第四幕「閉ざす記憶の鍵」

 図書館内で待っていた神官二人に対し、挨拶の次に行ったのは相談だった。もし自分の考えが正しいとしたら、この図書館内を探しまくった所で情報は出てこない。もしも、もしもの話だから特別証拠になるようなものもない、確証もない。それでも、相談だけはしておかなければいけないと思った。

「シエラの研究室?」
「というか……もしかして、なんですけれど。私たちが知らない場所にあるんじゃないかなって」
「普通の、一般人が入れる場所には置かない、ということですか」

 もしそんなところが存在するのならば、該当しそうな書物があるかもしれない。ただしこれはシエラが彼らの存在を隠したかったとするならば、という条件がつく。クラベスが彼女のことをあそこまで知っていたのは、もしかして彼女と知り合っていたからではないか、というのが私の考えである。彼らの情報が一切入ってこない今、彼らの過去が隠されている可能性は半々、といったところだろうか。時間があるため、一か八かの賭けでなかったことはかなり大きかった。まだ調べる時間の余裕は充分にある。

「この図書館を設立したシエラが、もしその資料を人目に触れないような場所に置いていたのだとしたら」
「ありえるわね。元々は研究を行うための建物だったらしいし、どこかに研究室のような部屋を作って資料を隠す位なら」

 聞く所によるとシエラの資料も他と比べたらかなり少ないらしく、詳しいことはほとんど分かっていないという。ただ大体同じ時代を生きた人間として、そして明らかに敵国の軍師であるはずの少年と接点があるようにしか思えない以上、何かを隠していてもおかしくない。
 一応と図書館内にあった資料を読むと、シエラはかなり謎めいた魔法使いだったようだ。人との接点も少なくその顔を見る者も少ない、彼女は結婚しているようだがその相手とも深くは関わっていなかったらしい。特に彼女は当時魔法使いの中では珍しい女性の研究者だったようで、あまり周りとの仲は良くなかったという。けれども誰よりもその才能は秀でていて、こうして後世に残る図書館を作れたらしい。しかしそれもまた、周りは認めなかった――出る杭は打たれる、そんなものなのだろうか。

「でも、問題はどこにあるかです。この図書館は昔から使われていますし、どこか隠し通路のようなものなどあれば」

 凛とした女性の声にはっとする、慌てて既に歩き出していた三人の後を追いながら話に聞き耳を立てる。この図書館はそれこそ百年前に建てられたものだ、誰かその間に見つけていてもおかしくはない。ましてや、この図書館の構造的に隠し通路があるとしたら床か天井くらい。そんなもの、絶対普通は老朽化と共に姿をしてくるはずで。

「シエラが認めていた者は入れるようにしていた可能性が高いです。……ただ、偶然見つけてしまったというのを防ぐためにも、何か普通はしないことを条件にしていそうですね」

 ならば、本人でないと開かない、なんてことはなさそうだ。けれども問題はその彼女の研究室へ行くための方法だ、それが分からない限りどうしたって前に進むことは出来ない。普通はしないこと、彼女以外でも使えたこと、限定的な方法――頭の中を巡ってはみるものの、そう簡単に思いついてくれることはないらしい。黒髪を三つ編みにして垂らしている女性、短な金髪から覗く眼鏡を指先で押し上げる女性、どちらもとうとう奥書庫に入るまで無言のままだった。

「……この図書館って、魔法は禁止でしたよね」

 その一言を切り出したのは銀髪の青年だった。何を当たり前なことを、とつい視線を送るも気付いてくれなかったようで、その表情に浮かぶ真剣さに口を閉ざした。黒髪の女性も何かに気づいたのか、小さく首を傾げながらその話題にきちんとした答えを返した。

「勿論です、本に何か被害があればもう取り返しの付かない物が多いですから」
「それっていつから言われていましたっけ。もし予め魔法を使わせないための手段として、それを公言していたのだとしたら」

 あ、と閉ざしていたはずの口から漏れる。確かに「本に被害がある」と言うのは、当てつけのような理由にも聞こえてくる。勿論私たちが学校で本を使用する時も同じようなことを言われたし、その面倒な規則が嫌になって図書館からなるべく身を離してきたのだ。けれども一つの疑問点――発動した魔法に指向性を与えるときにもまた、本を使う。余程そちらの方が危なっかしいはずだ。ならばそちらは何故指摘されないのか。もしや、特定の行動をさせないための規則だったのではないか、と。
 奥書庫の中に入り、天井や床を見詰める。特に何かが出来そうな雰囲気はやはりなく、何かしらの行動は起こさないと駄目らしい。金髪の女性はそっと指先を持ち上げ、小さく言葉を紡ぎ始める。詠唱しているのは空からの使者、紫色の光を映し出す雷魔法のようだ。しかし指先に灯りが灯るも、部屋の中は静寂を迎えたままだった。

