終幕「私がここにいる理由」


 物心がついた頃からあの夢を見ていた。私が歳を重ねる度に視線の高さは高くなって、気づけばいつの間にか彼の背を抜いていた。彼よりも小さかった私は、学校に入り始めた頃には彼が成長しない事を知り、よりそれが夢なのだと、彼はただの夢の住民だと勘違いし始めた。――それも、もう終わったこと。
 夢にうなされることは最近になって急激に少なくなってきている。それもそうだ、このところあの夢は大きく変化して、昔よりも現実的になった。そもそもあの子どもが銀色の大地を踏みしめて私に近づくのも、名前を呼んだ後に何かを話すことも、今までには無かったことだった。あの誕生日――私たちが可愛らしい黒い歌姫や掴み所がない赤髪の情報屋と出会い、ちょっと憎たらしい雷の研究者と再会し、今までしたことのない国外への旅を決意した日、思えばあの日の夢で変化は訪れた。何かを指し示していたのだろうか、或いは一つの予言のようなものだったのだろうか。今度聞いてみよう、どうせあの少年とはまた出会うだろう。現実か、それとも夢か、まだ私には分からないが。


 重たい足を引きずって、静かにただひたすら西を目指して歩く。兄さんと彼に肩を貸しながら先を行くノウゼンさんたちには前を、残り三人で追撃を警戒しながら後ろを。そういう話が合ったにも関わらず、気力が殆どなかったためか西に歩を進めるにつれて警戒は薄れていく。それを見て青年は息をつくも、咎める気は起こらなかったらしい。
 こんなにも私たちが疲弊しているのは、紛れも無くあの将軍のせいだ。今度からはもっと臨機応変に対応する必要がある、技を磨かなければ遠く足元にも及ばない、そう思い知らされた。先生たちに襲撃という名の鍛錬を受けてから一周間が経とうとしているのが信じられない、結局私たちだけでまともに戦闘出来たことは無かった。ノウゼンさんの言う通り個々が訓練して、戦えるようにしなければ――ああ、でも一つ今更ながらに思うことがある。それは、このメンバーで旅をするのはもう無いことかもしれないということだった。
 先が思いやられる、そんなことを思っていたのももう一週間前。目処がまだ立たないために、このギルドが解散するときは伸びていく。それでもいつかは訪れるお別れが、実はすぐそこに迫ってきていることには驚くことしか出来ない。少なくともこれ以上のことは依頼の中には含まれておらず、報告が終わればこのギルドの目的は達されてしまうのだ。あまりにも色んな事が起こりすぎて、今もまだ整理が出来ていないことが多いのだが、どうなってしまうのやら。
 ふと兄さんが後ろを、私たちの方を振り返る。視線を向けられた少女はきょとんとして首を傾げた。

「ガディーヴィさん……どうされましたか?」
「いや、なんか考え事か?さっきからぼうっとしてる」

 少女は心底驚いたような顔をしてその場に突っ立ってしまい、私たちもつられてその場に留まる。どうやら兄さんは彼女のことを気にしていたようだ、目を伏せた少女に皆の視線が集まった。ぽつりぽつりと呟くその声は、怒られるのを怖がる小さな子供のよう。

「私は、知らなかったとはいえ、皆さんを騙していたのだと思うと……知らないことは罪なのだと」

 その言葉を聞いて小さくため息をついたのは銀髪の青年。銀糸を揺らして首を傾けて眉を潜めた彼が紡いだのは意外にも、彼女を気遣うような言葉だった。

「騙していた、というには少し捉え方が違うんじゃないか?お前が知らなかったのは事実だし、本当のことを言っていたのだろう、お前の記憶から見れば」
「それは……そうですけれど」
「俺はお前の言葉は今でも覚えている。「穏やかに暮らせたら」、あの言葉は今だって本心の言葉なんだろう。なら、その言葉が実現できるようにすればいい。お前は何も間違ったことはしていない、少なくとも俺達の前ではな」

 ユティーナが目を開いて目の前の男を黙って見詰める。どうやらその答えは予想していなかったらしい、言葉なく青年を見る少女は頷いて、歩を進めようとした。
 しかしノウゼンさんはまだ動かない、ほんの少し視線を横へと逸らして、赤髪の少年の方へと鋭い視線を向けていたからだ。

「……俺は、ユティーナよりもお前から話が聞きたい。エイブロ」

 冷たい言葉にゆったりと赤髪の青年が顔をあげる。その表情には諦めの色が見えて、いつもの彼ではないということは明白だった。それでも銀髪の青年は言葉を重ねる、そんなことで容赦してはくれなかった。

