紅茶がユティーナの手によって新しく注がれる音が室内に響く。二人の女王の横、ソファには座らず将軍はその手つきを見守っていた。淹れ終わったところで紅茶のカップを手に取り、窓際の壁へと凭れ、早速口にしていた。
 説明を求めるノウゼンさんに頷き返し、黒髪の少女は身体を上半身を私達の方へと向け直した。

「ユティーナ、お前は、何者だ?」
「――私の名前は、ユティーナ・メリオルではな
く、ユティーナ・イル・アルストメリア。ノエル――ノエル姫がおっしゃったように、キャロル姫の娘でこの国の姫です。十数年前までは確かにこの城で過ごしたし、もちろんこの三人と面識があります」

 紅茶のカップを取るキャロル姫は決して彼女とは目を合わせようとはしない。反対にノエル姫はじっと見詰め、射抜くような視線を向けている――まだ疑っているのだろうか。
 ノウゼンさんは一度だけ深く頷く、どうやら何か思案はしているものの、それで彼女を責めるつもりはないらしい。

「でも、姫がどうして旅人なんかやっているんだ?」
「それがわからないんです」
「「は?」」

 兄さんの素っ頓狂な声とともに、ほとんど全員の声が重なる。一番驚いていたのは目をそらし続けていたキャロル姫だ。どうやら知らないということにびっくりしたようだ。その様子を見ていたユティーナも不思議そうに首を傾げ、話を続けた。

「分からないんだって。はっきり覚えているのはおば様に育ててもらった所ぐらいで、後は曖昧なの」
「おばさま?」
「……あれ?私預けられたんじゃないの?」
「いや、そんな者はいないはずだが……」
「あ、あれ?森の中にいて、」
「そんな怪しい人に預ける位なら自分でちゃんと育てるわ」

 さらりと酷いことを言われた気もしなくもないが、とにかく彼女と彼女らにはなにか大きな勘違いというか誤解が生じているらしい。
 将軍は漸く壁から背を離し、少女の肩へと触れようとした。けれどもその隣、赤髪の少年がひと睨みをすると、彼はすぐに呆れたように手を引っ込める。代わりに動いたのはその口だ。

「つまり、姫さんは知らない誰かに連れ去られ、記憶を消された上でそのおばさまとやらに渡されたってことだ」
「……え、連れ去られた?」
「それは覚えてないようだな。お前は移動中に襲われて、行方不明になっていたんだよ。その後すぐに事件が起こって戦争になったから、混乱を防ぐために皆と話し合って、お前の存在は伏せておいたんだ。まだ七歳になっていなくてお披露目もしていなかったからな」

なるほど、とノウゼンさんは納得したようで、紅茶のカップに手を伸ばしていた。つまりは、居なかったことにされたということ、けれども本当に襲われたのならば、その襲った側はなんの目的があったのだろうか。命を狙っていのならば彼女を攫うのではなくその場でやっていただろうし、どこかに連れて行くにしてもその「おばさま」に預けた意味とは?

「とまあここで疑問が生じるわけだが、そこの赤毛の坊っちゃん」

 エイブロがゆるりと顔をあげる、心底嫌そうな表情だったが話は聞くらしい。将軍はカップを置いて腕組みをし、その表情をじっと見つめる。一切そらすような素振りはお互いに見せない。

「どうしてユティーナが姫だとわかっていてそれを教えなかった?いや、そもそも何で知っている?」
「情報屋が知っていても可笑しくねえだろ」

 どこかで似たようなセリフを聞いたことがある気がする、と思案していると、兄さんの向こう側からそれ俺にも言ったよな、という言葉が聞こえてくる。そうだ、ノウゼンさんにも似たようなことを言っていた。情報屋だから色んな事を知っていて当然だ、とかそんな感じの言葉だった気がする。
 簡単に返された事に対し将軍はただ眼を細めるだけ。

「じゃあ、何で教えなかった?お前が情報屋だって言うならば、俺たちが姫を探しているのを知っているはずだ」
「知っていた。けれどもお前らの対応を見る限り、歓迎できるような状態ではなかった。あんな物々しい雰囲気の中に彼女を連れて行くと思うか?」
「そんなに?」
「少なくとも探すのに軍の部隊を連れて行くとは思えねえな」

 ユティーナはばっと顔を上げ、レオノスさんを見詰める。物々しいというよりそれこそ誰かを捕まえに行くようなものだ。エイブロが言わなかった理由も分かる――しかもそこに加えて将軍が盛大な舌打ちを漏らしたものだから、全員の視線は疑いの眼差しとなって黒髪の青年へと注がれた。
 ノエル姫は一つ息をつくとカップを机へと戻してユティーナの方へと向き直った。――こうしてみるとキャロル姫と双子だというノエル姫も彼女とよく似ている、一つ一つの動作なんて特に似ている。同じ色の髪を揺らして、この一国の主は青紫の瞳に強い光を灯した。

