フォブルドン共和国に向けて北へ北へと歩いているうちに、道沿いの大きな岩に腰かけた人を発見した。なぜこんなところへ、とは誰も言わなかったが、やはりここが既にフォブルドン共和国である以上気になってしまう。一瞬警戒しかけたが相手に敵意はないようで、その人はにっこり笑って話しかけてくる。
「お、旅人か?珍しいな」
「え、あ、あの……」
座ったまま気軽に話しかけられたので、思わず普通に答えてしまいそうだった。年は私と同じくらいで、ユティーナと同じ綺麗な黒髪の短髪。男の人なのだろう、肩幅は広くその肩にかかる丈の短いマントは少し印象に残る。隣には大きなずた袋が置いてあって、何かが細かい粒のようなもの詰められているようだった。普通の人間……のようだ。そもそも獣人という名称しか知らないので、どういう特徴を持つのが獣人なのか全く知らないのだが、この人は特に目立った人間との違いはない。皆と視線を合わせ、何と答えるか迷っているとその人は首をかしげた。
「何か俺、した?」
「あ、いえ……それよりも、珍しいんですか?旅人って」
簡単に「ハイマートから来ました」なんて言えない。先生達から注意されたのは、調査の際に誰かと出会ったときの対応だ。「すぐにハイマートから来ましたとは言わないこと」、「信頼できる相手なら話しても良いが、国からの調査とは言わずに民間ギルドと言うこと」。どちらも私達と国を守るための対策だ。上手く話をそらすために「旅人」について聞くと彼は目を瞬かせた。そしてにっこり笑い、立ち上がってひらりと身軽そうに岩から地面へ降りてくる。男の身長は高く、動きやすそうな格好でいかにもどこかの村の青年、という感じだ。
「そうだなぁ、最近じゃあんま見ないかな!」
「そういうあんたは旅人じゃねえの?」
「んん、旅人に見える?残念。こっちで普通に住んでるぜ」
男が最近見ないという「旅人」のような格好を、相手がしているからか。彼は荷物の紐を肩にかけ、にやっと意地悪く口の端をあげた。やはりハイマートの人ではなかったらしい。だが、話をしている雰囲気からも悪い人では無さそうだ、と思ったその時だった。
「なぜこちらへ。獣人ではないのに」
今は休戦中とはいえ人間を捕まえるような国へ人間が住めるのか、と聞いているのと一緒だ。ユティーナの不躾な質問に驚いたが、その人は怒るどころか目を細くして口の端を少しだけあげた。どこか、ルーフォロ先生やコルペッセ先生を思い出させる仕草に似ているとのんきに考え、直後、そ声のトーンが変わったことに驚く。
「……おっと、お嬢さん達には俺が人間に見えるのか。よっと、」
そう言ってその人は後ろを見ずに高さのある岩へ乗っかり、荷物を肩にかける。そして、その場で軽くジャンプすると男は地上に降りないまま空へと上がり、―夜を思わせるほどの濃い黒の羽を宙に舞わせた。
「と……」
「飛んだぁっ!?」
隣にいるノウゼンさんが冷静に呟いた言葉を遮るほどの声が、自分から出たのが分かる。黒鳥の翼を羽ばたかせるそれは、私たちの頭上から見下ろしていた。服のポケットに手を突っ込み目を細くしたそれは、先程まで一緒に話していた穏やかな青年とは思えぬほどの顔つきだった。私達の反応を見ながら満足したように頷いて、彼はさらに翼を羽ばたかせてゆっくりと高度を上げる。
「うんうん、やっぱり人間様だったなー。話しかけて正解だぜっ!!」
「きゃっ!!」
黒鳥の男は反動をつけたかと思うと急降下し、杖を握りしめたユティーナの真横より少し上を高速で通る。突風が巻き起こり、ユティーナの頬へ横向きに一本、小さな傷を作った。ユティーナの頬から垂れた小さな赤の雫と、苦痛を浮かべた彼女の顔にエイブロが怒鳴る。
