序幕「森の先にて」


「死ぬかと思った……」

 曇り空だけが広がる何もない荒れ地、その真ん中で少年は中腰になり深く息をつく。鉄の森を抜けきる直前になってユティーナの歌の効果が切れてしまったので、彼には少しの間、匂いに耐えながら歩いてもらっていた。結界で匂いを完全に遮断していた分最後は厳しかったのか、その場に立っているのがやっとらしい。前に進んでいた銀髪の青年が周りを見渡し、まだ辛そうなエイブロの方へと向き直る。

「追い討ちをかけるようで悪いが、帰る時もここを通るんだぞ。そんなことでへこたれてどうする」
「……あんた、ちょっとは労ってくれよ」

 ノウゼンの言葉に少年はまた息をつき、視線を横に流した。態度は相変わらずのようだが、エイブロの様子は顔色が悪いこともあってどこか弱々しく、その場から一歩も動かない。青年はその様子を腕組みしながらじっと見て、小さく微笑んだ。いっそ気持ち悪いくらいの優しい笑顔に、私は顔を背けて目を合わせないようにした。

「あぁ、お前はよく頑張った」
「え、ノウゼンさん、」

 珍しい労いの言葉にエイブロは顔をあげたが、彼の方を見て固まった。少年の目から見ても、見てはいけないものだったようだ。

「まだ歩くから立て」
「……やっぱり俺、あんたのこと嫌いだ」

 優しい笑顔から意地の悪い笑顔に変わったノウゼンさんの、更なる追いうち。エイブロは一瞬でも信じた自分が馬鹿だった、とぼやきながらため息と共に頭を項垂れる。やっぱり、あのノウゼンさんが単純に労ってくれるわけがなかった。いい加減エイブロにも学習してほしいものだが、今の彼にそんなことを言っても仕方ない。放心になりかけていたエイブロを見ながら、帰りにまた通る鉄の森の匂いのことを静かに考える。
 ふと、思いつきで小さく呪文を唱えながら、自分の槍を目の前で垂直に立たせる。一瞬の間をおいて、風魔法が放つ淡い緑色の小さな光は槍の周りから溢れ、槍を中心に爽やかなそよ風が吹き始める。エイブロは自分の横を流れる風の存在に気付いたようで、顔を再び上げた。

「お、助かる。そういえばティリスの魔法は風属性だったな」
「この程度ならお安いご用だよ。鉄の森とは反対の方向から流してるから、楽になると思うし」

 私がそう答えると、エイブロは腰を伸ばして深呼吸を繰り返した。エイブロにはノウゼンさんの言う通り、帰りにも鉄の森を通ってもらわなければならない。そのためには慣れてもらうか、今回みたいに結界などといった対策を施すか、どちらか確実にするしかないように感じた。だが、慣れるという行為は難しいものだと私自身もよくわかっている。 今回は何かしらの対策を講じるしかないだろう、とそこまで考えた時、ユティーナに頼りっぱなしだと気づいた。結界魔法を、ユティーナから教われたら教わろう。彼女一人にやらせ続けるなんて、いざ彼女が倒れたら何も出来ないではないか。そんなことを一人で考えていると、ノウゼンさんより前へ進み、兄と共に荒れ地の周りを見ていたユティーナが声をかけてきた。

「ねぇ、エイブロ」
「ユティーナまでいじめてくれんなよ。ノウゼンさんとの受け答えで精神ボロボロなんだから」
「違う、そんなことしないってば。南下するとアルストメリア王国なんだよね?」

 あぁ、とエイブロは軽く返事しながら、ノウゼンさんや私も含めユティーナの方へと歩いていく。ユティーナは隣に並ぶエイブロと目を合わせると、南を指差しながら言い淀んだ。ユティーナの指す方を振り返った瞬間、思わずぎょっとしてしまった。少しだけ霧がかかる荒れ地の向こう側、そこに動くたくさんの何かがいる。腰を落とし、視線をそれに集中させる。
 荒れ地の遥か向こうに見えるのは人の影、それも一人や二人と数えられるような人数ではなく、数十人は軽く越える人数。あれは、動いているというよりもうごめいているという表現の方が正しいではないか。目を凝らしたエイブロにもその光景は見えたらしく、小さな舌打ちと共に彼は顔を歪めた。どうやら、私達にとって出会ってはまずいものだったようだ。

「……軍の遠征とかぶったか」
「へぇ、あれって軍なのか?鎧なんだなー」
 私もこちらの鎧は初めて見るが、軍とは思わなかった――そこで気付く、頑張って目を凝らしても人影は見えるが鎧らしきものは見えない。自分の目がおかしいのかと思って目を擦ったが、人影が遠すぎてやっぱり私には見えない。槍から溢れる魔法を止めて兄に質問しようとすると、先にユティーナが軽く手を上げた。

