第二幕「誰が為に守り、誰が為に戦うのか」

 僅かな隙間を掻い潜り、男たちは剣戟を打ち鳴らしてはその場をすぐに離れる。一つ、二つ――そんな甘い数ではない、幾十幾百と重なる剣はもう数えることなど到底及ばない。ほら、また一つ重なって剣戟を鳴らしては離れていく。こちらは二人しか剣が使えないというのに、間近で聞こえる金属音の数はやけに多い気がした。
 赤髪の少年は鮮やかな蒼い服の男の剣を弾き、手持ちの短剣をまた自分の方へと寄せる。深く息を吐いて整える彼の額には滲んだ汗、かなり体力を消耗しているのか短剣を持つ手が震えているように見えた。だが手伝いをしたくても後方からの支援しかできない。謁見をする予定だったはずなのにとんだ誤算である、得物をこんな時に持ってこなかった自分を恨むしか無い。
 まだ呼吸を繰り返している少年の元へ一人、近衛隊の男が向かってくる。援護のために風の魔法を展開して牽制しつつ、自分の兄へと視線を向けた。彼の前にもまた別の近衛隊の男――しかも相手は魔法を準備しているらしく、その対応に追われているようだ。
 報告という謁見から一転、予定のない戦闘に巻き込まれた私たちは、国でも高い実力を評価されている近衛隊と、まさかの真正面から対立していた。勿論予定外だから戦闘の準備などまともにしていない。

「さすが、エリート集団の近衛隊。隙がない」
「諦める気になったか?今ならちょっと怪我するだけで終わるかもだぞ」
「誰が」

 風の結界を剣で切り裂く緋色の髪の男、その人の元へと走っていく少年の後ろで次の魔法を準備し周りを警戒する。相手が近衛隊というだけあって、対応に追われているのはギルド全員、こちらを助けてと言ったところで各々手が離せない状況だ。誰も孤立して戦うことが無いようにするだけで精一杯、それでも戦局は一向に良くならない、むしろ悪い方向へと行っているだろう。
 兄の傍では黒髪の少女が必死に呪文を唱えている姿が見受けられる、しかし彼女が創りだした魔法の盾は近衛隊によって、片っ端から破壊されていっているらしく、魔素へ還る茶色の光が視界の端でちらちらと散っていくのが見えた。
 太刀打ちできないとは最初から承知済みだ、だから何とかしてこの場から逃げることだけを考えようと――そう決めていたはずなのに、それすら許されない。赤髪の少年は走り寄りながら胸元に短剣を構え、言葉を吐き出して魔素を集める。もう旅の合間に聞き慣れたその文句が、今は少ない心の拠り所の一つだ。

「――"儚くも赤き焔の支配者よ!"」
「――"全てを灰と化し燃え盛る赤き女神よ!"」

 まるで合わせたかのように近衛隊の青年も言葉を紡ぐ、よく通る声で言うものだから魔法の内容は隠されていないも同然。それでも少年の退避が間に合わず、二本目の短剣が弾き飛ばされたのは、相手の魔法の威力と正確さ故か。自分が用意していた魔法の内容を壁ではなく単純な風へと変化させる、目的は弾かれてしまった彼の二本の短剣をこちらへ戻すため。二本同時にこちらへと弾き返し、一つは戻ってきた彼の足元へ、一つは自分の足元へ何とか戻してきた。足で踏んで止めた彼は、短剣を拾って近衛隊の男――確かイルヴェニスとか名乗っていたか――を睨み返した。この期に及んでまだ諦めないのか、そんな言葉をかけてきた男に対し、少年は口元を曲げただけだ。

「あの近衛隊の小隊長、桁違いだ。魔法が強い」

 やたら低い声に振り返れば、声とその内容の割に涼しい顔をした銀髪の青年が後ろに下がってくる。手にしているのは角が少し折れた小さな本、まだ淡い紫の光を灯したままだ。それを一度たたんでから青年は言葉を紡ぎ、本を開いて指し示す――その先にはまた違う蒼の制服。

