第一幕「雨降りの村ピオーヴェレ」
踏みしめた枯れ草の臭いが薄れてきた頃、人影がようやくと言ってもいいほど久しぶりに見えた。小走りで背の高い木の間を通り抜けると、広場の目的で作られたような木々の開いた場所へと出る。立ち止まって見上げた先は、青々と繁る樹木とうっすら雲がかかった夜近くの薄暗い空。そして、目の前には見覚えのある黒い羽根がゆったりと大きく広げられて、文字通り羽を休めていた。男は抱えていた袋を下ろして、気配に気づきこちらを振り返ると表情を固めた。
「ゲッ」
「あ、さっきの鳥じゃん」
後ろから追いかけてきた兄さんが出した声に、男は私たちから飛び退いて身を引く。間違いない、さっき出会った鳥だ。私たちが追い付いてしまったということは、余程この男はゆっくり歩いていたのだろうかと考えるも束の間、鳥の男は兄さんの言葉に首を小刻みに横へ振って全力で否定している。
「ち、違います人ちが…じゃなくて鳥ちがいじゃないですか?」
「…じゃあさっきのゲッって何よ」
思わず突っ込むと男はうっ、と声を詰まらせて男はあらぬ方向を向いて喋りだした。ユティーナを襲ったときや今の動き、明らかに戦闘に慣れた身のこなし方といいどうも怪しい。もちろん時々私達の方を見て様子を見ながら話しているので、誰が見ても怪しいのだろうが。
「いやいや今のはほら、くせというか、よくあることですし…というかちょっと睨みすぎじゃないですかおにいさーん」
男の視線をたどって自分の後ろを振り返ると、そこには前に睨みを効かせるエイブロが突っ立っていた。そういえば冗談とかあんまり好きじゃないんだっけ、エイブロは。少しの沈黙が下りて図らずも傍観していると、エイブロはゆっくり私の隣をすり抜けながら自らの右手を上げた。指先が覆われていない、甲を覆い隠す黒革の手袋に包まれた手には、飾り気のない小振りのナイフがある。だが、選択肢に「切る」という考えは入らなかったのだろうか、エイブロは魔法の詠唱をする体勢へと入っていた。
「炎魔法で焦げるか、風魔法で遠くまで吹っ飛ばされるか、選べ」
「待て、待て待て、話し合えば分かる! な?!」
男はその場から少し後ろへまた飛び退いて、どう考えても鍛えられている両手を顔の前で横に振る。流石は脅迫の天才、脅し文句もなかなか怖い。だが、エイブロに元より相手の意見など聞く気は無かったようだ。すでに炎魔法の一部を詠唱していて、それはノウゼンさんがエイブロの肩に手を置いたことによって止められた。
「ノウゼンさん?」
「まぁ待て、エイブロ。魔法でやるのは反対だ」
言いながら、ノウゼンさんは背負っていた矢筒から2本の矢を抜き、急に弓へとつがえた。すでに弦が張られた弓の矢先の狙いはきっちり定まっていて、驚いたまま固まる黒い羽根の男からまったくぶれない。ニッと笑ってからノウゼンさんは弓の弦を後ろへ引き始め、弓の軋む音が場に響く。
「こういうのは物理的にやるものだろ」
「ちょっ、待てってば!乱暴反対!!」
男は危険を察して左へと逃げたがその先にはすでにエイブロがいて、逃がさないように道を防いだ。立ち止まった男へ再度、ノウゼンさんは弓の狙いを定める。男は飛んで上に逃げるかと思ったが、囲まれていることにもう諦めてしまったらしい。風を切るがごとく男の両手が挙げられ、今まで広げられていた黒の羽が静かに小さくその背にたためられる。
「すみませんでした旅人様!!認める!さっきの俺ー!」
男はあっさり私達の言葉を認めた。ノウゼンさんとエイブロは焦る男の言葉に頷いて、視線をはずさないまま武器をしまう。ノウゼンさんは安堵したような表情を見せたが、エイブロはさっきユティーナが攻撃されたことを怒っているらしい、顔が険しいままだ。男はエイブロの表情が変わらないことに思い当たる節があったようで、からかって手をヒラヒラと振った。
「あれ、赤毛の坊ちゃん。さっき黒髪の嬢ちゃんを攻撃したことに怒ってたりする?」