「ユティーナ!!この野郎っ、」
「へへっ、じゃあ伝えとくから安心しろー!「旅人5名様」なー!!」
もう一度突風を起こし、黒い鳥―獣人は翼をはためかせて空の向こうへと飛んでいった。その場に残ったのは、男が舞わせた黒い羽だけ。ユティーナは何が起こったかいまいち分かっていないようで、その場へと座りこんだ。エイブロがそこへ駆け寄り、ユティーナの頬の傷へ急いで回復魔法をかけ始め……あ、詠唱を間違えた。普段冷静なエイブロはどこへ行ったのか、珍しく焦っている。兄が鳥の消えた方向へ目を向け、ユティーナとエイブロのやり取りを横目で見ながら軽いため息をついた。
「……行っちまった。あれが獣人か?」
「多分な。ちょうどいい、捕まったら「先に攻撃したのはお前らだ」って正当防衛を訴えてやる」
「襲われてんのに何を悠長な!」
「お前、ユティーナのことになると態度が変わるな」
「なっ……今は関係ないだろ!」
図星だったらしい、顔をだんだん赤く染めながらエイブロはノウゼンさんからそっぽを向く。ふと衣擦れが聞こえ、音がする方向へ目を向けるとユティーナが顔を手で覆っていた。その姿が何とも哀れで、思わず声をかける。
「だ、大丈夫?」
「は、はひっ!?だだだ大丈夫っ!です!!」
「……あの、ユティーナ。落ち着いて?」
どう考えても大丈夫ではない彼女の肩に手を置き、優しく声をかける。しかし、そんなことをしても無駄だったようだ。先程のエイブロの行動にユティーナは照れてしまっている。
「おち、おちつ、いています?!」
「全然落ち着いてないじゃない」
「だだだっ、だってぇ……エイブロ、が、」
手をどけたその先にあった顔は真っ赤で、涙目と共に訴えてくる姿はこっちの目に毒だった。……襲われたのに、青春だなぁこの二人。慌てるエイブロとユティーナを後ろに置いて、鳥が去った方向を見ていたノウゼンさんに話しかける。
「というか、ノウゼンさん。あの距離なら弓なり魔法なりで牽制できたのでは」
「あのな……敵意がない上に目の良さそうな奴へ向かって牽制できるわけないだろ。第一雷魔法じゃ速さはあってもそんなに牽制にならない。他と違って光が広がらないからな」
なるほど、と納得した。魔法の元である魔素は、魔法を発動する際光を放つ。その性質に二種類あって、それは魔法使いでなくとも目で見れば分かるものだ。一つは魔素が定着しない代表的な広がる光、これは魔法の回りから揺らめくように光が動くのが特徴的で、炎みたいに消えていく。私が使う風魔法やエイブロの炎魔法はこれに当たり、光が広がるので牽制にも使われることが多い。一方ノウゼンさんが使う雷魔法は硬度があり、魔法の回りに魔素がきっちりとまとわりつくため光は広がらない。これは魔素が固定されているらしく、空気へ消えるとき魔法は砂のように崩れていく。
「じゃあ別の魔法使えばよかったじゃないですか。雷魔法を選択しているなら副属性は水か何かでしょう?」
エイブロがそう問いかけると、ノウゼンさんは黙った。何故ノウゼンさんがそうしなかったかを知っている兄は、本人から気まずそうに目を背ける。あまりにもノウゼンさんの沈黙が長かったからか、エイブロが眉を潜めた。
「……まさか、土魔法を選択しているとか?」
「そんなことするわけあるか」
「じゃあなんなんだよ」
なかなか話そうとしないノウゼンさんへ苛立ちを隠そうとせず、エイブロはつっかかっていく。立ち上がったユティーナが止めようとすると、意外にも兄がユティーナの伸ばしかけた手を止めた。ノウゼンさんは兄の視線と一度目を合わせてから息をつき、諦めたように言葉にした。
