第三幕「忘れ去られた森の片隅」

 エイブロからエルフの話を改めて聞き終えた私達は、夜が明けた迷い路の森の奥へと進む。この先にあるのは彼の故郷という里、ウーブリエだ。正しく里帰りだな、そう茶化してきた彼の顔色は随分と良くなったが、それでも万全ではない。気乗りしないと言っていたのは、これのことだったのだろうか。いや、だが王にエルフの里へ行きたいと進言していたのは赤髪の少年だったような。何はともあれ、次に行く場所に精通している人が仲間にいる、というのは助かることだった。
 進んでいた兄の足が止まり、何事かと前を見詰める。どうやら行き止まりらしい、道は続いておらず、この先はあっても獣道の予感しかない。茂みを掻き分けて行くことも可能ではあるが、経験上体力も削られる上に見つからなかったら最悪だから、行きたくない。

「これ以上は進めないみたいだな。行き止まりか……無理に進むのは厳しいな」
「でも、ここまでほとんど一本道みたいに見えましたけれど」
「続いていないなら仕方が無いだろう、戻るぞ」

 さっと踵を返した研究者の銀糸が舞う、それが彼の背中へ落ち着く前にエイブロが進み始めた。勿論そちらは行き止まり。進む少年の手には小さく黒い塊が握られていて――見たところ鉱石のように見えるが――一体何をするつもりだ、そう問い掛けた研究者へにこりと笑い、少年は何言かを呟いて、塊を先にある茂みへ投げた。そして、茂みに入る直前、塊は何もない空中でひびが入り、砕ける。同時に硝子が割れて崩れるような音が、微かだが前方から聞こえた気がした。

「な、に」
「結界だよ。ウーブリエの連中がよく使うんだ、エルフ以外の奴を入れたくないから」

 落ちた塊の欠片を少年は踏みつける。どうやら魔法で人工的に作り出されたものらしく、それはすぐさま煙となって消えていった。彼の話だと、今の道具でここが通れるようになったということだろうか――エルフ以外の奴も入れたくないと言いつつ、人間もいるというのに。

「開けていいの、勝手に」
「俺でも開けれるようにしている方が悪い」

 彼は悪びれる様子もなく肩をすくめて、そのまま先へと進む。茂みは消え、更にその先の道もはっきりと見えていた――一体どういう仕組みなのだろうか、あの結界は。彼に聞いてみようと近寄った時、頭上から声が聞こえた。

「まったくもってその通り」

 声の主は、女性だろう。目の前へすとん、と音もなく降りて来た人影は、目深くフードを被っており、僅かにフード端から見える金糸だけが情報だ。思わず身構える自分たち四人を掌で制止し、エイブロは軽く苦笑いを浮かべた。

「……ネイディア、お久しぶり」
「まさかこのような形で戻ってこようとは。精霊の導きとはかくも無情なことよ」

 どうやら彼女は少年の知り合いらしい。小さく息をついたエルフらしきその人は、手を振って魔法の鳥を生み出す。森の奥へ飛び立つ辺り、この先にあるはずの里へ知らせたのだろう――それは良いとして、精霊の導き、とは何のことだ。

「別にいつ戻ろうと俺の勝手だろ」
「その身勝手な態度は全く変わっとらんな、エイブロ」
「それはどうも」

 だが、そのことは聞けないまま、エイブロとネイディアの言葉に耳を傾ける。彼らしいなと思ったのは内緒だ、返答も、昔から変わっていないというその態度というのも。

「――ついてこい、そちらの子等も。族長がお呼びだ」
「族長?」
「我等がウーブリエを管理する里長にして、エルフ族全てを見守る族長、ニア様だ」



 さざめきが聞こえる。人が踏み入れるには少し神秘的なそのトンネルは、樹木が組み合わさって作られたものだ。時折風が吹いて木の葉が視界を遮る、そんな道の先へ一歩踏み入れた瞬間、空気の違いに後ろにいた全員が呆気に取られる。さざめいていた木々の音も、何処かで鳴いていた梟の声も、一瞬にして聞こえなくなった。静まったそこは、まるで誰も住んでいないようにさえ感じる。
 ネイディアとエイブロに案内されたウーブリエは、まさに森の民というイメージの里だ。木々の上に家を建て、人々はゆったりと過ごす――だが、その住民の誰もが、こちらを向いていないにも関わらず、自分自身への視線をあちこちから感じる。見渡してみてもこちらを向く人はいないというのに、何故。

「凄い……ね」
「ウーブリエの里は、特に結界が強いんだ。匂いも音も遮断し、周りからは見えないようにするために」

 ふと視線を逸らすと、里の囲む大樹に光が走る。それが結界なのだと彼は指して教えてくれた。どうやら先程行き止まりを作っていた結界と似たようなものらしく、ここからでもその強さが分かった。