「っ当たり前だろ!!」
「へぇ、仲睦まじいことで何よりだな。もしかして恋人だったり?」
男がニヤニヤしながら言うと、真っ赤に顔を染めたエイブロはさっきしまいかけていたはずの短剣を取り出していた。乗せられてどうするの、と後ろにいたユティーナが頭を抱え、ノウゼンさんは呆れてため息をつく。追いつめられていたはずの黒い鳥がこの場の主導権を握りかけていた。ここで言いくるめられてはまた逃げられそうだったので、目を合わせた兄さんと一緒にエイブロを止めに入る。しかし私達が近づくよりも先に、エイブロは短剣を握ったままノウゼンさんのもとへ足早に歩いていき、話しかけた。
「…ノウゼンさん。鳥って煮込み料理と焼き料理、どっちがおいしいと思いますか」
「俺は煮込み派だな」
「あ、でもついこの間スープ作りましたよね。じゃあ焼きます」
「聞いた意味あったのか。というか、獣人は美味しくはないと思うぞ。あれは鶏だから美味しいんだ」
物騒な相談だが、同意する部分も所々あって怒ることはできなかった。特に鶏が美味しいという件に関しては、こんな場面でなければ大きく頷いていただろう。晩御飯のおかずを何するか相談している雰囲気を醸し出す二人を、眉をひそめて男はただひたすら黙って見ているだけだ。しかし、一向に話を止めようとしない二人にしびれを切らしたらしい、男は黒い翼を空に遊ばせながら私に質問した。
「あのさ、あの銀髪のお兄さんと赤髪の坊っちゃん、すげー怖いんですけどあんたらの仲間?」
「れっきとした仲間です。あんなのでも」
「うえぇっ、人間こえー。俺の同族こういうのに追いかけられてんのな、ホントかわいそう。普通の鳥じゃなくてよかったわー」
男は真面目な顔でそう言うと、地面に落ちた自分の羽を拾ってくるくると手で回し始める。唐突な言葉に対しどう反応するか迷っていると、隣から間抜けた声で返答があった。
「んー、鳥かぁ。鶏は追いかけるけどなあ?ティリス」
私に聞くな、と兄さんへと視線で答える。兄さんは真剣に悩みながら答えをだしたようだが、そういう問題ではない。まず鶏などあんまり追いかけることなんてないというか、宿に泊まらない限り旅の間に鶏を見かけることは少ないというか。とにかく兄の答えはあんまりにも的外れで、妹としては恥ずかしい。しかし、その答えはどうやら目の前の男にはお気に召したようで、たたんだ黒い翼を揺らしながら豪快に声を上げて笑った。
「ぷっ…あははっ!!俺は鶏じゃねぇけどな!あーまじ面白いよ、あんたたち。人間じゃなきゃ村に住まないかって誘うところだな!」
「え、ええと、」
「とりあえず、悪い人間には見えないなってことだ、うん。久しぶりにまともな奴が来たな」
男は勝手に話を振って、勝手に自己完結した。何が何だか訳がわからないし、さっき攻撃されたのにこうして普通に話していると気が狂う。そんなもやもやとした感情が私の心にあるのを見抜いてかそうでないか、どちらかは分からなかったが男は羽を捨てて森の奥を指した。暗い森の先に光は一切見えず、そろそろ魔法でも使わなければ足元も見えなくなりそうだ。
「もうすぐ夜になる。ここらじゃいろんな奴が襲ってくるぜ。国に入って早々食われたくなきゃ、ついてこいよ」
その後ろから、今にも襲いかかろうとしている赤髪の少年がいると知っていながら、男は余裕の笑みを浮かべて歩き出していた。
男についていくと、永遠に続くかと思われた森の終わりを意外と早く発見した。木々の間を軽やかに過ぎ去っていた男は、気がつけば普通の道の上へと躍り出ている。砂利が多かったが道端はきちんと整理されてあり、薄暗くてもとりあえず道を外すことなく歩けそうだ。整備された田畑や水路もあり、普段誰かが使っている証拠が辺りを見渡せばいくつかある。看板は一つも無いが、エイブロが見せてくれた地図だとここら辺の道は全てピオーヴェレの村に通じているようだ。旅人がくることを前提にしていないため看板を置いていないのかもしれない、というのがノウゼンさんの見解だ。ギルド五人で夜になりかけた周りの景色をじっくり見ていると、不意に一番先頭を陣取っていた男が話し出した。
