第一幕「ハイマート王、謁見」

 ――白亜の城へと続く大通りを歩く度、こんなすごい所へ私はいるのかと自問していた。学校へ向かう時も、見学で魔導師団の訓練場へ行った時も、ここを通ると私が今まで生きていた世界とは違うと感じた。どんなに考えてもその差が埋まることはなく、結局当時すでに卒業していた兄へと問うたのだ、私たちがここへ来ても良かったのかと。そんな記憶もとっくに昔の話だ、思い出せば笑うほどの懐かしい記憶。


 石畳の上をぱたん、ぱたんと跳ねて遊ぶ子どもを見ながら大通りを歩いて行く。先頭を歩く兄の真横に並ぶと、少ししか違わなかった背丈も大きく差がついていることが分かる。いつだってその背中を追いかけまわしていたが、それもいつしか隣に並んで歩くようになった。城に近づくにつれて緊張していく身体をほぐすために、自分も子どものように石畳の上で踊れば、銀髪の青年から声がかかった。

「おい、何をしているんだ」
「いや、なんとなくです。何か緊張してしまって」
「あのなあ……」
「ノウゼンさんみたいに慣れてないんですよ、誰かの前でしっかりと報告するなんて」

 呆れたように息をつかれたものの、止められはしなかったためそのまま続ける。さすがに城の門が見えてきた時点でその行動は止めてしまったが、楽しそうだと最終的にはノウゼンさん以外の全員が石畳の上で踊って遊んでいた。支えになると言ってくれた周りも、いきなり謁見に呼ばれたというだけあって不安はあるようだ。
 まだその姿を拝見したことがほとんど無い国王陛下、フェンネル王。どんな人なのだろうか、話しやすい人だといいのだが――そんな期待と、報告をわざわざ求められた上に目の前で報告するという、緊張から来る不安が織り交ざっていく。


 辿り着いた大きな城門の脇には、青色の制服を身に纏う青年が一人佇んでいた。珍しい淡い青色の髪に濃緑の瞳、高貴な青の制服を身に纏う門番という感じではなさそうな彼へ、銀髪の青年に背を押されつつ思い切って聞いてみた。

「あ、あの……」
「はい。何でしょうか――おや、君は」

 門番にように佇む青年の視線を辿ると、自分ではなく後ろにいたノウゼンさんを見ていて、突然にこりと微笑んだ。知り合いか、そう尋ねようとしたところで先に首を振られてしまった。後で教えてもらおうと思ったが、思い当たるものが一つあって妙に納得してしまった。一歩前へと進み、優雅に胸へ手を当てて少し頭を下げるところを見ると、本当にこの人は貴族なのだと思ってしまう。

「今日は貴族の方ではなくて、ギルドの一員として馳せ参じました。連絡は届いていませんか」
「ああ、来ていますよ。あなた方がギルド・インペグノですか?」
「はい」

 こくこくと頷けばくすりと小さく笑われて、先程まで落ち着いていた緊張が一気に戻ってきてしまい、その姿を見てか後ろからため息がこぼれた気がした。まだ陛下の姿も見ていないというのに、この具合ではまずいだろうか。慣れていない緊張の仕方にアルストメリアの女王たちに会った時のことを思い出して、何とか落ち着こうと目論む。余り緊張した覚えがないから――けれども思い返してみても、ノエル姫・キャロル姫の両名共に普通の出会いではなかった。参考にならないと気づいたのは記憶を辿ろうとしてほんの数秒経った時だ。
 青年は緩やかに騎士の礼をして、また小さく笑みを湛えた。どうやら私たちのために待っていてくれたらしく、身体の向きを私たちから城の方へと変え、青年は手で奥の道を手で示す。

「お待ちしておりました。案内のゼフィルスともうします。本日はよろしくお願いします」
「よ、よろしくお願いします」
「では参りましょうか」

 歩き出した青年の後を追い、慌てて歩いて行く。後ろからぞろぞろとついていく中、ノウゼンさんだけが何かまだ悩んでいるようだった。


 ハイマート王国に唯一ある城は、革命がまだ起こっていない改築前に比べると随分広くなったのだという。以前は中に常駐する兵士も少なく、何をするにしても外でやるのが基本的に多かったのだとか。未だに騎士団見習いたちの訓練場が城の中ではなく外に建物として残っているのがいい例だ。
 廊下に六組のブーツの音が高く響く、上に大きく広がるアーチ状の天井では、自分たちの声もどうしたって声を小さくしたところで響いてしまう。案内として先頭に立つ青年は、時折簡単な説明を交えつつ謁見が行われるという広間へと向かっているらしかった。