「"全て貫く槍を手にする支配者よ、汝は天上遥か高くに住まう者"」

 命令を省いた高速詠唱の一種、本に指し示された方向へと紫の光が迸り、男の手の甲を直撃する。持っていた剣を床へと落とし、手を抱えて一歩後ずさる仲間を、また別の男が――ああ、そろそろ鬱陶しい。だが自分は魔法を放つことしか出来ず、下手にこの場を離れて動くことなど出来なかった。だから、まるで自分の代わりにと言わんばかりに動いた影には驚いた。

「兄さん!」
「ガディーヴィ、出過ぎだ!」
「こんの馬鹿……!」

 魔法壁の創生にかかりきりになっている黒髪の少女以外の人間が動き出す、一歩踏み出した金髪の青年の真横から襲いかかる赤球の群れに紫の光が走る。彼が撃ち漏らしたものを少年が切り捨てて、その隙に兄の服の襟を掴んで勢い良く自分たちの方へと引き寄せれば刹那、兄がいた場所に降り注ぐそれを見てぞっとした。あんな物に当たったら軽傷なんかでは済まない、下手に打ち所が悪ければ命にだって。
 一方、狙いが外れて不満そうな赤髪の小隊長は、剣を構えたままこちらを眺めていた。十分余裕が残っているようで、特別焦っている気配もない。駄目だ、やはり私達ではこの人達、特に先頭にいる近衛小隊長とやらは手に負えない。

「おっと、お仲間に守られてよかったなあ金髪」
「ちっ……ほんっとあの赤毛ムカつくんだけど」

 兄さんらしからぬ言葉遣いに少年は顔を顰めて――と思ったが、実際にはその内容が嫌だったらしい。短剣をもう一度構え直した彼は、こちらへ寄ると早速文句を言い始めた。

「俺も赤毛だから、その表現の仕方は止めてくれませんか」
「お前も充分ムカつくぞ」
「喧嘩売ってるんですか」
「ちょっと、そこで喧嘩しないで!」

 確かにとてもムカつくし、いっそ拳で殴りに行きたいくらいには弄ばれているような気がしてならない。だがそんな言葉のやり取りを見て、相手は大声で笑うだけ。――そう、力の差ははっきりついていた、しかも目に見える形でくっきりと。
 炎魔法をまた背後へ準備しながら、赤髪の男は剣を持ち替えて構える。実際に動いている時間は違えど、全く息の上がらない彼には驚くばかりだ。どうすれば勝てるのだろう、何も解決策は見つからずこのまま戦うには厳しくなってきた。
 ふと、黒髪の少女がこちらへわずか寄りかかってくる。恐らく何度も魔法詠唱を繰り返したため、集中し過ぎたのだろう。周りにバレないよう背中で押し返しながら、彼女へ小さな声で話し掛けた。

「ユティーナ、大丈夫?」
「平気、です……!」

 一瞬つっかえたのが気になったが、この状態で彼女が倒れると守り手が無くなってしまうため、彼女の体力が持つように祈るしかない。いや、そもそもこの戦闘経験が豊富ではない五人で、普段から私たち以上に訓練や鍛錬をしているであろう彼らを十人以上も相手に出来るわけがない。圧倒的な強さにこちらの勝機は皆無に等しい――それでも諦めないのは、こちらの非だと認めたくないからだ。
 視線を前方から感じ顔をそっと上げると、戦う者達の更にその向こう、玉座に座る少女の表情に変化が訪れていた。何故だろう、勝ち誇った笑みでもなく余裕のある笑みでもなく、まるで何かを心配するような視線だ。
 けれどもそれを気にする余裕が一気に削られてしまう。飛んできた何かを避けそこねて、頬に微かな痛みと熱を感知した。恐らく魔法の一種だろう、だがそれくらいの傷ならばまだ大丈夫だ。まだ、まだこのままなら。

「遊びすぎですよ、イルヴェニス小隊長」
「――だ、そうだ。さあて補佐官の命令だ、仕方が無い。そろそろ終わらせようか、イル」
「はーい。覚悟はできたか、ガキ共――包囲!」