「あぁ、そうだ。まだ名乗っていなかったな。俺はオルゼ。あんたたちは?」
「ギルド・インペグノです」
「ほう!インペグノってどういう意味?」
オルゼと名乗った男は、人名ではなくギルド名を示す私の短い答えに興味を示す。人懐っこい笑みで振り返られると、昔なじみの友人と話している気になり、色々と大事なことも言ってしまいそうだ。私の視線をたまたま受けたユティーナが、しどろもどろになりかけている私の代わりに返事をしてくれた。
「古語で約束っていう意味です。――そういえば、獣人の方は古語を扱うのですか?」
「うん、使うやつは使うぜー。魔法使いもいるからな」
「へぇ、会ってみたいですね!」
「あ、すげぇ会わせたい奴がいるぜっ!めっちゃくちゃ強くてなぁ、魔法をバンバンつきぁ、使いやがる」
ノウゼンさんやエイブロの視線をまともに受けながら、ユティーナと二人、オルゼさんと話をする。兄さんは私達の様子を列の後ろから微笑ましく見ているだけだ。さっきもそうだがオルゼさんは喋るのが大好きなのだろう、時々早口になっては舌を噛んでいた。すでに舌を噛んだ回数は片手で足りないのに、それでもオルゼさんは楽しそうな笑顔を崩さない―多分純粋に話を楽しんでいるだけのだ。獣人とまともに会ったことがないので最初のうちは遠慮がちだったが、本人の性格もあって話は段々と饒舌になっていく。喋ってはいけない事柄、特にハイマート王国のこととかになると、ノウゼンさんやエイブロがそれとなく曖昧に答えてくれるので大助かりだ。道を進んで少し時間が経った頃、兄さんが不意にオルゼさんへ質問した。
「そういやさ、オルゼさんが鳥っていうのは分かったんだけどどんな鳥?」
「お、よくぞ聞いてくれました!っていうか、何に見えるー?」
よっぽど聞いてほしかったのだろう、意気揚々と話すオルゼさんにノウゼンさんは前を向いたまま淡々と言った。短い一言でとても簡潔に、意地悪く。
「カラス?」
「ぎゃあっ!そんなやつと一緒にすんな!!」
オルゼさんは後ろを振り返るとわめくように言った。そんなやつって、カラスかわいいと思うけどなぁと考えたが、今ここで口にすると喧嘩しそうだ。カラスはゴミ場を荒らすので、確かにいいイメージはあまり無いのだが。
「じゃあなんなんだ。さぞかし良い鳥なんだろうな」
エイブロが不満そうに言うと、オルゼさんはふふん、と胸を張る。夕方なんてとっくに過ぎたこの時間、まだまだ余裕の笑みを浮かべるオルゼさんはなんとなく輝いて見えた。夜に溶け込む黒い翼を自慢げに羽ばたかせて、彼はユティーナにも負けないほどの笑顔で言う。
「鷹!」
「鷹?鷹ってあの…」
「狩りとかする、やたら鷲と喧嘩しているいかにも高慢そうな奴の事か?」
私の言葉を遮り、仕返しと言わんばかりにエイブロが言い放った。かわいそうだが、エイブロが言ったイメージが間違っていないため庇ってやれないのが残念だ。もちろんハイマートにも鷹はいて、昔は獣を狩るために重宝されてきた。最近は狩りをする人自体減ったため、手紙を運ぶ手段として以外ならほとんどが野生のはずだ。そんな空を悠々と飛ぶ野生の鷹の姿にオルゼさんを重ねてみる。確かに、分かる気がしないこともない。オルゼさんにとってエイブロの返事は意外だったのか、激しくむせてから涙目で訴える。こうして見ていると、オルゼさんの立ち振舞いは故郷にいる金髪の魔法使いの先生を彷彿とさせた。
「げほっ、っ失礼な、黒鷹は貴重なんだぞ!ていうか全部の鷹に謝れっ!!」
「オルゼ」
ふと、会話を遮って遠くから低く小さな声でオルゼさんが呼ばれた。誰の声だろうと考えている間に、オルゼさんは先ほどまでの笑顔をほんの一瞬で消し去り、前へ振り返る。斜め後ろから見えたオルゼさんの黒い目に、ユティーナを襲った直前と同じ冷たい光がともり、まったく別の感情が沸き出していく。たった一言、オルゼさんは小さく呟いた。