「お前たちのように二属性選べたら、エイブロの言う通り雷を通しやすい水属性を迷わず選んでいただろうさ。選べたらな!」
「はぁ?」
「え?」
エイブロとユティーナが変な声を上げ、ノウゼンさんがまた顔を背ける。兄はこうなることが分かっていたのか、顔を見合わせる二人の肩に手を置いて話しかけた。その顔は、不思議と悟ったような顔だ。
「エイブロ、ユティーナ。ノウゼンはな……雷魔法以外の属性魔法を使うことが出来ないんだ」
「本気で、言っているんですか」
「あぁ、本気だ。嘘じゃない」
そんな馬鹿な、この話を聞けば魔法に通じる者はそう思う。魔法は、二属性使えるのが当たり前だと魔法使いは教わるからだ。―魔法の属性はよく、それぞれが発動する時に発する光の色に例えられるが、それは魔力について説明するのに必要だからだ。魔素を操るにはまず、操る者自身が同じ色の魔力を持っていなければならない。
人には魔素を操るための魔力が、元々二種類ある。一つは遺伝的なもの、これは親から何かしら影響受けるのだという。自分の中に流れる血と同じ、と私の魔法の師匠は言っていた。どうしたって変える事はできず、魔法を習い始めたら真っ先に知る事ができる。もう一つはというと、初めから何の属性かは決まっていなくて自分から染めていくもの。これはまっさらな紙の上に絵の具を落としていくようなもので、その色が染まれば染まるほどその属性に身体がなじんでいく。人は、そうやって二つ目の魔法を獲得していくのだ。そして誰だって二つ目の魔法の属性を選ぶことができる、それが遺伝的な属性の代わりに与えられた自由だ。
私だって、兄からこの話を聞いたときは「兄が珍しく冗談をついた」と本気で思っていた。だが、それは決して嘘じゃない。ノウゼンさんの中には他属性が存在しない、いや、存在できない。
「俺の中には雷属性の魔力しかない。……他の属性は、呪文を唱えようが一切発動しなかった。母親は炎だったはずなんだが、俺は父親の血を濃く引いてしまったらしい」
「……オーランド・フォン・ディモルフォセカか」
エイブロの言葉に、ノウゼンさんは沈黙という肯定をした。酒場でエイブロに聞いたノウゼンさんのお父さんについて思いだす。オーランド・フォン・ディモルフォセカは国内でも指折りの魔法使いで、ノウゼンさんと同じ上位研究者〈マスタリー〉だそうだ。実力は相当のものだったそうで、当時賢者と互角の勝負を繰り広げるほどだったとか。ディモルフォセカ家が学者貴族になったのも、その人の「雷魔法の研究」があまりにも素晴らしかったから、らしい。
だが、エイブロの話によるとオーランドさんはかなり性格が悪かったらしく、頑固として雷魔法以外の魔法を使おうとしなかった強者、らしい。後分かっていることは十数年前突如として姿を消した、ことだけ。
「自由奔放ではあったな。前王が城に召し抱えたいと誘ってきたから「お前なんぞに仕えたら俺の名が廃る」と言ってやった、と自分の子どもに話すような親だ」
「それは……反逆罪や不敬罪になりそうですよね」
「けれどならなかった。……誰よりも雷魔法を使いこなすことができた、貴重な存在だから。ま、雷魔法だけで構わないさ。こういうときは不便だと思うが、お陰で高速詠唱が操れるんだから」
「どういうことですか?」
「二属性練習する皆とは違って、俺は雷魔法だけに力を注ぐことが出来た。だから高速詠唱の練習も出来た」
ああ、そうかと簡単に納得はできたが、ノウゼンさんの口調には言葉以上の何か深い事情が含まれているように気がする。しかしその当の本人は、自分の話は終わったと言わんばかりにユティーナへ質問し返した。
「それよりも、ユティーナ。お前のもう一つの属性は何なんだ?土属性以外見たことはないが」