「決まった属性とかあるのかしら…」
「けれど、それは余りにもにも不特定多数すぎませんか。どんな属性にも一定数の保持者は居ますし……」

 確かにそれではたまたま発動した魔法に反応してしまう可能性もある、それでは隠している意味があまりない。きっと誰かが知っても簡単には出来なさそうな方法だろう。無意識に頭の中では、少年が言っていた言葉を反芻していた。彼の言葉はいつだって何かしらの意味を持っていた、考えろ、もしもあの紹介に似た説明が彼なりのヒントだったのだとしたら。余計なことなど何一つ言っていなかったのならば。
 ――元は研究室だったものを図書館用に増築。類まれなる魔法の才能、貴族の娘でありながら研究者、魔法文化を一度大きく向上。最期の最後まで研究を続けていた。初めての女性の賢者――賢者。

「そういえば、シエラは女性初の賢者って」
「賢者?――三属性の魔法……?」

 黒髪の女性がゆったりとこちらを振り返り、ついで天井を見詰める。三属性、魔法の属性が三つ、ということだろうか。考え込んでいる女性の邪魔をしないように、先生であるユリア神官にそっと尋ねる。

「魔法の属性が……ですか?三属性も必要なんですか」
「ええ、賢者になるためには三属性の属性が使えなければ駄目よ。現在の保有者はフィオリア神官長だけ、たしか昔にはもう少しいたはずだけれど……そう、よく知っているわね。シエラは確かに賢者よ」

 どうやら思った以上に難しいものだったらしい、あまりにも自分とは縁のない話だと思っていた分知らない情報が大半だ。神官たちでさえ届かない賢者というその称号は、聞くことすらほとんどない珍しい物のようだ。
 この国の魔法使いたちには幾つか身分がある。一般的に魔法使いと呼ばれるのは私たちのこと、旅をしたり、研究所で研究者として働くことが出来るまだ数少ない魔法を扱える者たち。その上の身分と言えば魔導師――コルペッセ先生やユリア先生のように、人へ魔法を公的に教えることを許可された人たち。それ以上という存在とは中々お目にかかれていない。
 しかし、もしも三属性使える人間が必要なのだとしたら、そのフィオリア神官長を連れてこないといけないことになる。それくらいの労力は厭わないが、どうしたものか――そう思い王都へ帰るかどうか提案しようとした所で前方から声がかかった。

「――ティリスさん、属性は光と風ですね」
「えっ、あ、はい!あれ、話しましたっけ」
「その話は後で――ユリアさん、炎を使えましたよね。そしてノウゼンさんは雷」

 何故彼女が知っているのだろうかと首を傾げていると、残り二人はこくんと一度だけ頷く。昨日は魔法を使っていないはずだから分からないはずなのだが、という疑問は早々に振り払い、頭の隅に追いやってから黒髪の女性の方へと向き直る。三人に魔法の属性を尋ねたのだ、何となく今からすることに予想はついていた。

「皆さん、強めの継続魔法を使ってみてください。ティリスさんは風、ユリアさんは炎、ノウゼンさんは雷で。私は氷魔法で調節に入ります」

 けれどもその予想は微妙な進路変更を余儀なくされた。氷魔法での調節、とは一体どういうものなのだろう、そもそも調節など目にしたことがないため、想像がつかない。それはノウゼンさんも同じだったらしい、銀髪の青年は何事か考えていたようだったが急に顔を上げ、首を傾げていた。

「調節……ですか」
「皆さんの魔法を少しずつ削り、魔法の中に閉じ込めて同じだけ出力させます。同じ人間があたかも出していると思わせるように。どういう基準で判断するかはわかりませんが、闇雲に魔法を連発するよりかは――それに、神官長はお忙しいですから」