「村長」
短い単語の意味を知って思わずギルド全員が前方、オルゼさんが見ているその先へと目を向ける。砂利道の向こう側の暗闇からそれは、ゆっくりと踏みしめながら歩いてくる。草の模様が裾に入った大きなポンチョを羽織り、その間からはエイブロと同じ商人用の服と似た絞り口の白い長袖が見える。なにより、明らかに人間の耳ではないふわふわの毛でおおわれたそれと縦長の瞳孔。オルゼさんと同じ、獣人。
「何故人間と話している」
「やだなぁ、村長。俺が話しているのは人間じゃなくて旅人様ですよ」
その獣人は私達の姿に目を細め、さらにオルゼさんに近づいてくる。男とも女ともつかない微妙な声域だが、よく通る不思議な声で獣人は話す。村長の言葉にたいしてオルゼさんはおどけたように笑って答える、がその目は笑っていなかった。オルゼさんの言葉が気に入らなかったようで、村長はオルゼの前に止まるとその顔を見上げた。
「お前の眼には、後ろの者達が人間ではないように映るのか?」
「…さぁてね」
ふいっと横に顔を背け、オルゼさんは前方から目をそらした。村長さんの事が嫌い、なのだろうか。オルゼさんの態度は好意を持っておらず、村長さんと仲良くしようという気は更々無さそうだ。重苦しい沈黙を破るために、勇気を振り絞って獣人の方へと話しかける。
「あの…」
「人間が喋るな、空気が汚れる」
有無を言わさない強い声につい口をつぐむ。どうやらこの村長さんは相当人間を嫌っているらしい、態度も口調も厳しく感じる。前から顔を背けていたオルゼさんが突然息の抜けた笑いかたをした。
「はっ、怖い怖い。村長、それ初めての奴にはキツイっすよ」
「黙れこの裏切り者」
次の瞬間だった。獣人が話終わらないうちにオルゼさんの姿は前から消え、オルゼさんの肩に掛けられていた袋がその場に落ちる。遅れて起こった突風に黒い羽が数枚舞い、全員の目を引いた。羽が落ちた地面のその向こう側には、立ち尽くした村長とオルゼさんに呼ばれた獣人。そして、簡素な木のナイフを逆手で握りしめ、背後から獣人へと突きつけるオルゼさんの姿がある。エイブロが持つものよりもちょっと小さなそれは、普段からよく手入れされてあるようで、獣人の喉元から血を一滴垂らした。だが、ナイフを突きつけられた状況にもかかわらず獣人はいたって冷静に見えた。
「まったく…お狐様はこれだから嫌いなんだよ。型の古い事ばっか」
「鳥が何を言う」
「客人をわざわざ追い返す必要はねぇだろ。そんなんだからフォブルドンのイメージが低下するんだ。ちょっとは理解しろよ、このわからず屋」
目の前で繰り広げられるやり取りに、ただ私たちは見ているしかない。あの速さ、あの雰囲気、何より手慣れた行動。厄介事、特に戦闘の方面で彼は何かしらやっていたのだろうと確信がついた。オルゼさんは獣人の耳元で二言三言と話し、ナイフの表面についた血を指先で軽く拭き取ってマントの中へとしまう。村長さんのマントに黒のシミが少しずつ、少しずつ増えていく。赤が流れる喉元を片手で押さえると、村長さんは一度私たちをにらんでから道の先、家屋がいくつか立ち並ぶ場所へと歩いていった。完全に暗くなってしまったので良く分からないが、あれがフォブルドン共和国最北・最西の村、ピオーヴェレ村のようだ。オルゼさんは村長さんが消えた方向にべぇー!と舌を出してから、私達の方を向いてはにかんだ。
「わりぃな、不快な思いをさせちまって」
「い、いえ。それよりも、やっぱり人間って嫌われているんですか」
「そりゃあ昔にあんだけドンパチやってっからなぁ。その点、あんたらはこっちを嫌ったりしないのが不思議なんだがな」