「……はい、ガディーヴィさん質問」
「んー?」
「見えるんですか、鎧」

 えっ、と兄は質問した彼女の方を振り返った。どうやら彼女も見えていないようだ……いや、この距離から見える方が多分おかしいのだ。良かった、私の目はおかしくない。兄は自分の見解を交えつつ、不思議そうに首をかしげるユティーナの質問に答えた。

「黒いの。表面光ってるし、黒鉄かなぁ?」

 黒鉄はハイマートの町、シュテルンの鉱山でも採取することができる。つまりとくに珍しくもないありふれた物質であるため、「そうですか」とだけ言おうとしたが、兄の答えに真面目に反応した者がいた。反応したのは、黒髪と赤髪の二人だ。

「ああ、アルストメリアの旧式ですね……」
「……あんたは超人か。普通は見えねぇし」

 ユティーナの小さな呟きの直後、目を細めたエイブロが遠くを見て驚きを漏らした。アルストメリアの鎧は黒い、ということはフォブルドンは色が違うのか。何度見ても私には鎧が見えないし、顔をしかめるノウゼンさんも見えていないらしく、話についていくことができない。とにかく、この場から「荒れ地の向こう側の人影の鎧」が見えたのは兄だけということになる。当の本人はというと、人影とはその反対側にいる私たちの様子を珍しそうにじっと見続けていた。

「兄さん、目とか鼻とかいいよねー。野生の獣並みじゃない?」
「そうかなぁ?普通だと思うけど」

 兄は唸りながらまぁいっか、と自己完結させた。どう考えても普通ではないが、たまにそういう人がいるという話を聞かないこともない。ただいつも近くに、一緒にいる兄がちょっと珍しいだけかもしれない。会話を聞いていたのか、ノウゼンさんとエイブロがそれぞれ自分の荷物を確認しながら呟いてくる。

「……というか、自分の兄を人外扱いしてやるなよ」
「大丈夫ですよ。ここにも人外いますし」
「おい赤毛。それは誰の事を言ってるつもりだ?」

 ノウゼンさんとエイブロもようやく通常運転だ。ユティーナが二人の間で、不安そうに視線を彷徨わせているのもやはりハイマート国内にいた時と変わらない。つっかみあいの喧嘩になりそうな二人を手で制止しながら、兄はぼやいた。

「しっかし、どうしたもんかなぁ。このままじゃ南には行けないだろ?」
「そっか。先にアルストメリアの方へ行くんだったよね。どうしますか?」
「どうする、エイブロ」

 私がノウゼンさんに話をふると、ノウゼンさんはエイブロへと答えを求めた。周りに私達以外いないことを確認し、エイブロは先生達からもらった青い筒をマントの中から取りだす。「超」がつくほどの貴重品、アルストメリアとフォブルドンの詳しい地図だ。数秒の間地図とにらめっこをしていたエイブロは、少し悩むように言葉をつないだ。

「そうですね……軍がいるなら北から行くしかないです。強行突破、っていう手もありますけど」
「遠慮する。こんなところで騒ぎを起こせば、不利になるのは俺達の方だ」
「ですよね、余計なことに巻き込まれる前にここから離れましょう」

 ノウゼンさんの言葉にエイブロが同意を示す。あくまで私たちの目的は二つの国を調査をしてハイマートに無事に帰還すること、必要のない戦いは極力避けなければならない。そう、私達は無事に帰ると約束しているのだから。アルストメリアの領地を通らないとなるとフォブルドンの領地か……そう考えた時、先生の言葉を思い出した。

(「体の至るところに切り傷や擦り傷があって、全治2週間以上の怪我だった」)
 身体にぞっ、と冷たいものを感じた。そうだ、フォブルドン共和国は、商業で訪れた者ですら捕える。

「フォブルドンの領地、通って大丈夫なの……?」

ついそう言うと、エイブロは間を置いて頷いた。元々アルストメリアに行けなければフォブルドンに行くと言っていたのだ、当たり前か。私が不安そうに息をついたからか、ノウゼンさんが頭に手を置いてきた。

「スクルトゥーラまで行かなければ大丈夫だ。一つ村を通るけど、村まで厳しいとは限らないしな」
「すくるとぅーら?」

 大きな手を嫌々振り払いながら、その単語が意味する場所がどこの事か思い出せなくて聞き返してしまった。記憶を辿っても分からなかったため兄に視線で問いかけてみるが、それは無駄だったらしく首を横に振られただけだ。何で覚えていないんだ、と言いたげなエイブロの大きなため息と共に、ノウゼンさんが言葉を添えた。

「フォブルドンの首都だ。一番大きな街で、常駐軍もいる」

 そうだ、聞き覚えはあるなと思っていたが、よくよく思い返せばフロンティール村でコルペッセ先生から聞いたのだ。確か、商人が捕まった危険な場所だったはず。私たちが場所の名前について納得したのを確認し、もう一度エイブロが言葉を重ねた。