 やはり神官長へここに来てもらうことは難しそうだ。氷魔法には、それが可能なのだろう。そういえばあまり氷魔法を使っている人は見たことがないなと思い返しながら、魔法の準備へと入る。やはり図書館の中で魔法を使うことなど無いから、常識という壁が邪魔してくるようで、躊躇いが生まれているのが分かった。
 ふわり、肩に置かれる手に気がついて見上げる。そんなことをしてくれる人だと思っていなかったから、何度か瞬きしてから大丈夫です、と言えばその手は肩から外れて自然と下へと降りていった。やはり、少しは見直しやってもいい、この青年は思ったよりもいい人だ。
 肩から外した槍が入ったままの袋を、周りに当たらないようそっと立てたまま木の床へと付ける。強めの継続魔法といえばこれぐらいしか思いつかない、目を閉じて風の魔素へ手を伸ばし、槍の先へと集めるようなそんなイメージを頭の中で描いた。――数多の魔素を運ぶ乙女よ、その文句から始まる風を呼ぶ魔法を。
 槍の先に新緑の光が灯り、ふわりと浮かび上がる。魔素をかき集めている最中なのだろう、膨れては収縮、また膨れては収縮を繰り返していた。横を見れば銀髪の青年は手に持った本の上へ、淡い紫色の光を灯している。その中心ではバチバチ、と火花が散っており、触れるどころか近づくのも躊躇う勢いだ。一方、前方にいた神官の女性が作り出していたのは熟れた林檎のように真っ赤な炎、幾つかに分かれているそれが集まっては離れるのを繰り返している。あのコルペッセ先生も使っていた魔法だ、待機させた状態から目標物へ連弾のように飛ばす魔法。

「ありがとうございます。――"永久の静寂を閉じ込める騎士よ、貴方は天上に住まう者、今此処に小さき沈黙の檻を建て、弔いの花を飾りなさい"」

 黒髪の女性の言葉に空気は震え、ぱき、と音を立てた。図書館の中に建つ墓標のような小さな氷、けれどもその表面は薄くだが深い藍色の光に覆われており、思わず触れても冷たさも何も感じない。こんなに深い色の魔法は初めて見た、それは彼女の魔法がどれほど強いのかを安易に示しており、つい見とれていた。
 三つある氷の中央には、まだ継続中の魔法が閉じ込められている。氷の大きさはそれぞれ違うが、どうやら新緑の魔法は一番大きいらしい――恐らく魔法に対する魔素の量の違いだろう。光の合間に見える緑色も、赤色も、紫色も、どれもが美しく。

「綺麗……」
「氷柱花、というものがあります。文字通り花を氷の中に閉じ込めて見せる鑑賞法の一つなのですが……それをヒントに考案された魔法のようです。本来は罠に使われる魔法ですね」

 彼女の説明に感嘆を漏らしていると、直後変化は唐突に訪れた。がたん、と微かだが何かが外れる音、次の瞬間本棚の更に奥側、空いたスペースに梯子のようなものが出現していた。僅かに床から浮いているのは気のせいだろうか、少し不安定なようにも見えるのだが。
 だが彼のヒント、というのはあながち間違っていなかったということだ。期待と不安を織り交ぜにしながらも伸びる梯子を見ていると、金髪の神官は入り口を振り返って、図書館の書庫に続く扉へと意識を向けていた。

「シェスティ、私はここに残って誰も来ないように見張っています。二人を連れて上へ連れて行って」
「はい」
「さすがに何もないと思うけれど、先行してあげて」

 小さく頷いた女性はいきなり歩き出し、その後を慌てて追いかけながら頭を下げる。ここのことはそう口外するわけにはいかない、それなのに誰かが残って見張らないといけない、ということは完全に頭の外だった。感謝しながら梯子に手を掛ければ、覗き見上げたそこは真っ暗な闇、所々に炎のような光が灯されていて不気味だ。未知の空間に身を投じながら、自ら闇へと飲み込まれに行った。


 梯子を昇りきったそこは、ただの何もない空間のようにも見えた。けれどもシェスティさんの魔法によって赤く照らされた先に階段を見つけたため、そこを更に昇ってみる。図書館がこんなに高いとは驚きだ、2階建ての図書館など見たことがない。

「凄い、屋根裏部屋みたいですね」
「研究室と聞くと地下のイメージがあったのですが、違うようですね」

 確かに最初研究室の場所と聞いた時、真っ先に見たのはあの図書館の木製の床だった。組み込まれたその木の板の中に、もしかして別の何かが混ざっているのではないかと、密かに思ってしまったのだ。折り返すように伸びる階段を上がっていると、黒髪の女性はふと足を止めた。どうやら小窓が幾つか連なっているらしい、差し込む白い光に明かり代わりの魔法を徐々に消しながら、その表情に微笑みを湛えた。