人間が多く住むハイマート王国と獣人が多く住むフォブルドン共和国・アルストメリア王国との戦いは実のところ、そこまで古くない。目に見える戦いとなったのは20年ほど前、前ハイマート王がまだ生き生きとしていらした頃だったはず。それまでは確か戦争などもなく、ただ隣に新しい国ができたよ、くらいにしか思っていなかったとかと知り合いに聞いた。よくよく考えてみればとんでもないことだが、ハイマートの国民が平和ボケしていたのだと思えばそこまで驚くことではない。それはエイブロとノウゼンさんも思っていたことなのか、二人はオルゼさんの言葉に皮肉げに笑った。
「人間はそういうところ、無頓着だからな。酒場で働いていてよく思う」
「そもそもハイマートの場合、アルストメリアとフォブルドンとの戦争では防衛のためだけに戦ったみたいだしな。学校でもそう教わった」
「…おまえら、愛国心とかないわけ」
オルゼさんが地面に置き去りになっていた袋を背負い直すと二人はないない、と首と手を同時に横へ振った。この二人は本当に、平和ボケで有名なハイマート王国の住民なのだろうか。その様子をただ黙ってみていたユティーナと兄さんは、私とため息をついたのだった。
「ピオーヴェレは二つの川に挟まれた小さい村だ。住んでいる奴も少ない。だが狐も鳥も狼も兎もいる」
「狐と、鳥と…?」
「狐と鳥と狼と兎。獣人は4種族しかいねぇんだよ、他は全滅したから」
オルゼさんの案内で、ピオーヴェレの村の中を私達は歩く。すれ違う度に獣人らしき人々からじろじろと見られたが、オルゼさんが笑って手を振ると同じように笑って手を振り返していた。どの人もオルゼさんと似たような格好をしていて、所々アクセサリーなど装飾を施していた。
「ということは、全種族がここで一緒に生活を?」
「そう。結構珍しいんだぜ、他はだいたい2種族だから」
ノウゼンさんの質問にオルゼさんは答えながら、村の中でも奥の方にある一軒の家に入って行く。連れだって入ると中は簡素なつくりではあったが片付けられていて、清潔感の溢れた部屋だった。ただ普段は使っていないのだろうか、極端に置いてある家具が少ない気がする。手入れはしてあるが、普段は使っていないということは…そこまで考えたところでオルゼさんが玄関口に袋を置き、肩を回しながら話しかける。
「ここ、俺の家。今日一日ぐらいなら泊めても文句は言われないだろう」
「いいんですか?」
「別に泊めたから俺が捕まる訳じゃねぇし。それに、悪い人間じゃないなら俺は問題ないと思ってる。…とと、ちょっと中に入れお前ら」
駆けたオルゼさんに手を引っ張られ、背中を押され、玄関の奥にあった部屋の中へと追いやられる。いきなりの出来事に振り返ると、他の人も同じようにオルゼさんの手によって押し込まれ、五人全員が玄関から追い出された形となった。オルゼさんが部屋と玄関の間にある扉を急いで閉めた数秒後、木製の扉からノックの音が聞こえた。扉に音を立てないように耳をそっと当て、様子が分からない向こう側の会話を聞く。
「おーるーぜー」
「はいはい、今開けっから待ってろ」
「やっと帰ってきたぁ。タネある?」
「ある。ほら、ちゃんと日陰で保存するんだぞ。蒔く時は中に入ってる紙の文面に従ってくれ」
「はーい。おっ、今回は6種類も!?いやぁありがたい!」
「その代わり、各種10本以上咲かせるのが最低条件だ。じゃなきゃ今後の取引は一切しないし、他にも根回ししてお前に売らせないように仕組むからな」
「わ、分かった。頑張る」
まくりたてる話し方に加え、小声で、早口で話すものだから内容がとにかく聞き取りづらい。分かったことと言えば、固いなにかが零れる音と扉がしまる音がしたこと。それから、オルゼさんがやはりただ者ではない雰囲気をまとっていたということくらいだ。彼はいったい何者なのだろう、明らかに戦闘に慣れていて、でも他の獣人との関係はむしろ良好な方で、まるで。やりとりが終わったのか、丁寧に開けられた扉の先にはもうオルゼさん以外の姿は見えない。相手が男の声だったのは間違いないが、やけに高い声で、印象的なものだった。だが、扉を閉めたり私たちを追いやったりするところから考えると、オルゼさんは相手のことについては何も教えてくれなさそうだ。