「ギルド・インペグノというと……国の依頼を受けてくださったギルドですよね」
「はい。こちらも良い体験をさせていただきました。見たことのないものも見たり、聞いたことのないものも聞いたり……詳しくは報告書にギルド長が書いてくれたとは思うのですか」

 青年の問いにノウゼンさんが用意してくれた言葉で対応した。とにかく覚えさせられることに徹底した昨日の晩を思い出し、言葉をうまく別の言葉に変えながら話す。こうでもしないと、自分のアドリブだけでは不安でしょうがなかった、それに間違えたとしても他の誰かが代弁しやすいから、とのことだった。昨夜聞いている限り、報告書への記載を一応言ってくれと知識屋二人から頼まれているのも気にしながら、青年の質問へ答えていた。
 頷いた青年こちらへと視線を送りつつ、廊下の先へと歩いて行く。待遇されているのかそれとも単に警戒されているだけなのか、私では全く判断がつかないが、とても友好的な態度とは決して言えなかった。相手も仕事中だし、そこには無理に突っ込むことは出来ない。

「僕はその報告書にまだ目を通していないので……なんにせよ、大きな仕事であったにも関わらず、引き受けてくれてありがとうございました。これで少しこちらも対応がしやすくなります」
「そうか、魔物の話でしたもんね」
「あれには手を焼かされていまして。魔導師団の方でも対応をお願いしているのですが、あんなに出現されてはこちらも考えなければいけません。今回の依頼はその状況を何とか打破できないか、ということで作られたのでしょう」

 あれ、とは恐らく私たちが何度も遭遇した悪魔のことだろう。剣ではなく魔法で倒すのが効果的なため、魔法を扱うことを仕事とする魔導師団たちが最適だ。数日前に戦った私達以上に早く仕事が終わることだろう。
 ただの傷を負わせるまでならばある程度訓練を積んだ者でも行ける、けれどもそこまでだ、致命傷を追わせたるり実際に倒すとなるとかなり高位の剣士や魔法使いが確実に必要となってくる、危険を減らそうと思うと普通の一般人だけでは難しい。
 そういえばあの後から悪魔は出現したのだろうか。昨日帰国した時に通った野営地は全くいつもと変わらない様子だったが、もしかして他の場所で発見されたりしていないだろうか。

「あの後、どんな状況になっていますか……?」
「ああ、今のところは――あなた達が行く前に報告してくださってからは特に報告は聞いていません。さすがに一週間のうちに何度も、とはいかないようです。他の魔物も同様ですよ」

 それでは今のところはまだ大丈夫ということか。安心してほっと息をついたのも束の間、後ろから付いてきていた銀髪の青年と赤髪の少年は考えこんでしまったようで、おろおろとユティーナが二人を交互に見詰める。

「それでは、もしかしてあの日だけ特別だった……?三体も出るなんて」

 言われてみれば今までのことを考えてみると、一日の間に三体は異常、しかも自分たちと上手く出会ったのは偶然にしてはあまりにも出来過ぎているような気がする。
 案内の青年は首をしばしの間傾げた後、また元に戻してその歩を少し早めに進めた。

「今までは人気のないようなところばかりで、全て見回りの者たちが片付けてくれたようです。しかし報告を聞く限り、そこまで大きな数の変動はないようでした。その日だけおかしかったのでしょうね」
「原因の元についての調べは結局出来ませんでした……厄介な人物に付け狙われてしまって、念の為に出国を早めたんです」
「その判断は正しかったでしょう。捕まることは確実に避けて欲しかったでしょうから、その調べについてはまた後日、こちらで手配してみましょう」