「――この景色なら、確かに二階へ研究室を作るかもしれない」
「わあ!」

 途中の大窓から見えたのは北の港街の風景、その奥には大草原が広がり、更に奥へとずっと森が続いている。この図書館を作り上げたという彼の研究者もこの景色を見たのだろう、今は朝だから静かで涼しげな空気、街は白を跳ね返して青や赤の屋根が鮮やかに彩をもたらしている。きっと夜になればあちこちに明かりが灯り、綺麗な夜景となるだろう。ついうきうきとなりながら、彼女の後を追った。後ろから銀髪の青年がゆっくり、ゆっくりと登ってくるのをいいことに、女性へ尋ねる。

「あの……さっきの、属性のことなんですけれど」
「――私は、その人の属性が見るだけで分かります。……けれど、実は私自身も何故見えるのか知りません」

 眉が少しだけ困ったように寄せられて、申し訳なくなり慌てて謝る。分かるだけでも凄いと思うのだが、理由が言えないのは何となくつらそうだった。話題を変えようと何とか思考を巡らせるも、こういう時に限って浮かばない。そうこうしていると、彼女の方から話が降ってきた。

「エスペラルは元々港街として栄えるよりも前に、学術都市として栄えていました。その後港が整備されるまでは規模も小さく、街の北側はただの崖だったとか」
「崖、ですか?」
「当時は商人たちが南に行ってしまって滞在するものは少なく、活気もそんなに無かったと記録で見たことがあります。――コンステラシオン商会、ご存じですか。騎士団第二師団長のご実家」
「は、はい」
「あの商会とヴェストランテ商会、エステルダール商会、その他商会の連合に加盟していた大商会たちが港も充分に資源になる、と拓いたそうです。事実街は栄え、ここまで発展したのですから商会長たちには先見の明があったのでしょうね」

 かなりエスペラルの街に詳しいので首を傾げていると、この街の出身なんです、と付け加えられて納得がいった。また一つ学ぶことが出来たらしい、頭を下げてお礼を言うと彼女はまた微笑み、前へと向き直った。
 漸く終わった階段の先、木製の扉を開くとそこは研究室と呼ぶにふさわしい空間が広がっていた。三つの本棚に丁寧にしまい込まれた本や紙の束、一つだけ残された布を張っている椅子、小さな木の丸テーブルは古そうだが作業がし易いようにか、何枚かの書類だけを残して片付けられていた。足繁く通った者――恐らく本人だろうが、紅茶のポットやカップなどが置かれている。さすがに当時の紅茶が置きっぱなし……なんてことはなかったが、意外と空の瓶や缶はそのままのようだ。天上部分に組まれた木の隙間からは僅かな光、机の傍にはランプのようなものが置かれていて、ノウゼンさんによると魔法による明かりを入れておくためのものだという。

「これが、シエラの研究室」

 初めての女性の賢者で、この国で魔法文化を大きく飛躍させ、後世に名を残した魔法使い。それにしては、少し寂しさが感じられるのは気のせいではないだろう。こんな場所に研究室を作って、たった一人で研究を続けていたのだとしたら、どれほど孤独だったか。
 本棚近くに足を運び、何かクラベスたちに繋がる資料がないか探し始める。その時だった、たまたま足元に触れた塊に気付き、足をどけようと何気なく見下ろす。どうやら箱のようだ、やけに他と比べて更に綺麗にしてあり、気になって開いた。その中を見て、ほうと息を漏らしたのは偶然。

「どうした、ティリス。――ああ、手紙か」
「すごい量ですよ。十、二十……ああ、束なのでまだまだ」

 誰かと文通でもしていたのだろう、少し普通の人らしさを発見して喜んでいると、たまたま手紙の封筒から飛び出していた絵に目がいく。恐らく上手くしまい込めていなかったのだろう、飛び出している部分は完全に色あせてしまい、輪郭しか見えない。気になって取り出してみて、そこに描かれた二人組に驚愕した。