「お前はユティーナと違い、ほとんどの人間を騙していた。これでお前の信用は完全に失った」

 ノウゼンさんの言葉を聞いているはずなのに、エイブロは黙ったまま。視線を逸らした彼が見た先は何故か少女で、向けられた方も困ったように首を傾げている。横から口出ししていいのか迷ったところで少年は、口を開いた。

「――ユティーナ。お前の記憶はまだ、全部は戻っていないはずだ」
「え?」
「何故俺がユティーナの記憶について知っていたか、それが思い出せたらノウゼンさんたちに話してほしい。俺の口から言う訳にはいかない」
「またそうやって逃げる気か」

 兄さんが思わずその肩から離れようとした、それほど青年の声はとてつもなく低くて、正直離れた方が懸命だと思った。それでも青年の肩を掴んでいたのは、きっと単に彼がまだ身体の調子を戻せていないから。
――銀髪の青年と赤髪の少年は、この旅の間に何度も衝突を繰り返している。よく似た二人なのだろう、実際の掴み合いになってはいないだけで、相手が言葉の裏で何をどう考えているかは分かっていそうだった。

「逃げているわけじゃない、ただ俺が言えることじゃないっていうだけだ」
「よく他人事のように扱えるな。お前、俺以上にこのギルドを信用していない――いや、信用はしているか。お前はこのギルドを仲間なんて思っちゃいないだけとか」
「……その質問には、俺があんたにしたいぐらいだけどな」

 腹の内を探る青年の言葉尻を捉えて、少年は目を逸らしながらも口元を歪めた。けれども青年もまた目を細めて小さく笑う。

「はっ、俺はこのギルドに期待しているだけさ。お前みたいに利用するためにここにいるわけじゃない、少なくともお前よりはマシな理由だろ」

 少年はただ静かにその足音を消して歩き始める、どうしたって言葉を否定してくれないらしい――それを、悲しく思ってしまうのは彼を信じたいから。勿論裏切りなどではないということは心に安堵を覚えさせるものの、そういう考え方はどこか寂しくて。

「腹を割って話してくれるほど、お前はここに身を置こうとしていない」

 くすりと小さな笑い声を漏らしたエイブロは、ようやく彼の言葉へ静かに応える。ただし浮かべたのは哀しそうな笑み、不意に訪れた沈黙はノウゼンさんの言葉も奪ったようだ。

「……言ったでしょう?ハイマートに帰ったらお話しすると。俺の口から告げることが出来ることなら全てお話します。けれども、」

 ノウゼンさんの隣をユティーナの手を引いて抜いて歩いて、少年はもう言葉を聞いてくれる様子ではなかった。慌てて追いつくように歩けば、また立ち尽くす少女――握られていたはずの手は離されていた。
 背後から盛大なため息が聞こえて、どうにかその内容を拾う。二人共渋々歩いてきているのは気配で分かっていた。

「しかし、お前よく前を向いたままで様子が分かったな。背中に目でもついているのか?」
「雰囲気」
「――それでよく分かるな……俺も分かるようになりたい」
「ええと、お前には無理じゃねぇかなぁ」
 ボソッと呟いた言葉にノウゼンさんは何も言わず、ただゆらゆらと銀の髪を空に揺らしただけだ。さっきから兄さんが嫌味っぽいのは、やはりさっきの将軍の影響だろうか、そこまでなにか思うことがあったのだろうか。
 兄の気持ちをきちんと聞いたことは、そう言えばない。私がやりたいことを探すために旅に出たいと言った時も、二つ返事で了承したかと思えば、銀髪の研究者を引いて一緒に行こうと言い出して結局続けていた。本当なら、兄さんにだって何かやりたいことがあったはずだ――私に黙って、動き回っていたのだから。
 後ろに気を取られていると、突然赤髪の少年は言葉を口にする。どうやら少女に向けられたものらしく、近かった私にはたまたま聞こえてしまったものらしかった。

「心配するなよ、ユティーナ」
「え?」
「その内俺には罰が下るんだろうさ、だって人を騙した奴の末路なんて皆酷いじゃないか」

 空しい言葉が放たれる、何も言い返せず少女はただ、先を歩いて行く少年の姿を見てため息を付いただけだった。落ち込んだ様子のユティーナに追い付き、話しかける。

「あの、ユティーナ」
「はい?」
「その……エイブロって、いつもあんな感じで抱え込んじゃうの?」
「はい、いつもあれです。何かとんでもない悩みを抱え込んでいるようで、でも何も話してくれないんです。もしかしたら、私のことでもずっと悩んでいたのでしょうか……」

