言わない。場に微妙な空気がなだれ込んだまま時間が過ぎていく。
「……ええと、こういうのってどうやってつけるのかな?」
「さあ……私も分からない」
「お前代表者だろ。決めろ、ガディーヴィ」
「無理。いやなこった」
だめだ、埒があかない。このままではただ時間を無意味に過ごすだけ、なにかこう、何か提案が出来ればいいのだが。生憎とこういったことには全く関わってこなかったせいで、何を考えればいいのかも余り理解できていないような気さえする。その時、じっと様子を見守っていた協会長がこんなことを口にした。
「君たち魔法中心だからねぇ……かっこよく決めるなら、古語とかの方が聞こえはいいんじゃない?」
そういう問題か。協会長からしてみれば、魔法と言えば古語なのだろうか。だが一つの手段だと考えて少し思う浮かべてみることにした。自分の中で古語……と言えば、真っ先に出てきたのは少女が紡いだあの歌。赤髪の少年に相談していたユティーナに呼び掛ける。
「ユティーナ、何か古語で聞こえが良くて意味もそれなりにいい言葉ってある?」
「えっ、あ、ごめんなさい。私あまり単語に詳しくなくて……それに、何か指針がないと」
「そっか……」
そういえば彼女は歌詞の意味が分からない、と言っていた。話を振ったことに申し訳なくなりながら、違う方向を向いてまた思案する。皆でいろんな方向に向いて唸るものの、ばっとしたものは誰も出てこないらしい。意味がいい言葉ってそもそもなんだろうか、山とか自然の方がいいのか。古語で一応考えるものの、私が知っているのはほんのわずかで役には立てそうにない。もう普通の言葉で考えるか、そう提案しようとした時だった。
「インペグノ……」
全員の目がノウゼンさんへと向けられる。彼が小さく呟いた言葉が、普通の言葉では無かったからだ。ユティーナの反応があったのできっと古語なのだろう、それにしてもどういう意味なのか。ちゃんと聞き取れなかったらしい兄さんが、言いにくそうにしながらも銀髪の青年へと尋ねる。
「何だ、その、い、い……?」
「インペグノ。古語で、約束っていう意味だ」
「へえ……いい響きじゃないですか。俺はそれがいいですね」
「あ、私も賛成です」
真っ先に賛成を示したエイブロ、ユティーナ。二人に続いて兄さんも頷いて同意を示し、ノウゼンさんは私に視線を向けてきた。とても綺麗な響きを持つ古き言葉、気に入った、その単語の意味も含めて。私も頷きを見せると、ノウゼンさんは手に持った書類を協会長へと手渡す。
「じゃあ、協会長。俺たちのギルド名の欄にはインペグノ、とお書きください。綴りは"Impegno"で」
協会長は了解!と言って首を掴むエイブロの手を払い、扉の向こうへと消えていった。思わずほくそ笑む――俺たちのギルド、か。書類を出してしまった以上、もう依頼を受けないという道は残されていない。
「約束、か。そう名付けるからには、約束は守らないとな」
エイブロが言うと、皆が黙って頷いた。それぞれ見合せた顔は先程の笑顔などではなく真剣な表情。依頼内容は恐らく敵国へ実際に行っての調査、そう簡単に解決出来るわけではないが、かといって依頼をおろそかにするわけにもいかない。このメンバーで、少なくとも依頼を達成するまでは、何とかしなければならない。
「交わした約束は必ず果たす、ってね」
何となく思い付いた言葉を言うとそうね、とかそうだな、と同意が周りからでてくる。今までならたった一つ、兄からしか返ってこなかった返事が複数ある。兄さん以外の、仲間。今までが大概二人だったので五人でも大人数に感じる――だが、今から慣れていけばいい話。幸い、すぐに付き合いが終わるような関係ではない。応接室から次々に出ていく皆を追って、最後に期待を込めて扉をゆっくりと閉めた。
案外誕生日も悪くない。私にとって今日は最悪の、そして最高の誕生日だ。
――ここに一つのギルドが誕生した。ギルド名、インペグノ。交わした約束は必ず果たす、その願いと誓いをかけて――