「――ノウゼンさん!シェスティさん!」
「クラベスとナヴィリオ……」

 間違いなかった、色あせてはいたが黒緑色の髪に赤銅の髪飾りを二つ下げる少年、薄い茶色の髪を後ろに撫で付けた青年、二人がどこか乾いた笑みを浮かべながら椅子に座っている絵だ。描いた人の腕がいいのだろう、絵の具は既に乾ききって割れた部分もあったが、二人の表情はまるで生き写しのように見えた。
 手紙の束を持ち上げる、この手紙はシエラと二人を知っている人物が書いたものなのだろう。だとしたらここに書かれている内容には、彼らに繋がる情報が載っている可能性が充分に高い。個人の、そして故人の手紙を勝手に見るのはかなり抵抗があるのだが、こればかりはどうしようもないと諦めることにした。
 黒髪の女性が机をじっと見ているのに気づき、手紙の束を一旦箱の中へ戻して彼女に近寄る。どうやら机の上にあった書類を読んでいるらしい、後ろから肩越しに見ると、それは古語で書かれていてすぐに視線を逸らした。どうにも苦手意識があるのか、読むだけではなく見るのも避けたくなっていた。ただ分かったことと言えば、あまりにも綺麗な字で書かれていたものだから、思わず目が引かれそうなものであることぐらいだ。

「――これは、別の方が書いた論文のようですね――高速詠唱、詠唱破棄、創術……魔法の分野ではかなり難しい部類のものばかりですね」

 論文、という言葉に銀髪の青年が反応を示す。今まで他のところを見ていたというのに、その言葉を聞いた瞬間こちらへと早足でやってきたのが決定的な証拠だ。高速詠唱以外はあまり聞いたことのない単語だが、魔法に関するものだというのならばノウゼンさんが反応したのも納得がいく。
 青年へと論文を完全に渡し、黒髪の女性は先ほど私たちが見ていた箱へと歩いて行く。その中を覗き込み、またその顔を上げてこちらに笑みを向けた。

「シエラの手紙と論文でかなり調査が進みそうですね。このままお借りして宿の方へと持って行きましょう。解析・分析は彼の方が得意そうですから」
「わかりました。ええと、許可とかはどうすれば取れますか」
「私が掛けあっておきましょう、シエラの子孫はいますから、その方にでも」

 箱を抱える彼女に笑い、雷の研究者へ声を掛けて論文をかき集めて手に抱える。その量また多く、こぼしかけた紙の束につい、心の中だけで笑った。


 がたん、がたんと馬車は大きく揺れて道を西へと進んでいく。行きとは違い荷物が多いため、あえて普通の馬車ではなく荷馬車を選択したのだが、かなり年季が入ったものを選んでしまったようだ。揺れる度に紙の塊である荷物が傷まないか心配になって押さえていた。
 図書館からシエラの研究室にあった手紙と論文を持って出た後、シェスティにはシエラの子孫だという人に許可と事後報告をしに、ユリアには現在の図書館長に奥書庫の説明と保全への協力の為に話をしに行って貰っている。手伝いたい、と申し出はしたのだがあっけなく断られてしまった。神官の権力さえあればなんとかなる、とはシェスティの言葉だが、彼女の威圧には相手も勝てないだろうな、とつい納得してしまったのは内緒だ。
 久しぶりの解放感にひたりながら、何度目になるかもわからない大事な荷物の確認をしていた。手を、目を動かしながらも考えるのはあの絵に載っていた二人のこと。どういう関係だったのだろう、国の中でもかなり上の地位を確かにしていたはずの賢者の女性、二人は別の国の軍師と将軍で、明らかにつながっていてはまずいような関係だ。否、あの花の国や彫刻の国が建てられたのは約四十年まえの話、それ以前は彼らの立ち位置はどうだったのか。

「どうした、かなり考え込んでいるみたいだが」
「あ……ええと、あの二人って何者だったのかな―って。ほら、ナヴィリオ将軍たちが言っていた言葉があるじゃないですか、あれがまだ気になっていまして」
「世界に見捨てられた俺達のことが分かってたまるか……みたいな感じだったな」

 気を遣うような研究者の言葉にゆっくり頷き返し、荷物の中からはみ出した絵を手に取る。自然な笑みですら無い、彼らがよくしていた勝ち誇った笑みでもない、どこか乾いていて諦めたかのような微笑み。この絵から読み取れることは少ないかもしれない、専門ではない自分が見た所で正しい見解が出せる可能性は低いかもしれない。けれども、そこにばかり目が行ってしまうのは、彼らをある程度知ってしまったからか。

「あの手紙も差出人の名前自体は明記されていなかったし、もしかしたら隠さなきゃならない事情があったんではないでしょうか、彼らに」
「しかも国を追い出されるような何かが」

 情報が少ない、知識も足りない、だから今こうして依頼に便乗して沢山のものをかき集めている。それが、彼らの何かに繋がればと願うばかりだ。――少なくとも彼らから直接話を聞くことは出来ない、もう敵になってしまっているのだから。
 

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