 青年はそう言い切って、私たちが頷いたことを確認してから笑った。どうやら悪い人ではないらしい、ちゃんと仕事をしなかったと怒られるものかと思っていた。
 ふと、大きく白い扉の前で青年は足を止める。ここが謁見の広間なのだろうか、そう思うと今更ながら緊張が戻ってきた。一瞬にして笑みは消え、青年は静かにこちらへと向く。

「――着きました、無礼が無いようお願いします」
「は、はい」

 一歩引いた青年は扉へと手をかけ、両手で音もなくそっと開ける。広がった景色は白と一帯の赤に彩られる大広間、十数人の人影が見えた。ゼフィルスと言っていた男は何歩か進み、赤絨毯の途中で美しく礼をした。

「ギルド・インペグノの皆さんをお連れしました」
「ご苦労」

 硝子の音のように高い声が響き、赤を辿って階上を見上げる。レースが沢山あしらわれる淡い桃色のドレスに身を包む少女が、歳相応には見えない険しい表情でそこに立っていた。青髪の青年は歩を下げて一礼すると、その大きな扉をゆっくり閉めて向こう側へと姿を消す。
 間近で見るのはこれが初めてだろう、白金のゆるやかにウェーブがかかった髪に紺碧の空を映す瞳、ぱっと見ただけでも貴族に連なりそうな淑女のイメージがそこにはある。少女はようやく表情を緩め、小さく笑みを溢した。

「陛下は本日急用が出来まして、代役として私がすることになりました。ローダンセ・イル・ハイマーティス、ハイマート王国第二十九代王女です。こちらは補佐官」
「補佐官のエーヴェルトです、進行を務めさせていただきます。本日はよろしくお願いします。また、謁見ということで近衛隊が控えておりますが、お気になさらず」

 陛下以上に見る機会が少ない姫様に話しかけられて、緊張が限界を超えないように胸元のギルド章を握った。事前に教えられていた通り片膝をつこうとすると、何故か補佐官の青年は手でそれを制止する。仕方なく不自然な格好から身を起こして、代わりにと言わんばかりにきっちり背筋を伸ばして。錚々たるメンバーが揃っているようで、陛下がいなくてもこちらの緊張は高まるばかり、口元がかすかに震えているのが分かる。
 ノウゼンさんに一通りの礼儀を教えてもらったはいいものの、どれもが教えている当の本人がやっているイメージがなさすぎて、一つ教えてもらう度に実際にやってもらわないと覚えられなかった。そもそもこの人が貴族であるということを忘れてしまうほど、長い時間近くに居たのだと思うと、嫌いなはずなのにと思い返してしまうのだ。凝り固まった貴族のイメージはないと思っていたが、どうやらいつの間にかついてしまっていたらしい。
 ふと今まで視界に入っていなかった横から、先ほど案内してくれた青年と同じ青い制服に身を包んだ十数人が動きを揃えて敬礼する。

「近衛隊長のシュルヴェステルだ、こちらは第二小隊長イルヴェニス」 「よろしくお願いします」

 黒髪の青年の隣、エイブロよりも少しだけ橙味を帯びた赤の髪を二つに垂らす男は笑う。何だか物々しい雰囲気になってしまっているのだが、補佐官の言う通り王族が関わっているのだから近衛隊がいてもおかしくない。近衛隊の小隊がわざわざ一隊まるごと来ようとは思っていなかったが、これが普通なのかもしれないとだまっておくことにした。冷や汗を僅かにかきながら、呼ばれるその時まで静かに待つ。
 姫は金で縁取られた玉座へ優雅にドレスを持ち上げながら腰掛ける、補佐官は彼女からの視線を受け、手元で丸められていた真新しい羊皮紙を広げて朗々と読み上げた。

「それでは、謁見を始めさせていただきます。――ギルド・インペグノ。先方から伝え聞いているはずですが、今回は彼の国へと渡り見聞きしたことを報告してください。昨日送ってくださった報告書に書いていないこともあれば、その報告も」
「――ティリス」

 先頭に立っていた兄がこちらを振り返り、しっかりとした声音で名前を呼ぶ。緊張が更に高くなり、鼓動が速くなっていく。それでも息を整えて気持ちを切り替え、服の中から読みあげる事ができるようにと貰った予備の報告書を取り出す――一部読まないものも混じっているのは、自分を制御するための呪文のようなものだ。