「ユティーナ。お前には、国が落ち着くまでできれば、ギルド・インペグノのメンバーの一人として生きてほしい」
「御姉様!」

 隣にいた双子の妹から悲痛な声があがる、けれども言った本人は彼女の頭を、そっと撫でて宥めただけだ。将軍もノエル姫の意見には賛成のようで、キャロル姫の言葉にため息をついていた。――嬉しさもあるが、同時にそれでいいのだろうかと思ってしまう。確かに、私達とまだ旅を続けられるなら嬉しいに決まっている。彼女の戦闘がどうとか、魔法がとか、歌がとかではない。仲間として出会った彼女と、敵国のお姫様だから問ことでこのままさよなら、なんて哀しすぎる。けれども、それは彼女が元の暮らしにはまだ戻れないということと同じ。本来いるべき場所は、このソファではなくきっと、二人の王女が座っている前のソファ、そして旅路の砂利道などではなくこの城の廊下だ。
 納得がいかないらしい妹姫は、自分の娘のユティーナ――それにしては若く見える、ということは一先ず置いておくしか無いのだが――と自分の姉を交互に見詰める。

「そんな、やっと、やっと会えたのに……!」
「今、仲間と引き離す方が残酷だぞ?」
「それは!……そうだけど」

 ちらりとキャロル姫は私達の方へと向いた――寂しそうな瞳に息が少し詰まる感覚を覚えつつも、その判断をするのは私達ではない、と首を振った。ノエル姫は眼前の少女に問いかける、その意志を。

「ユティーナは、どうしたい。ここに残るというなら」
「残りません」
「――ほぉ」

 あっさりと答えた黒髪の少女へと皆の視線が集まる、決意は固そうだ、きっと聞かれる前に考えていたのだろう。彼女は軽く息を吸うと皆へと再び視線を向けて、やんわり微笑んだ。その薄紫色の瞳には、ノエル姫と同じように強い光を輝かせて。

「私は必ず生きて帰ると約束しました、それがちゃんと果たせるまでは、こちらには帰りません。――交わした約束は必ず果たすと決めたのですから」

 ユティーナの言葉にキャロル姫はとうとう諦めたようだ、浮かしかけていた腰を下ろし、深くソファへと凭れる。その表情にはやはりどこか寂しげな雰囲気はあったものの、仕方ないわ、そう一言呟いて姿勢を戻した。

「もう逢えないわけじゃないし――今回は、私が諦めるわ。けれど絶対よ、落ち着いたら、ここに帰ってきてね」
「……うん、必ず。約束するわ、ここに帰ってくるって」

 テーブル向こうから差し出された細くきれいな手を、少女は両の手でぎゅっと握り返した。約束の証、それを見て当の本人たちに加えて周りも笑みを溢した。黒髪を一つに束ねた一国の女王も、深い緑を伏せた赤髪の少年も。

「今日はゆっくりしていけばいい。お前たちだってさっき戦って疲れているだろう、一晩くらいならばこの城に――」
「それは無理な相談みたいだぜ、ノエル様」

 話を中断してレオノス将軍は言葉を挟みつつ、カーテンの隙間から窓の外を見つめていた。ノエル姫は怪訝そうな顔をし、ソファから立ち上がる。
 ――そのときだった。背筋をゾクリとなで上げるような強い気配、しかも明らかに好意的ではないそれらに、自然と持っていた荷物を身体へ引き寄せる。なんだ、何なのだ今のは。

「こわ―いお兄さんが訪ねてきたみたいだ、しかもこのタイミング――狙ってきたなあいつ」
「ふむ、予定よりも早過ぎる。さすがは将軍にして同盟軍総大将殿、こちらの予定などお構いなしというわけだな」

 お兄さん、将軍、そして同盟軍の総大将と聞いて思い浮かんだ人物はただ一人。クラベスと呼ばれる者とともにこの地に居た奴隷たちを救い、建国にも携わったというその人――ナヴィリオ将軍。元々彼やクラベスに会うためにここへと来たのだが、彼らの反応を見ると、どうやら会わないほうが良さそうな雰囲気だ。現にキャロル姫は】二人の会話を聞いて立ち上がり、先程までの危うげな表情はどこへ行ったのか、真剣な面立ちになってノエル姫の隣へ控えた。

「御姉様。彼らは裏口に案内します。この子たちとあいつを会わせてはいけない」
「――あいつなら捕まえるなどと言い出しそうだからな。分かった、私達が足止めしておこう、万が一を考えてお前は裏口でその子たちを見送った後、正門へと来い。レオノス、先行しろ」
「へいへーい」