「へっ?!あ、あの、その……」
「何故詰まる必要がある。まさかあの歌がもう一つの属性だとは言わないだろう?」
「それは、その……」
ユティーナはだんだん声を小さくし、顔もうつむきがちになっていく。疑いの目をユティーナに向けたノウゼンさんはそれを無視せず、さらに言葉にした。
「俺には質問するくせに、いざ自分の番が来たらだんまりか?」
思わず青年の腕を掴み、会話を止めに入る。ノウゼンさんが二人を疑っているのは分かっているが、いくらなんでもその質問は失礼すぎだ。エイブロもその言葉にはイラッと来たみたいで、ノウゼンさんの目の前まで近寄る。
「あんた、自分が答えたからって!!」
「エイブロ!待って、私話すから、」
ノウゼンさんに掴みかかろうとしたエイブロの肩を、ユティーナは手でつかむ。エイブロは何か言おうとしたようだったが、ユティーナはただ首を振ってそれを制した。顔をあげたユティーナは、私たちの方を向いて静かに言う。
「……ノウゼンさん、ガディーヴィさん、ティリスさん。少しだけ離れていてください」
言われた通り、ほんの少しだけ後ろへ下がった私たちを確認し、ユティーナは杖を両手で握りしめた。彼女の真剣な表情は今までの可愛らしい姿と別人で、鉄の森の中で聞いた大人びた声を彷彿とさせる。目を閉じ、ユティーナは息を少し吸いこむ。そして、手を目の前につきだして、杖を小さく前に傾けて魔法の言葉を唱えた。
「You are dark , Great darkness . I called you "Black Queen"」
「なっ……」
古語の詠唱なので細かな意味は分からないが、今、とんでもない単語が聞こえた気がする。それは古語をある程度理解できるというノウゼンさんも同じだったようで、驚きを隠しきれていなかった。簡素な木の杖の先に、闇を彷彿とさせる黒い灯火がまとわり始める。
「【黒煙】」
呪文を唱え終えたユティーナの周りに黒い点がいくつも現れ、ふよふよとその場に漂い始めた。ノウゼンさんが点の一つに手で触れると、点は煙のように手の周りを覆う。見たことのない魔法、いや、そんなものではない。得体の知れない物質、と言われた方がまだわかるような気がする。
「な、なにこれ、」
「闇魔法……」
「え?」
ノウゼンさんの言葉に兄が、私が振り返る。エイブロとユティーナは私達の様子を立ち尽くすように見ているだけだ。
「闇属性の魔法。昔は賢者達が唯一使うことを許されていた、禁忌の魔法だ。現在では特に規制はないが、そもそも使い手が少ないから……問題ないと思っていたんだが」
「よくご存じですね。今ではあなたの言う通り、闇属性の魔法の使い手は数えるほどしかいません。恐らく国の中に一人いれば良い方でしょうね。……ユティーナのように使いこなせるものは、もしかしたらいないかもしれませんね」
エイブロがノウゼンさんの説明に言葉を付け加えた。ほとんど使い手のいない禁断の魔法、それを、目の前にいる普通の魔法使いの少女が使っている。すごい子だと思っていたが、これに関してはすごいなんていうものではすまされないほど桁違いの能力だ。兄がひゅーっと口笛を小さく吹いて、兄らしい素直な意見を言う。
「すげぇじゃん。よく選ぶ気になったなぁ」
「え!?あ、ありがとうございます。でも、違うんです。あの……こっちが遺伝属性なんです……」
「は?!」
ユティーナがお礼の後に言った言葉に対し、ノウゼンさんは眉をひそめた。ノウゼンさんの呆気にとられた声にユティーナは身をすくめ、か細い声で話を続ける。
「だ、だから……この闇魔法が、私の本来の魔法なんです」
「親に闇魔法の使い手が?」