「では、ギルドを代表して副ギルド長ティリス・クラスペディアが報告させていただきます」

 昨日話し合った結果、報告する自分に何の役職もないのは困るだろう、ということで新しく「副ギルド長」という立場を作った。こうした場で話す機会は多いことを見越してだ。ノウゼンさんに任せようと思ったのだが、学者貴族という妙な称号を請け負った彼が話すと、立場上色々な誤解がでてくるとの事だった。
 報告は見せてもらった報告書から幾つかを抜粋、それに加えて「書いていない」ことで「言っても大丈夫」なことを話す。そうとは言っても雨降りの村ピオーヴェレ北部の水門で行われた戦闘、アルストメリア王国女王ノエルに助けて貰った戦闘のことくらいだ。私たちを庇った黒鷹のことは勿論、結局誰に助けてもらったか分からなかったあの川の襲撃は言えない。――ユティーナの正体も。
 何度か練習したとおりに読んでいき、最後に以上ですと締めの言葉を言い切ってから、紙を丸めて終わったことを明確に示す。一言も話さずに聞いていた姫は、考えこむように口元へ指を当ててゆるやかにその唇を開いた。

「なるほど、分かりました。思った以上に花の国も彫刻の街も、動く気配はなさそうですね」
「彫刻の街……?」
「フォブルドン共和国の首都、スクラトゥーラの事です。あの国は様々な形態で住民が暮らしているため、国を形容する言葉がぶれます。その為首都だけを指して呼ぶようにしています」

 補佐官の言葉に反応するかのように、後ろで身じろぎする音が聞こえる、位置とタイミング的にエイブロだろうか。振り返って密かに様子を伺うと、どうやら驚いていたらしく、彼の表情は硬い――それはこの情報を知らなかったことを暗に物語っていた。
 姫はあげていた手を下ろすと、階下の傍らに控える補佐官へと声をかける。何のこともない、そのままの音色で。

「では……本題に入りましょう。エーヴェルト」
「わかりました」

 補佐官が持っていた羊皮紙を丸め、軽く左手を挙げたその瞬間だった。ほんの僅かな衣擦れと地面を叩く音に振り返り、変化したその光景に目を見開いた。
 赤髪の少年は私たちの方へと背を向け、黒髪の少女を庇うように手を差し出しながら、向けられていた剣やそれを操る近衛隊の人を睨んでいるようだった。相手の目を見てもいかにも手練だと分かる読み取れない表情、銀髪の青年がその様子をじっと見つめた後、補佐官の方へと向き合って首を傾げる。

「――何の真似でしょうか。謁見に訪れた人へ剣を向けるというのは」
「ディモルフォセカ、残念です。貴方の父上に敬意を称して、虚偽の報告などないと信じていたのですが」
「はあ、それはどうもありがとうございます……ですが父は父、自分は自分。過度な期待はしないほうが良いですよ」

 ノウゼンさんの言葉に、補佐官は顔をしかめて言葉を継いでいく。声音が冷えた氷のように冷たく尖っていて、最早第一印象とはかなり違っていた。

「警告です。他に報告することはありませんか」
「何を、報告しろというのですか」
「――あくまで話さないということですか。本当に残念です。あなた方はとても真面目だと聞いていたのですがね……ユティーナ・メリオル……いや、ユティーナ・イル・アルストメリア。彼の花の国の王女」
「えっ」

 突如呼ばれた名前に少女は反応を示し、反射的にだろうが唇を手で覆っていた。ありえない、わざわざ報告していないそれを言うなんて。補佐官は口元だけをわずか歪め、満足気にその様子を見ていた。ユティーナは戸惑うように一度視線を落とし、補佐官の方へと再度向け直して途切れ途切れに言葉を紡いだ。

「なんで、何故ですか、何故私のことを」
「私達にも特別な情報収集先というものがあるのですよ。貴女があの国にしばらくいなかったことも、記憶喪失で故郷のことすら知らなかったことも、思い出した上でこちらへ帰ってきたことも」