 近衛隊長の命令、そして小隊長の号令が出されると、ほんの一瞬で今まで遠くにいた近衛隊が集まってくる、ノウゼンさんの魔法で、エイブロの短剣で、そして兄の剣で傷ついたはずの手で、皆剣を何故か持っていた。まだ戦えるというのか、相手は。こちらに余裕はないというのに、向こうはまだ余力がある――。

「あーあ、大人しく捕まらないから怪我をするんだぜ。勝ち目のない戦いではいかに怪我をしないかが勝負だ、少年」
「くっそ」

 悪態をついた赤髪の少年になど目もくれず、包囲は徐々に狭まっていく。逃げ出す隙がない、魔法を唱えても唱えきる前に妨害されて中断される。前線で動くはずだった二人は体力が切れて、守りの要だった少女はかなり消耗して――もう諦めるしかない、そう思った時だった。背後から暖かい光が漏れて、振り返った瞬間自分たちの右側を突っ切る光が一筋、赤と黄の残留魔素を溢しながら飛んで行く。その槍は赤髪の小隊長の頬をかすり、城の壁へと突き刺さった。真横から垂れた血を小隊長は驚愕した目で追い、次いで私たちの後方を凝視している。

「【聖火の槍】」

 低い声が僅かに聞こえ、今度は自分たちの周りを取り囲んでいた近衛隊の隊員たちを淡いオレンジ色の槍が幾つも襲いかかる。距離を再び取り始めた彼らへ、そして私たちの方へと歩く人影を、振り返った。

「よぉ、イルヴェニス小隊長。俺の生徒達に手出しするとはいい度胸してやがんなぁ」
「……コルペッセ、第二神官」

 短い金の髪を揺らした青年は、周りに赤い光をいくつも浮かべてこちらへ更に近づいてくる。見覚えはあるに決まっている、彼は自分たちがよく親しみなれた人で、ついこの間会ったばかりなのだから。その鮮やかな緑色の制服を最後に見たのは鉄の森へと旅立つ前か、相変わらず似合いすぎて格好良い人だ。

「先生!」
「お、久しぶり。助けに来たぜ」

 軽いノリで答える彼の表情は笑顔、けれども新緑の目は笑っていない。こういう時大抵怒っているのが普通で、現に彼の周りの魔法は今すぐにでも放たれそうだ。
 その神官の姿を見て、階下に佇む青年は眼鏡を指で押し上げて目をついと細くした。ここで来るとは思っていなかったのだろうか、やけにその表情は焦っているように見える。だがその声音は先程私達に掛けたものと同じで、まるで何事も無いと言わんばかりに静かに怒りを湛えて問いかけた。

「第二神官。あなた、何をしているのか分かっているのですか?」
「分かってるっすよ。……お前ら、さっきエーヴェルト補佐官が言った通りなのか?」
「そんな訳無いだろ!」
「だろうな。報告書誤魔化したりするのは一番嫌がりそうだしな。つー訳だ、補佐官殿……ローダンセ姫様」

 噛みつくように言った少年の言葉に神官はにやりと笑い、次いで壇上の姫を見上げる。しかし降ってきたのはその返答ではなく、無慈悲な追撃命令だった。

「そんな確信のない言葉を信じるわけにはいきません。シュルヴェステル隊長、早く。第二神官を抑えて」
「じゃあ俺も参加ってことで」

 どこからかまた聞き慣れた声がする、前後左右見渡してもその声の主を探し当てることは出来ない。上だ、誰かの声によって視線は誘導され、見上げれば人影がちょうど私達と包囲の間へと降りてくるところだった。翻る服の色は黒、男の人でもこの人は上背が高い方なのだろう、この場の誰よりもその背中は大きく見えた。

「……ルーフォロ先生」

 すでにその手には抜かれた剣が携えられている、けれどもその立ち位置は微妙なところだった。なぜなら、彼の出現によって警戒をしたのは周りの近衛隊と、無意識に仲間だと思っていた神官。