 その答えには私も答えられない、というより今もまだ事実として受け入れきっていない事だからだ。自分や兄、少年や青年とは決定的に違うと言ってもいい事柄、ずっと気にしていたそれを、彼女に打ち明けるように話してみた。

「こんなところで言うのもなんだけど、本当にアルストメリアで残らなくてよかったの?」

 姫なのに、その言葉はさすがに呑み込んだ。彼女がそれに縛られてしまうのは嫌で、けれどもあのクラベスが言った通り彼女はこの国の人間であって。けれどもその点についてはしっかり決意していたらしく、少女は首を大きく縦に振って笑顔でこちらを見てくれた。

「キャロルとノエルには、また会うと約束しました。だから、今はまだ大丈夫です。それに私はギルド・インペグノの一員ですし」
「え、あ、うん……?」

 一員、そう、彼女はまだギルドのメンバーだ。規約も何もないのだが、協会の名簿には確かにその名前が刻まれている。だがそこまで拘束力はないものだと考えていたので、思わず首を捻ってしまった。

「コルペッセさん達に言われたじゃないですか、生きて帰ってこいと。あれも約束ならば、帰らないと約束は果たせないです」
「ユティーナ」
「「交わした約束は必ず果たす」でしょう?」

 どこかで聞いた覚えのある言葉、更に首を傾けていると、先を行っていたエイブロが振り返り同じように首を傾げる。

「それって、ティリスが言ってたやつ?」
「うん、耳に残っていて」

 彼らの会話でようやく思い出した、少女が先程言っていたのはまだハイマートにいる時、依頼受理を決めた時に私が思いつきで言ったセリフだ。まさか言った言葉を覚えてくれているなんて思いにもよらず、その事実が急に恥ずかしくなり、慌てて言葉を継いだ。

「覚えて、くれてたの。あ、でもあれはあの場の思いつきで、特にそんな、考えていたわけじゃなくて、」
「そうだったのですか?ふふ、でも守るべきだと思いますよ、約束を冠するギルドなのですし」

 確かにそれはそうだが、それをすらすらと口にしてしまったというのが自分だというのが信じられなくて、また顔が熱くなるのを自覚する。ふと後ろから声が降りかかった。

「……ティリスなら命をかけてでも守りそうだな」
「え、それってどういう意味ですか」
「さあな」

 名前を呼ばれて立ち止まると、さっさとノウゼンさんは歩いていってしまう。どうやら兄さんに肩を貸すのは終わったらしく、とてとてと小さく歩いてくる自分の兄を見てほっとして――すぐさまその銀色の尾を追いかけた。

「ちょっと、待ってくださいって!」
「俺もノウゼンさんに同感」
「え、なんで?!」

 兄さんまで何を言い出すのかと思えば、訳がわからない。ああもう、いつもなら優位に立てるはずなのに、今回に限っては言われている意味が分からないために下に出るしかない。助けを求めて先を行っていた二人組に視線を投げかければ、にこにこと笑まれただけだった。

「ティリスさん素直ですよね、ノエルがあんな風に言うの、滅多に無いことだと思います」
「まっ、信頼できるし良いことだとは思うよ、うん」
「だから!皆してどうしたの!なに、なにあったの!」
「お前が一番このギルドで馬鹿正直だということさ」
「はあ?!」
 
 ユティーナとエイブロにまで言われ、慌てていると前から聞き捨てならない言葉が。褒めているのか馬鹿にされているのか分からないが、間違いなくその声音は後者だろう。槍が入った袋の紐を肩にかけ直して寄ろうとすると、案の定兄さんが止めに入った。どけ、と言わなかっただけ、まだ頭は働いているようだ。宥める声に怒りを撒き散らしてしまうのはしょうがないと思ったが。

「まーまーティリス」
「ああもう離して!殴らせて!!今こいつ馬鹿って言ったんだから!!十分殴る理由になるでしょう?!」
「わざわざ馬鹿正直だと褒めてやっているのに」
「その上から目線がムカつくんです!」

 青年は銀糸を翻してくるりと振り返り、にやりと一言。

「正直でいいことだなー……ふっ」
「あっ、今笑いやがりましたね?なんですかもう!」
「ちゃんとした言葉を話せ、変な言葉使いだと困ることが多いぞ」
「誰のせいだと思ってるんですか!」