 軽い返事をした後、短な黒髪を揺らしながら将軍は扉の向こうへと走り消えていく。今日ここに泊まるという話は一気になくなってしまったようだ、少し残念な気もするが仕方がないことだ。
 有無を言わさずノエル姫は行け、と私達に手で合図をする。どうやらすぐそこまで来ているようだ、レオノスが先ほどまで凭れていた壁に寄りかかり、カーテンの隙間を覗く彼女は、まるで森の中で戦っていた時のように真剣。

「ついてきてください、皆さん」
「あ、は、はい。――あの、ノエル姫」

 私が名前を呼ぶと、彼女は視線だけをこちらへ向けてくる。頭を小さく下げながら、少し早口で彼女に言葉を伝える――最後だとは思っていない、寧ろ次があると信じているからこそ、伝えたい。

「今日はありがとうございました。次があるのなら――今度は、フェアリーレンのお勧めのお店を教えて下さい」
「――またいつか、会う機会があれば必ず」

 ようやく彼女の顔に笑みが浮かぶ、ユティーナと同様に約束をした私は、足を止めてくださったキャロル姫に礼を言いつつ、応接室の扉をくぐり抜けた。
 廊下へとでたキャロル姫は、ドレスを持ち上げながらその先へと走って行く。重たそうな服だというのに追いつくのに必死になるほど、彼女の足は早い――いや、やはり彼女たちは人間ではないのだろうか、とすら思い始めた頃、他の扉よりも小さなそれの前で彼女は足を止める。

「この先は森につながっています。外に出られたらまっすぐ西へと進んでください、そうしたら大きな街道に出ると思いますので、今度はその街道を北上。広い荒れ地に出たら、鉄の森へと行けるはずです」
「真っ直ぐ西、北上――分かりました、ありがとうございます」

 ノウゼンさんがキャロルさんの言葉を復唱し、頭をペコリと下げる。キャロルさんは一つ頷くとユティーナに近づき強く抱きしめた。

「……ユティーナ」
「次に会った時に、色んな話をしよう。大丈夫、また会える」
「あ、待って、これあげる」

 キャロルさんはドレスの装飾についていた涙滴型の宝石を取り外す。元々ついていなかったものだろうか、淡いピンク色の半透明なそれはいとも簡単に外れて、キャロルさんはそれをユティーナの手に握らせた。

「トレーネと呼ばれる魔法器具よ。魔素の供給を促すから、魔法の発動が綺麗にできると思うわ」
「い、いいの?」
「私にはもう必要のないものだから、遠慮無く貰って」

 今度は譲らないと言わんばかりにニコニコと笑みを浮かべる。ユティーナは諦めてそれを受け取り、ベルトバックへとしまう。
 ちゃんとしまわれたことをその目で確認した彼女は、ドレスの裾をゆったり持ち上げてお辞儀をする――ハイマートの正式な貴族の女性の礼。それはこの国が元々ハイマートだったことを示す。

「お気をつけて」

 たった一言、キャロル姫はそう言って扉に手をかけた。鬱蒼としげる森、切り開かれていないが彼女の言うとおりに進むだけの話だ。
 皆が彼女の手に背中を押されるまま外へと出ると、兄さんは 黒髪の女性に頭を下げる。

「ありがとうございました、またお話を聞かさせて下さい」
「こちらこそありがとうございました……どうか無事で、皆さん」
「もちろんです。キャロル姫も、お気をつけて」

 頷いた彼女は踵を返し、再び廊下の向こうへと帰って行く。扉を閉めながら兄さんはユティーナへと笑いかけた。

「さてと、ユティーナ」
「え、あ、はい」

 いきなり名前を呼ばれた少女は顔を慌てて上げ、目を瞬かせた。どうしたの急に。そう思っていると兄さんは満面の笑みで答えた。

「お帰り、俺達のギルドへ」
「あ――ふふ、ただいまです、皆さん!」

 その笑顔は、今まで見た中でも最高級の笑顔だったと、そう思った。
 そう、私達はもう安全だと、そう過信していた。将軍を止めに行ったのはこの花の国の将軍と女王、そこにもう一人の女王が加わるのだ、心配ない、きっと止めてくれる。
 けれどももう一つの可能性に気づけなかったのだ、この世界では当たり前の奇跡――魔法。その魔法には女王たちが使っていた"幻覚魔法"という物があるらしい。術者以外を惑わせ、目を欺く不思議なそれ。それを使える人は二国の中で何人かいるのだという。アルストメリア王国女王ノエル・イル・アルストメリア、同じく女王キャロル・イル・アルストメリア。そしてもう二人……フォブルドン共和国将軍ナヴィリオ・オクシペタルムと同盟軍軍師クラベス・ディクタトル。
 私達は城の正門でとんでもないことが起こっているとは露ほどもしらず、森のなかへと誘われるように早歩きで歩いて行ったのだった。

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