「おっと……ルーフォロさん、」
「……お前、どっちの味方だ」

 近衛隊の小隊長と神官が同時に問う、どちらも警戒を緩める気配は全くなく、私たちは変わりすぎた状況にただ黙ってその行末を待つだけだった。けれどもそんな心配は無用だったと騎士の返答によって知る。

「もちろん、可愛い生徒の味方っすよ」
「先生……!」

 思わず安堵した声を出してしまったのは許してほしい、ほとんど動けない私たちの味方が多ければ多いほど嬉しいに決まっている――それに彼らは恐らく知っているのだろう、この顛末について何かは。でなければこんなところにいるはずがないと思って。
 安堵した声を出した人間は私以外にもいた、他の短剣よりも刀身を少し伸ばした魔法剣を構えていた神官だ。意地悪い笑みを浮かべた彼は私たちのすぐ近くまで寄ってきて、包囲の外から自分の相棒へと陽気な声を掛けた。

「良かったー。お前と敵として戦いたくないしな」
「だってよ、今回はちょっと強引なんじゃねぇか? 普段のエーヴェルト補佐官殿と比べりゃ、杜撰すぎる内容だ」

 その瞬間だった、てっきり補佐官が何かを言うと思っていたのに――いや、彼が口を開きかけていたのは確かだった――しかし、実際に口を開いて怒りを顕にしたのは階上の姫だった。玉座から立ち上がり、柔らかな薄ピンク色のドレスを揺らして美しい手を振り払うように横へと伸ばす。

「エーヴェルト、シュルヴェステル、イルヴェニス! 逆賊を早く捕まえなさい!」

 姫の強い言葉に呼応した近衛隊たちは、赤髪の青年を筆頭に剣をもう一度構え直す。その目の灯火は依然強く燃えて今は揺るがない、先程までの緊張が一気に戻ってきたようだで、こちらが怯みそうになるくらいだ。包囲を前にして黒い騎士もまた剣を構える、背後で魔法の気配がまた増えたような気がした。

「ルーフォロ、前衛は任せたからな」
「背中預けたぜ、しくじるなよ」

 ごく短い言葉での呼びかけ、けれども絶対的な信頼を寄せているのが聞いているだけでも分かる、二人の先生の表情はごくごく自然な笑みだったから。一方赤髪の青年は眉を顰めて騎士を見据えていた。明らかに嫌そうなその顔を見てか、前方から小さな笑い声が聞こえた気がした。

「ちっ、何で戦いにくい人ばっかり来るんだよ」
「悪かったな、戦いにくい人で。さぁて……個人的な恨みはねぇが、生徒と同僚のためだ。ちょっくら本気でいかさせてもらうぜ!」

 流れる水のように剣を滑らせた騎士は、息を呑むほんの一瞬を突いて先頭の男へと斬りかかる。慌てて体勢を持ち直した相手もまた、舞うように斬撃を繰り出し始める。――以前、兄さんと戦っていた時とは比べ物にならない高度なやり取りだ。 周りの近衛隊たちが私たちに向けて歩を進めてくる、傷ついた兄の背中に背中を合わせながら魔法を用意し、何とか活路を見出すことに専念した。

「何をしているの!早く捕まえなさい!」
「近衛隊!包囲を解くなっ!」

 姫はドレスを大きく揺らして手を振るう。初めて声を荒げた近衛隊長が壁から身を起こし、剣の柄へと手を添えているのが見える。異様な、静かすぎるその気配にぞくりと鳥肌が立った。何とかここをやり過ごして逃げなければ、確実に捕まるだろう――冗談じゃない、何もしていないのに捕まってたまるか。普段ならばもう少し諦めた思考であるはずの頭の中は、かなりと諦めの悪い方へと行っていた。
 神官もまた動き始める、魔法剣を構えたまま目を閉じて言葉を紡いで光を呼ぶ。彼の周りに浮かぶ幾数の剣が更に光の色を濃くしたように見えた。それらが包囲の壁を削るように飛び交っていく。もうすぐ隙間が出来そうだ。
 黒髪の少女の手を赤髪の少年の手に託して、兄の肩を雷の魔法使いへと託して――前衛の代わりを務める為に兄の剣を拾う、これで逃走準備は完了だ。息が合った先生たちの行動、そういえば村で私たちに襲いかかってきた時も彼らは考えて行動していた。ただ仲が良いだけではない、お互いが信頼しているからこその見事なチームプレイだ。
 自分たちの周りで戦闘が続く、魔法が飛び交い前方から剣戟が聞こえて、まるで小さな戦場に巻き込まれているような場所だ。気持ちを切り替えるために息を吸って、吐いて。
 だから、ちょうど隙間が空いて駆け出そうした瞬間に降ってきた声は予想外過ぎた。誰がその声を予想しただろうか。誰もが戦闘に身を投じていた最中、その声は謁見の間に強く響いた。