 ほとんど私たちが知っている情報を言われてしまい、手に持っていた紙を握りしめる。用意していた言葉はそこまで重要視されていなかった、彼らが欲しかったのは、彼女自身が自分の正しい立場を示す報告。とんだ茶番劇に巻き込まれてしまったようだ。
 遅かれ早かれ、彼女の正体はいつか誰かが気づいてしまうとは思っていた。けれどもそれはもっともっと先の話――例えば休戦が終わってしまった時や、協定を結んだ時とか、とにかくあの花の国と何らかの形で関わった時だと思っていた。けれどもその懸念は、意外な形で起こっている。

「――最初から嵌める気だったんですか」
「嵌める?それは大きな誤解ですね。私たちは報告書に書かれていないことを聞きたかっただけです。恐らく書いてはくれないでしょうから。それとも、言えば教えてくれましたか?密告者覚悟で帰ってきたのだと」
「密告……!?私、そんなつもりで帰ってきたんじゃありません!」
「ならば何故隠す必要がありますか。堂々と宣言なさい、私はあの国の姫なのだと」
「それは……それは、」

 言葉を紡がなくなった少女を見て、補佐官はため息をついた。明らかに言いよどむ彼女の代わりに口を開く。正体を暴かれた少女は、ただ唖然として何も言えないまま、前にいる補佐官を見つめるばかり。

「できないでしょう。そんなことをすればあの国でも機密である貴女の存在が分かってしまう。ここへ連れ戻しに来るでしょう、なんとしてでも」
「どうして?どうしてそんなことまで知っているのですか」
「貴女が知る必要のない事ですよ――さて、ギルド・インペグノ。ギルド長ガディーヴィ・クラスペディア、副ギルド長ティリス・クラスペディア。エイブロ・グラーシア、ノウゼン・フォン・ディモルフォセカ。そしてアルストメリア王国第二王女ユティーナ・イル・アルストメリア。貴方たちを国家謀反およびその共犯の罪で捕らえます」

 言い渡されたそれの意味が一瞬分からなかった、いや信じたくなかったか。何故、何故そんな方向にことが進んでいる。元から用意されていたというのか、反逆の罪に問われるようなことを私たちはしているというのか。ただ出会い頭に因縁をつけられて殴られたような、そんな気さえする。
 先手を打たれてしまい、動けずに彼らを見詰める。階上で静かに私たちを見下ろす姫の視線も、階下で騎士のように傍へ仕える補佐官の瞳も、何らこちらのことを安堵するようなものではない。冷たく尖った視線、姫はまだ柔らかな印象を保ってはいるものの、補佐官の男はもう慈しみや優しさとはかけ離れているような。折角教えてもらった礼儀作法も、こんなことになっては取り繕う暇もない。狼藉を働いた事になってしまうのだろうか、ただ私たちは報告をしに来ただけだというのに、こんな形で。
 頭が混乱する中、絨毯に負けないほど鮮やかな赤が、隣を以上にゆっくりと通って行く。

「エイブロ……?」
「――そこまで分かっていて、何故汲み取れないんですか。まさか本気で彼女がそんなことをするとは思っていないでしょう」

 そうだ、ユティーナがそんなことをするはずがない、一体誰が彼女のことを調べあげたのかは分からないが、そんなことはありえないと思ったはずだ。人に優しすぎる、けれどもそれは平和を望む彼女だから。けれども補佐官は聞き入れてくれる様子などなく、相変わらず冷たい声をかけてきた。

「摘み取れる芽は取っておかないと困ります。どんな些細な事でも私たちは進む必要がある、そのための予防策ですよ」
「予防策……なるほど、予防策で牢に入れると。随分野蛮なやり方ですね」

 嫌味のようにおどけて言ったエイブロへ、近衛隊長がにこにこと笑って話しかける。彼とその隣で控える青年はまだ剣を鞘からは抜いておらず、腰に吊ったままのそれへ腕を任せて、男は体勢を崩した。

「難しい話じゃないさ。嫌疑が晴れるまで大人しく牢で過ごせば」
「お断りします」
「――ノウゼンさん」

 それで脅しているつもりですか、でも言いたげなその表情は、いつも通りの彼を彷彿とさせる。今度は赤髪の少年を制するように銀糸は棚引き、ギルド一の魔法使いはその笑顔を静かに睨めつけた――普段より真剣味を帯びているのが分かる。それを笑い飛ばさず、相手の顔からは徐々に笑みが消えていく。