「ふう、すまないな。取引の時に他の奴がいると集中できないもんで」
「タネって聞こえたが」
「ん?ああ、花の種だよ」
ノウゼンさんへ返事をしたオルゼさんは空になった袋をたたみ、玄関脇にある棚の上へと置く。珍しいものを取り扱っている、と思う。ハイマート王国では、栽培するところが少ないからか花の種はあまり流通しない。見かけるとしても年に三回王都で行われる「蚤の市」くらいで、普段なら店頭に並ぶことすらないだろう。
「アルストメリアの方じゃどこでも売ってんだけど、こっちじゃほとんど見ねぇしな。良かったら見る?何粒ずつかは残ってんぜ」
頷いた私たちにオルゼさんは麻袋の隣にあった箱から、小さな袋を取り出してくれた。手を開いて袋を逆さに振ると、中から黒い粒のようなものが転がり落ちてくる。それに一番見いったのは、黒髪の彼女だ。
「わあ!こっちはシンピジウムですか?あ、これオクシペタルム!青い花でしたよね。あとはローダンセですか?かわいいですよねー」
「え…黒髪のお嬢ちゃん、種を見ただけで花の種類分かるの?」
「はい!」
ユティーナが華の咲く笑顔で元気よく答える。一応オルゼさんから種を見せてもらったが、どの種も皆同じように見えて違いが何かすら分からなかった。ユティーナにそんな才能があるとは、意外なところですごい才能を発見してしまった。花の種など、ハイマートではほとんど流通しないのに彼女はどこで見たのだろう。
「ははは、ちょっと嬉しいな。ま、ゆっくりしていけよ。さっきも言ったが、悪い人間じゃなければ俺はいい」
「よかったです。宿なしも考えましたから」
「お前ら二人を除いてな!ここに泊めてやるのはこっちの三人のお陰だと思え!」
荷物を下ろしながらエイブロが言うと、オルゼさんは種をしまいながら不満たっぷりの顔で言葉を返した。自分を未遂とはいえ料理しようとしたのだ、私だってオルゼさんと同じ状況なら同じことを言っただろう。しかしノウゼンさんとエイブロはどこ吹く風で、オルゼさんの話を軽く聞き流している。
「どこで寝ます?」
「大部屋は一つしか無さそうだから、皆で固まって寝るしかないな」
「おい、そこの二人!人の話を聞け!!」
冗談だとは思いたいが、置いてあった田畑用の鎌をオルゼさんが持ち始めたのでさすがに止める。もちろん、オルゼさんの方をだ。オルゼさんの背中を左手で掴み、伸ばした右手で鎌の柄を握って動きを止める。
「こら金髪の嬢ちゃん!止めんな!」
「あの二人を止めるより遥かに楽です!!」
「お前らの仲間に対する認識ってどういう感じなわけ!?」
オルゼさんとひと悶着している間に、兄さんとユティーナを加えてノウゼンさん達は大体寝る場所を確保していく。ユティーナとエイブロが部屋の入り口側、私と兄さんが真ん中、部屋の一番奥をノウゼンさんが寝ることとなった。自分の荷物を確認しながら、思った疑問をぶつけてみることにする。
「…ノウゼンさん、どうして端なんですか」
「俺は高速詠唱が使えるから、家ごと吹き飛ばされても壁で全員を守ることができるし、攻撃もいち早くできる」
まるで聞かれることが分かっていたみたいにノウゼンさんが返事したのを聞いて、私は確信した。その答えは間違っていなかったが、もう少しまともな答えを返してほしかったものだ。すました狐、と誰かが噂されてもこれは仕方ない。自分の槍に異常がないか点検しながら、窓の外を確認していたノウゼンさんへと呟いてみた。
「というのは建前で、端が良いだけでしょう」
「よくわかったな。本音はそっちだ」
悪びれることもせず、文句はないだろうとノウゼンさんの視線が物語る。返答の代わりに黙って寝る時にいつもかぶる薄いタオルを取り出して置くことで、自分の場所を確保する。せっかく見直したと思ったらこれで、やっぱりノウゼンさんのことは嫌いなんだなと自分に言い聞かせた。