「双方、止めよっ!」

 その場に居た全員の足が止まる、少なくともハイマートに声や姿を知らなくても、その名前を知らない人は一切居ない。入り口近くに備え付けられた階段から降りてくるのは白金の髪を長く垂らす白い肌の男、それに付き従うように二人の若い男性が二人。

「陛下の御前です。全員剣をお納めください」

 階下に降り立った背の低い黒髪の少年はそう告げ、蒼い瞳に強い色を滲ませる。よく見ればその服は赤髪の青年と切り結んだまま動かない騎士と同じ黒色、その横に佇む金髪の青年の服の色は近衛隊と同じ青色。
 再度、剣をしまってくださいと低い声で言われてしまい、ほとんどの人が剣を鞘へ収めていく。それでも剣を引かない二人に、近衛隊長が何言か呟くとようやく合わせた剣を解いて鞘にしまった。
 白金の髪を持つ男は再び歩き始める、包囲は自然と解けてその人物に向けて皆が皆、頭を下げていく。私達もそれに混ざって頭を下げ、前を通り過ぎていくその姿をこっそり見た。間近で見るのはこれが初めてだろうか、その高貴な人を見る機会は意外と多くあった気もするが、さすがにこんな歩いてすぐ近くに寄れるような場所へ立つことなど無くて。
 階上で佇んだまま動かない少女は、その場からこの国の王を見下ろしていた。しかし掛けられた言葉は優しさの欠片もない冷たいものだった。

「何をしている、下がれ」
「ですが」
「下がれ。私はお前に今回のことを任せた覚えはない。それとも、私に対する反逆罪としてここにいる近衛隊や補佐官を捕らえられたいか?」

 姫は唇を噛み締めて玉座の後ろ側へと回り込み、仕切られたカーテンの向こう側へと姿を消していく。その姿を追って補佐官は足を動かそうとしたが、王は手の動き一つでそれを止めさせた。そしてこちらへ向いたと同時、あり得ないことが起こった。

「ギルド、インペグノ。そなたらにはすまないことをした。この者達に代わり、幾重にも詫びよう」
「陛下!」

 周りの近衛隊や補佐官から声が飛ぶ、どうやら異常事態らしい――それもそうだ、まさか一般市民に一国の王が頭を下げるなど前代未聞の事態だろう。だからこちらだって慌てるのも当然で、隣に並んだ兄へと思わず声を掛けてしまった。

「……ど、どうしよう、王様に、」
「し、しるかよ……」

 兄弟揃って挙動不審になっていると、意外なところから声が上がる。特別気にした様子もない雷の研究者の声だ。淡々と質問をする彼は、学者貴族に相応しく慣れた対応を取ろうとしていた。

「――今回のことは陛下の命令ではないのですね?」
「ああ。今、ベルンハルト達に言われて知ったことだ」

 どういうことかと問う前に、王自ら返答をする。名を呼ばれた青色の制服の青年は、間を置いてその場で一礼をした。どうやら王にとって今回の事は与り知らぬことだったらしい。では誰がこんな事を計画したというのだろう、何かの目的があったようにしか思えないのだが。
 けれども、この場の誰もが口を開かない。長い沈黙が降り立ち、王が再び口を開こうとしたその時、奥のカーテンが重く揺らいだ。覗くのは王と同じ白金の髪を持つ少女、奥の闇から淡い色のドレスがちらちらと見えている。