「いくらなんでも当てつけです。そんな理由で捕まるわけには行きません」
「――イル、抜刀許可を出す、抜け」

 無言で鞘から刀身を見せる小隊長は、今言葉を発したノウゼンさんの方へと視線を向ける――知り合いなのだろうか、やけにその視線は強い気がした。
 その時、か細く震えた声が耳へと届いた。誰の声かと一瞬疑い、声がした方向へと向くとぎょっとしてしまう。

「ごめんなさい……ごめんなさい、私のせいで、私がいるから」

 泣きかけの少女は雫を不安げな目の端に溜め、自らの服をぎゅうと強く握っている。震えているのだろう、その小柄な身体は小刻みに揺れていた。その肩を抱くのは勿論、赤髪の少年。

「さっきノウゼンさんが言ったとおりこれは当てつけだ。ユティーナはユティーナの意思でここにいる。自信を持って、お前の居場所はここだ」
「エイブロ」

 優しい言葉に少女の目はようやく光を取り戻す、その様子を横目で見ていた小隊長の男は一つため息をついて、身体の向きを変えた。

「隊長。俺がやってみてもいいですかね」
「何だ、妙にやる気を見せやがって」
「ちょっとね。こういう場面でさらっと言えるのはすげえな、尊敬するよ。けどなあ少年、状況を見てから言おうぜ」

 くすりと笑ったのはエイブロの方、彼はユティーナの肩から手を話して男の方へと振り返る。大胆不敵な笑み、この状況でも余裕に見えたのは単なる見間違いか、それとも彼に自信が溢れているのか。

「見て言っていますよ。なんせ話が簡単に通じるような人間だとは思っていたので」
「抵抗すれば確実に怪我をするぜ、いいのか?」
「――黙って捕まるほど頭が良くないんですよ」

 槍や剣、弓矢や杖は宿においてきてしまった。今武器らしい武器を持っているのはエイブロだけだ。抵抗しようにもなかなか難しいような。そんなことを思っていると、短剣を取り出した少年は私とユティーナとを真ん中へと寄せ、兄さんに余ったそれを渡した。ノウゼンさんは懐の紐から本を取り外し、ぱらりとなんページかめくり、親指で支える――準備が整ったという合図。
 武器を所持していないため、ここで何とか逃げるか交戦するかとなると、私とユティーナには魔法しか手段はないだろう。しかし私は方向性を与えるものを一切持っておらず、ただイメージのままやるしかない――イメージのまま魔法を行うのは危険だと教わっている。方向性のない魔法は意思が弱いものが扱えば自身を傷つける凶器に早変わりだ。
 しかし、濡れ衣を着せられたままでは、悪評を被る訳にはいかない。私たちはただ旅をするギルドではなく、皆それぞれに仕事を抱えていてまたその場所へと戻る必要があるメンバーだ。こんなことで悪者の烙印なんかを押されれば、それこそ孤立するか仕事が一切来ないかのどちらかを辿ることになりそうだ。それにこのままでは顔さえ見せられない、いくら隠しても実際に城で働く先生たちには分かってしまうだろうし、研究所などにいる学校時代の友達たちの耳にいつ入るかも分からない。今ここで諦めれば、きっとその疑いを晴らす気力さえも恐らく皆無になってしまう。

「じゃあやるしかねえなあ。補佐官、いいですよね」 「ええ」

 圧倒的に追い込まれたこの状況下で、急転直下していく事態に目も当てられない、と終わらせるつもりはない。勿論ここを切り抜けるのは至難の業だ。腕が立つとはいえ、相手はそこらにいる一般人とは違う、彼らは先生たちがいる騎士団・神官団に並べられ、国の最高責任者として存在する王族を守る盾を担う近衛隊だ。近衛隊長は相も変わらず抜剣をせず、その戦況を端から見守ろうとしていたが、それ以外の人は小隊長も含めて動き出しそうである。
 何の相談もなくいきなり始まりそうな戦いに、泣きたくなりながらも圧迫感に押されないよう、脳裏に思い描いた魔法を紡ぐための呪文を唱え始めた。
 

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