「いたそうです。もっとも、本当にそうなのかどうかは私にも分からないんですけど……私もよくわかっていないんです、自分の事は特に」
なんというものを遺伝しているんだ、この女の子は。ノウゼンさんや兄の疑問の視線を受け止めながら、ユティーナは落ち着いて話始める。
「闇魔法が禁忌の魔法であることは、叔母から聞いています。でも私に元から宿っていたことも、魔法が使えることも、真実なんです。……軽蔑してくださっても構いませんから」
「ユティーナ……」
頭を下げるユティーナの告白があまりにも衝撃的すぎて、言葉がでない。遺伝属性はどうしたってその体から離れることはない。仮に闇魔法を使わなかったとしても、ノウゼンさんのように特化でもしていなければ一属性だけで「魔法使い」と認めてはくれない。だが、ノウゼンさんはそんなことを気にする人ではなかったようだ。
「……外しはしないさ。むしろ、珍しいものを見せてもらえて感謝したいほどだ」
「は、はい?」
「闇魔法の遺伝か。珍しすぎて誰も手を出していないだろうしな」
ノウゼンさんが発する言葉にどこか含みがあって、ユティーナ、兄と目を見合わせた。反対にその言葉が指す意味が分かっているのか、エイブロは顔をしかめる。
「……あんた、ユティーナを研究対象にする気か。言っておくが、そんなことを考えてるのなら一生あんたを軽蔑してやるからな」
「まさか。それに、俺の研究分野は歴史書であって魔法じゃない――歴史書を知らないか。歴史書っていうのは、文字通りこの世の歴史についてかかれた本だ。色々と分野はあるが、共通することはその文字が古いものであることと、同じ人物がいつも関わってくることだ。俺はそれについて研究している。上位研究者<マスタリー>を勝ち取ったのも、その研究にかかる資金を集めるためだ」
「へえ……歴史書か。そういえばお前、本が好きだもんな」
「良いじゃないか、本。とにかく、ユティーナを研究対象にするつもりはない」
最後のセリフは恐らくエイブロに向けたものだろう。あ、とユティーナが不意に声をあげた。
「じゃあ、古語は歴史書の研究に必要なので知っているのですか?ギルド名を決める時に提案していらしたので、少し気になっていたのですが」
「ああ。読めるし、聞いて理解もできるが魔法で使うことは出来ないな。読めたら充分だ」
古語については知っているが、魔法に利用することはできない、ということか。ユティーナがほぅ、と感嘆をつく。そういえばユティーナは古語を歌で習ったと言っていたし、自分から勉強するにはなかなか難しい分野だ。よく考えてみれば研究に使えるほど勉強した、ということか。
「ノウゼンさんは、根っからの研究者だったんですね。そこまでして補うことが出来るなんて。私ならできません」
「……そう言ってくれると嬉しいな」
「え?」
滅多に聞くことのない優しい声音に、ユティーナが、そして遅れて残り全員がノウゼンさんの方へ目を合わせる。彼は瞼を閉じて額に右手を添える、本人も口から出たことに驚いているらしい。
「才能のない俺が魔法関連の研究者につくのは、学者貴族だからだと言う連中が昔いたんだ。特別な称号を持つ学者貴族は、上位研究者へ無条件の昇格だからな」
「あんた、自分が才能ないっていうのか」
「ないよ。向いていないのは確かさ。俺は皆と違って、一属性しか使えないんだから」
エイブロの質問に簡潔に答えたノウゼンさんは、微笑んだ。それは違う。そう言いたいのに、言えなかった。初めて見るノウゼンさんの哀しい表情に、どんな言葉もかけられるはずがなかった。意地悪く笑う訳でもなく冷やかすような目をする訳でもなく、いつだって自信たっぷりにどこか楽しんで話すくせに。今のように静かに目を伏せているノウゼンさんなど、私は知らない。