「今回のことは、私が仕組んだことです」
「姫!」

 補佐官が真っ先に声を上げたものの、彼女は手で制して瞼を落し震わせた。ああ、あの顔だ、先程私達が戦っている時に見せた不安げなその表情。王女はぱたぱた音を立てて階下へ降りてくる。

「姫、」
「大丈夫。私がし始めたこと、だから自分だけで」

 音を立てて最後の階段を降りきった姫は、ドレスを捲り上げて私たちの元へととてとて走ってくる。国王の隣を過ぎて止まったのは、黒髪の少女の前だった。

「ユティーナ姫」
「は、はい」

 まさか自分の所に来るとは思ってもいなかったのだろう。ユティーナがおずおずと応えると、返って来たのはため息だった。勿論、ため息をつかれる理由は彼女には思い当たらないようで、首がどんどん横へと傾いていく。

「あの」
「……約束、覚えてる?」
「や、約束?」

 聞き返した彼女の手をそっと取り、姫は目を逸らしながら唇をかみしめている。――ユティーナは、この国の王や姫とは会ったことがないと言っていた。恐らくその言葉は本当だろう、けれども姫は明らかに彼女を知っている。そこで思い出したのは、彼の花の国から故郷の国へと帰る際に、赤髪の少年が言っていた言葉だ。全てを思い出せていない、そんな言葉だった気がする。

「覚えてないかな……もう十年も前だもんね。貴女、姫としてこの国を訪問したことがあるのよ」
「姫として……」
「――大事な話をするからって城の中から、追い出されちゃってね。ずっと貴女と中庭で遊んでいたの。まだ、今みたいに花を置いていない簡素でつまらない庭だった。木と蔦ばっかりで、迷路のような庭だったわ」

 その瞬間だった、黒髪の少女の眼の色が変わる。姫が言った光景に思い当たる記憶があったのだろうか。姫はその様子を見て、辿るように言葉を続ける。

「私たちの国は、花が育ちにくい土で覆われてしまっている。だから開花した花はとても希少だし、勿論花畑なんてあるわけがない。――そうしたら貴女は、案内すると。戦争が終わったら、皆が仲良くなったら、皆と一緒に自分の国へ来てと」

 ぽたり、ぽたり。何かが床へと落ちて紅色の絨毯を僅かに濡らしていく。少女の美しい白い手に、雫が弾けて小さな水滴を散らした。震える唇で黒髪の歌姫は言葉を口にする。

「……いっぱい、はなばたけの、なかで……」
「遊んで、好きな花を持ち帰って皆に花冠を乗せてあげる」
「いつか、わたしたちがはなを、とどけにいくから」
「お返しに、魔法で色んなものを見せてあげる――だから、」
「やくそく、しよう……くにを、たてなおそう……」

 言葉をつなぐように間髪入れず答えていく姫に、もう一人の姫は大粒の涙を零してその手をやっと、握り返した。そして我慢できなくなったのだろうか、彼女を強く抱きしめて、歳相応にわんわんと泣き出したのだ。

「ろーだんせ、ろーだんせっ……!ごめん、ごめんなさい、わたしいままでっ……」
「あはは、ユティーナの泣き虫っぷりは相変わらずね」
「う、ううっ……」
「――思い出してくれて、ありがとう」

 白金の髪の姫は、黒髪の少女を抱きしめて小さく笑う。ようやく笑った彼女に安堵するのは補佐官で、ほんの少し後ろに下がったようにも見える。しかしその他周りは、ただ目の前で起こっている状況が掴めないまま待つしか無かった。


 ユティーナが泣き止んだのは少し時間を置いてからだった。さすがに一国の王女だと知れている以上、止めに入ろうと思うものもいなかったようだ。あのエイブロでさえ、今回は彼女が自然に泣き止むまで待っていたくらい泣いていたのだから。そもそも大半の人間が、彼女の行動には呆気に取られた。しかも先程まで戦っていたというのに、いつの間にか彼女たちの間で決着がついていたのだ、呆然と待つだけしかやることがない。
 結局あんなことがあったからか謁見は中止、近衛隊に見送られて別室へと私たちは通されていた。廊下を歩いている間も姫に付き添われて宥められていたせいか、歌姫は更に幼さを見せていた。