 おかしい、さっきまで真面目な話をしていたのに、なんでこんなに笑いながら喧嘩しているのだろう。楽しそうにする周りのメンバーを見つつ森を抜けたそこは荒れ地、私たちがこの国を訪れて最初に見た場所だ。
 青年は小さな矢筒を背負い直し、立ち止まった少年に近づいていく。嫌味でも言うのか、勝手に警戒した私が面食らう結果となった。

「キャロル姫の言う通りに戻れたな。エイブロ、鉄の森を通るから覚悟しろよ」
「言われなくたって覚悟してますよばーか」
「子どもかお前は」
「ぶっ、子ども……!」

 ついに吹き出してしまった兄さんと少女を見て、笑い声が漏れ出す。あぁおかしい、本当におかしい、楽しい。このメンバーでいるのはとても楽しくて、先程までの暗い雰囲気など一気に吹き飛んでしまった。早く通ってしまおう、その声に合わせて全員が鉄の森への道へ走り出す。花の国から故郷の国、ハイマート王国へ。


 ――物語は遡る、一人の少年は隣に歩く青年に手を引かれていた。身長差だけ見れば親子のよう、けれども髪の色も瞳の色も違う二人はゆっくりと森の中を歩いて行く。その正体が将軍と国一番の軍師だということは、この国では最早周知の事実だった。
 一匹の狐が枝から話しかける、あの五人は森をまっすぐ西へ向かいました、滞り無く事は進んでおりますと。満足気に頷いた少年は銀の狐の青年に礼を言い、青年の顔を見上げた。

「ラドニクスに任せておいてよかったね。彼は中立だから情報は寄越してくれるもの」

 だがそんな少年の言葉に何も言わず、将軍はただ歩いて行くだけ。少年は答えを求めることを諦め、彼に合わせて一緒に歩くばかり。不意に青年はぽつりとつぶやきを漏らした。

「おい、危険な芽は摘んでおくんじゃなかったのか」
「おや、その言葉を覚えていたのかい。嬉しいねえ」

 おどけてみせると、将軍は更に眉を寄せて不快感を顕にした――どうやらかなり怒っているらしい。癖で上げていた片手を下ろし、代わりに握っていた手を強く握りしめて隣を進む彼を見詰める。かれこれ彼とは「百年」の付き合いだ、こんなことで喧嘩するのはしょっちゅうのこと、怖がることもない。

「前にも言ったけど、あれは特別。彼女たちは最後に倒すんだ。お楽しみは後にとっておかないとね…彼女たちを倒したあとは、希望も何も無くなってしまうのだから」

 ふ、と彼が小さく笑い、思わずと言わんばかりに少年も笑いかけた。どうやら真面目に話したことが青年の何かに触れたらしい、くく、とどんどん笑い声は可笑しなものになって、少年はくいと手を引いた。これ以上変なことをすると折角の冷静沈着で格好良い将軍のイメージが総崩れだ。
 将軍は笑いを堪えながら、少年へと言葉をかける。

「ふふ、真顔で相変わらず恐いことを言う」
「そうかな?これでも押さえている方だよ」
「まじか、それじゃ抑えない時の言葉はもっと酷いんだな」
「そうじゃない?僕には分からないや、自分が思ったように生きているから」

 そうだな、と軽く頷き返した青年の瞳は、穏やかに細められていた。その雰囲気を見て少年は昔を思い出す――まだ、こんな風に笑うことが多かった"あの頃を"。 伸ばされた小さな掌、笑う声は四つ、為す術もなく倒れていく青年の姿――そこで思考を断った。
 置き去りにされていくのはもう慣れた、何が変わっても何が始まっても、何が終わってももう驚いたりしない。自分たちはこの世界に取り残されてしまっただけ。皆が先に違う世界に行ってしまうだけ。

「さて、キャロル達のところに行こう。色々と話さなきゃいけないし」

 少年は森を振り返る、この向こうには逃がしたギルドがいるはずだ、まだ何も知らない金の髪を持つ少女と共に。ああ、これで彼女は夢の中で自分の名前を呼んでくれる。だがそれはただの前準備にしか過ぎない。これからだ、彼女が自分の運命を呪うとするならば。
 数奇な運命に皮肉を投げる、物語の幕開けにピッタリだろう。

「さあ、始めよう。ハイマートとの戦争に向けての準備をね」

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