「別に得たくもない称号を父さんは取ってしまった。でも、そのお陰で今の俺の研究が成り立っているっていうのが非常に腹ただしくてな。それで歴史書に研究をうつしたんだよ、魔法関連の研究費を貰わなくてすむから。……まぁ、上位研究者の試験の時には魔法を使ったが」
「そういや自分の力で上位研究者になったのも、学者貴族として見られたくなかったからだよな?」
「ああ。学者貴族は国から補助金が出るが、勝手に金をもらえるほど俺自身は偉くない。自分の力を認めてほしかった」
ずっと黙っていた兄がノウゼンさんの言葉を補足すると、当の本人は一つ一つ言葉をこぼした。権力を恐れた訳ではない、ただ、その権力の影に自分が隠れてしまうのが怖かったのか。らしくない、とでも言えばこの人は笑ってくれるのだろう。利用できるものはすべて利用する、それがこの人を、ノウゼンさんを作り上げた事柄だと思っていた。けれど、そうではなかったと今更ながら訂正させられた。その言葉を聞いたエイブロは、ためらいながらも話に参加する。
「……それって、才能があるのでは?」
「半分ズルみたいなものさ。魔法を習い始めた頃から高速詠唱ばっかりやらされていたんだから。学校に行っている間も隠れてやってたしな」
「あ、やってたやってた。で、コルペッセ先生に見つかって怒られたんだよなー」
ニッと笑った兄につれられてか、ノウゼンさんも小さく口の端をあげる。学校を次席で卒業した生徒も先生に怒られていたとは……いや、そんなことよりもやはり努力家なのだ、ノウゼンさんは。意外な一面、というよりはさすがノウゼンさんだ。嫌いではあるが、こういう高い向上心を持った人が傍にいると嬉しい。ただ、一つ言うのなら。
「努力してたノウゼンさんもやんちゃだったのね……」
「でもノウゼンさんって、本当にすごい」
ユティーナがポカンと口を開け、称賛する。私からしてみれば、あんなことを言われて素直に称賛できるユティーナも充分に凄いと思うのだが。しかし、ノウゼンさんの顔はその言葉を聞いて険しくなった。
「……怒っていないのか?」
「え、何に対してですか?」
「あんな風に言われて、怒らないのか。かなり酷い言葉を言ったものだと、俺すら思ったんだが」
立ち尽くすノウゼンさんに何かを言おうとしたエイブロを手で制止し、ユティーナは笑った。
「私、怒るのが苦手なんです。何て言うか……穏やかに暮らせたらそれでいいなぁって思います。だから、ノウゼンさんの言っていることが正しい以上、私がそれに対して不満を言ったりしません」
「……俺よりお前の方がすごいよ、ユティーナ」
一瞬目を見開いたノウゼンさんは、すぐにため息をついた。続きを聞かないまま再び歩き始めたノウゼンさんのすぐ後を、ユティーナはにこやかに笑いながら追う。怒っていない、というのは本当のようだ。隣に並んできたエイブロに、周りには聞こえないよう小さな声で尋ねる。
「……会ったときから、あんな感じなの?」
「あぁ。馬鹿正直で、平和ならそれでいいって。出会ってから五、六年経つけど、全く変わらない」
「そっか」
エイブロは私の質問に答えると、二人の後をついていく。この二人を疑う方が間違っていますよ、ノウゼンさん、少なくともユティーナは騙されても騙せない気がします。声に出さないまま皆の後を追おうとすると、肩に大きな手が置かれた。
「ティリス、」
「兄?」
「早く、ハイマートに帰ろうな。平和な場所に」
囁かれた声に、頷きだけで返事する。そして、三人から離れないよう二人、早足で追ったのだった。――黒い翼を携えた青年が、上から私達を見下ろしていたとは知らずに。