「ひっく……ふぇ……」
「ユティーナ、目が真っ赤だよ」
「へいき、だもん……」

 どこが平気なものか分からないが、本人が言うのならばそうなのだろう。装飾品が何一つない質素な部屋でも彼女はしゃくり上げ続けていて、とにかく落ち着くようにとエイブロとローダンセ姫が見ているところだ。彼女がすすり泣く音以外に聞こえるのは、何人かが腕を組み直した時に聞こえる衣擦れの音くらい。
 この場にいるのは私たちだけではない、先程まで剣を交えていた近衛隊小隊長、近衛隊長、補佐官と割り込んできてくれた先生たち、そして話をしたいと言ってここへ案内してくれた王だ。周りが周りで緊張するしか無いのだが、あれだけ突っ張っていた情報屋の少年も肩の荷を下ろしたようだし、兄やノウゼンさんはゆったりとしているようで、自分一人緊張しているのかと思うと少し不安になる。

「ええと、どこまで話したかしら」
「ローダンセ様がユティーナに約束を思い出して欲しかった、というところまで」
「そうそう。――ユティーナは向こうの姫だから、代理者になりえるのよね、確か。それなら戦争放棄を同時に行えるなと思って」
「けれども、アルストメリアとフォブルドンが予想以上に手を組んでしまっていた。だから約束を思い出させて何とか彼女だけでもこちらへ引き込んで、然るべき時まで強引な手段で守ろうとした――ということですよね」
「……言い方はムカつくけれど、その通りよ。さすがあのオーランドの子息ね」
「その言い方もとても気に障りますがね、皇女殿下」

 姫に喧嘩を売り始めている銀髪の青年を兄が宥めているのをぼんやりと見つめながら、ユティーナとローダンセ姫について思案する。どうやら戦争が本格化する十年以上前に、彼女らはこの城で会ったらしい。その頃は革命前、つまり圧政時代で特別おもてなしも何もできなかったという。だから、当時まだ殿下であったフェンネル王に外へ行くように言われた彼女たちは、当然行く宛などなく庭園を彷徨ったらしい。
 だが、少し気になることがあった。ユティーナの記憶は一向に回復を見せない。記憶喪失、と言うのはそうすぐには回復しないものなのだろうか、エイブロの言い方ではすぐにでも戻りそうな言い方をしていたように思えたのだが。

「――ユティーナを守ろうとしただけなんだけど、なんだろう、やり方をもう少し考えればよかったわね」
「そうだよ……みんなぼろぼろだし」
「ごめん……今すぐにあなた達をどうにかしようと思って考えついたのがあれだったから」
「つーことは」

 ふと、今まで壁に凭れていた近衛隊長が背を離し、こちら側へと歩みを進めて来る。呆れたようなその笑みは、近衛隊長という肩書さえなければ一般市民かと見間違えそうなほど、柔らかかった。もっとも、話している内容は全く一般人ではなかったが。

「あれはとんだ茶番だったってことだな?ギルドに謁見させたのも、報告書を読ませたのも」
「近衛隊長と小隊長まで巻き込んで」

 金髪を整えながら神官もまた、壁側からこちらへと歩いてくる。皆、細かなことは聞いていなかったようで、二本に垂れた赤髪の近衛小隊長も焦げ茶色の髪を後ろに撫で付けた騎士も、近衛隊長と同様、呆れた顔をして近づいてくる。そう、疑いを晴らす必要など最初から無かったのだ。元々疑いなど本当に無かったのだから。

「お陰さまで、間違えて殺すところだったぜ」
「もし俺達が本当に争うつもりだったら、どうするおつもりだったんすか」
「うう……ごめんなさい」

 謝る姫を尻目に王は長いため息を一つつき、補佐官へと視線を送る。けれどゆっくりと振り向いた補佐官の顔には驚愕の色、思わずどうしたのだろうと首を傾げて――直後、その違和感に気づく。