「そこを通るとヤバいけど、通らなければ問題はないはず」
「つまり、あいつらに見つかる前に別の道を通るってことだな」

 兄の言葉にエイブロは大きく頷き、一番先頭にいたユティーナが杖を握りしめて北に続く道へ顔を向ける。夜が来る前に、何としてでも安全な寝処を確保したい。こうして不安たっぷりではあったが、私達はフォブルドン共和国へと足を向けたのだった。


 フォブルドンにあるという村をめがけ、エイブロを先頭に歩き始めてすぐのことだった。ノウゼンさんがエイブロとユティーナ、兄を前に見据えながら一番後ろにいた私に耳打ちする。

「ティリス、ちょっといいか」
「な、なんですか。急に」

 口に人差し指を当て、前の三人に聞こえないようにしたいのかノウゼンさんは小さな声で話してきた。私も何となく歩幅をノウゼンさんに合わせ、前を向いたまま耳を傾ける。

「……ユティーナとエイブロ、気をつけたほうがいい」
「はあ?」

 思わず振り返って言ってしまった言葉に、ノウゼンさんは「言いたいことはわかる」と同調する。だが、その目は冗談を言っていないと物語っていて、私はノウゼンさんが話し始めるのを待った。ノウゼンさんは昔からよく気付く人だ。それは旅をしている間だけではなく、兄や私が学校に在籍している間も色々と活用させてもらった能力だった。だからこそ、自分の仲間を疑っているということをできれば信じたくないのだが。

「さっきの会話の内容、覚えているか?」

 さっきの会話、といえば。私たちの少し先を歩く三人は楽しそうに話をしていて、私達がこんな暗い話をしているとは思ってもいなさそうだ。その様子を見ながら記憶を何とか手繰り寄せ、小声で聞く。

「フォブルドンの首都の話ですか?」
「違う、その前だ。鎧の話」

 あぁ、と納得したあと、あの話のどこに問題があったのか必死に考える。しかし話の内容を思い返しても、どこもおかしいところはないように私は感じた。そんなにおかしかったのだろうか、あの会話。

「……何に気付いたんですか?」
「まあ、分からないか」

 あえて答えを求めてみると、ノウゼンさんは足運びをほんの少し遅くしてから言った。答えた声は落ち着き払っていて、二人を疑っていることを確信させる。何故、と言う前にノウゼンさんが言葉を紡いだ。

「ガディーヴィは黒い鎧が見えたんだよな。で、二人がなんで見えるんだって言ったよな」
「……はい」
「アルストメリアの鎧を少なからず見たことがあるんだな?あの二人は、鉄の森を通ったことがないのに」

 どういうことだ、と聞こうとしてすぐにノウゼンさんが言う「矛盾」に気付いた。アルストメリアの旧式の鎧、とユティーナは言ったのだ。兄の発した「黒い鎧」という単語だけで。

「本当に鉄の森を通った事がないのなら、アルストメリアやフォブルドンにきたことが無いはずだし、来ていたとしてもただ見るだけでどちらの鎧か判別などできるはずがない。余程近くに行って、誰かがアルストメリアの旧制の鎧だと教えてくれない限り」
「で、でも、絵か何かで見たことあるかもしれないですよ」
「なら、ハイマートにアルストメリアへ通じていた者がいたことになる。いいか、鎧を着ていたり持っている時点でそいつは敵国だと分かってしまうんだぞ。そんなリスクをわざわざ冒してまでハイマートに来る奴がいると思うか」

 確かに、ハイマート王国は鎧を使用しない。理由は簡単で、材料となる軽鉄がハイマート王国内で採取不可能となってしまったのである。採取不可能になったのは私達が生まれるよりももっと前の話で、ハイマート国内で鎧を見ることなど恐らくない。もしかしたらハイマート王国内なら、鎧=敵国というイメージが固まっていたりするのかもしれないほどだ。とにかく鎧がある時点で、その人は敵国から来たことが疑われてしまうだろう。

「ルーフォロ先生が言っていたのを覚えているか?ハイマートがアルストメリアとフォブルドンの同盟軍にボロボロに負けたときの、戦争の時の相手の姿。前に俺とお前とガディーヴィ、三人で旅をする前に色々と聞かさせてくれただろ」

 その話は記憶にちゃんと残っている。不思議とあの先生達が言った言葉はなかなか忘れにくいので、すぐに思いだせる。一字一句、とまではいかないが話の流れはほとんど覚えているため、ノウゼンさんの質問には難なく答えることができた。

「戦争の時は相手が鎧をしていなくて、アルストメリアとフォブルドン、どっちがどっちか分からなかった。だから戦い方に差があってやりにくかった」
「その通り、よく覚えているな。話を戻すと、あの二人は小さい時にこの国に入ったことがあるんだ。じゃなきゃ、旧式か新式かも分からないはずなんだ。……そして小さい時にこの国にいたのなら、あいつらはハイマート王国の生まれじゃないかもしれない」

 そう言いきって、ノウゼンさんは前へ小走りしてユティーナや兄達と合流した。私にユティーナとエイブロ、二人の「過去」についての疑問だけを残したまま。

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