「え?本当に争うつもりだったら?」
「え?」

 姫が補佐官の言葉につられて俯きがちだった顔を上げ、歩いてくる騎士たちへと視線を向ける。その驚きように苦笑して近衛隊長はくすくすと小さな笑い声を漏らし両手を挙げた。

「おおっと、補佐官に姫様。まさか俺達が本当に争っていたとでも?」
「――まさ、か……あれは演技だったんですか!?」
「勿論」

 演技、演技。ここまで怪我をさせるような演技、だったというのか。少なくとも本気でこちらは戦ったというのに――いや、本気で戦っていたらこんなものでは済まなかったということか。同僚だから威力を落としているだけかと思っていたのだが、私達や姫たちが焦るほど絶妙なやり取りを繰り出していたということか。私たちは、どうやら騙されまくりだったようだ。
 後に話を聞く、どうやら陛下を呼びに行かせたのは近衛隊長らしい。合図したら来るようにと予め用意していたのだという。私たちは、二重の意味で踊らされていたらしい。今まで真剣な表情を保っていた神官から白い歯がこぼれ、彼はこう言った。

「心配しなくても、本当にやる気だったらルーフォロに場を任せて俺はお前らを連れて逃げる気だったさ。その方が確実にお前らを城の外に出してやれるからな」

 その言葉に苦笑したのは相棒ではなく、彼と争う寸前までいっていた赤髪の近衛小隊長だ。頬に一線入った赤い筋が、僅かながら本気だったことを示していた。
 先生たちと近衛隊小隊長、そして姫を部屋から下がらせ、王は本題にはいろうかと言葉を告げる。ようやくまともに緊張が戻ってきた、元より陛下と同じテーブルについているという時点で落ち着けるはずがなかったのだが。
 王は一緒についてくるようにと私達に言って立ち上がる。相変わらず堅苦しそうな補佐官と少し姿勢を整えなおした近衛隊長はそのすぐ後ろを歩き、慌ててその後を追いかけながた。まだ目が赤い少女を赤髪の少年が支えるのを後ろから見つめながら、それでも幸せそうな笑みに安堵して。


 王が向かったのは書庫のような場所から更に奥へと入った部屋だ、重たそうな鉄製の扉が周りと不釣合いで、やけに気になる。興味津々で銀髪の青年が目を輝かせながら、我知らずと言わんばかりに声を漏らした。

「ここは……?」
「天弓の間だ。一般人は勿論、城の人間でも許可がなければ入れない」
「そ、そんなところに私達を連れて来ていいいのですか?」

 城の人間ですら私達が入るというのは、それこそ前代未聞のことではないか。周りに人影が一切見えないのはもしかしてあまりよろしくないことだからかとか、他聞を憚るような内容だとでも言うのだろうかとか、思考が一気に駆け巡る。しかし、王は特別気にした様子もなく、その扉の鍵をいとも簡単に回した。

「連れてこないと見せる事ができないものがあるからな」
「――わあ……!」

 扉が開かれて視界に広がったそこは、図書館と呼ばれる本の文庫とはまた違った趣を見せていた。天上から垂れているのは柔らかく透けた虹色の帯、そこら中に置かれているのは植物で、天窓からは優しい黄色の淡い光がカーテンのように揺れながら中央に置かれた机を照らしていた。まるで別世界のように美しい書庫、けれども王が見せたかったのは部屋の外観ではなかった。

「貴殿らに見てほしいものは、これだ」

 中央の机に大きく開かれた書物を指し示し、王は近寄るようにと言葉を口にする。実際に近づいてみれば中々の大きさだ、書かれているのは私達が使っている言語ではなく、昔の言語――魔法使いたちが使用する失われた古語だ。
 その書物に手を差し伸ばすものがただ一人。銀髪の青年は兄にその腕を掴まれたことでようやく我に返り、すみませんと王へ謝罪の言葉を述べる。

「ノウゼンさん、これを知っているんですか?」

 黒髪の少女がおずおずと聞くと、ノウゼンさんはすぐにその首を一度だけ頷かせた。

「テオロギア――俺の、研究している歴史書だ」
 

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