「結界、相当分厚いんだな……」
「それが僕らの命を保つために欠かせないものだからね」

 くすくす、前から聞こえてくる小さな笑い声に視線が更に逸れた。銀色の髪に新緑の瞳――歳は兄さんたちよりも少し上ぐらいだろうか、目鼻立ちが良く、美形な青年は、ネイディアと同じく音もなく歩み寄ってくる。その人懐っこそうな笑みは何処かで見覚えのある顔で、ついじっと眺めてしまった。

「メルヴィノ……」
「リヴェーオが帰ってくるとは嬉しいねぇ。元気にしていたかい」
「ある程度は」

 聞き慣れない単語を口にした彼か彼女かは、赤髪の少年と似たように肩を竦めて笑った。それでようやく分かる、あの笑顔はエイブロに似ているのだ――いや、どちらかと言えば、相手に似ていることをしていた、ような。

「可愛い女の子とむさい男二人連れてくるとは、趣味がいきなり幅広くなったねえ」
「仲間だからな」
「へえ、仲間、仲間ねぇ。君の口から仲間という単語がそもそも出てくるなんて……やっぱり、月日は人を変えるんだね。僕が知る君ならそんな単語さえ口にしなかったのに」

 きっと睨み付けるエイブロに構うことなく、彼はこちらに近寄ってくる。そっと差し出してきたのは、何も乗っかっていないただの手だ。

「初めまして、可愛いお嬢さんたち。僕はメルヴィノ。そこの坊やの師匠だよ」
「えっ、エイブロのお師匠様」
「師匠なんかじゃないよ」
「おや、酷いねぇ。ナイフも足の運び方も人を見抜く目も、僕が手取り足取り教えてあげたのに」

 可愛いと言われて頬を赤らめた少女の手を引いて、エイブロは奥へずんずんと進んでいく。否定をしない辺り、今のエイブロの諸々が影響したのは彼だろう。慌てて追いかけて行けば、後ろから当然のようにメルヴィノとネイディアは追ってきた。
 嫌そうな顔を曝け出す彼は、当たり前のように里の皆から視線を受けている。それでもどこからか自分自身に対しての視線を感じているので、もしかしたら何か仕掛けがあるのかもしれない。つい周りを見渡していると、少年はふと立ち止まった。小さいが広場らしい、地面の草が円形状に刈り取られたそこには、真ん中に腰掛けと思われる切り株が一つあった。

「長老、呼んでたんじゃないのかよ」
「今は里の見回りのお時間だ」
「呼んでおいてそれかよ……相変わらずだな」

 どうやら、切り株はその長老の椅子代わりらしい。舌打ちした少年はこちらを向いて、肩を竦める。ちょっとだけ待っててくれ、と言いたげだ。待つしかないため、目的の人が来るまでここで待つことになりそうだ。

「村長さんってどんな人なの」
「どんなって、結構普通の人だよ。厳しい人だけど」
「お、言うようになったなあ。昔は全力で逃げ回ってたくせに」
「あ、想像つくわ……」

 あの木の枝に飛び移って、本当に逃げ回っていたのではないだろうか、と手近な巨木の枝を見る。案の定人の足が引っ掛けやすそうな部分と、実際に幾人もがそうしていたのだろうと思わせる痕跡がそこかしこに残っていた。少年は告げ口をした青年と自分を睨んできて、一つため息を溢して何か言いたそうだ。しかし緩く首を振って、同じ木の枝を見上げるだけに留まった。

「……あんまり好きじゃなかったしな」
「エイブロ……」
「違うな。お前は居場所を求め過ぎたがために、他人とふれあうことを全て拒絶したのだ」

 ぼそりと呟いた言葉に、返答の声が一つ加わる。はたと振り返った先には、一人の老人がいた。いや――老人、と呼ぶには、あまりにも失礼だと思ってしまう程、その女性は美しかった。流れる銀の髪に、太陽のような金色の瞳――そう、そもそも人の枠に当てはめれない色彩を持ち合わせる女性が、そこに立っていた。
 彼女は手に持っていた杖を軽く掲げる、すると周りの草が風も無く揺れ、辺りを白い光が大きな檻となって広場を囲んだ。鳥かごの中に作られた心地よい空間に、つい気を緩めてしまいそう。
 その様子を黙って眺めていた少年は、ほんの一瞬その瞳に懐かしさを宿し、また一瞬にして鋭さを取り戻す。

「族長」
「久しぶりじゃな。この森へわざわざ踏み込んだ、その理由を述べよ」

 単刀直入に問われ、つい全員が口を閉ざしたまま見合った。テオロギアを見に来ました、と言って良さそうな雰囲気ではない。侵入者をここまで見るということは、それだけこの里そのものが厳重に守る何かがあるということだろう。同じエルフのマローネが言っていたように、見せてくださいと言って素直に見せてくれるような人たちではないことは火を見るよりも明らかだ。
 しかし、少年は一歩前に出た後、隠すこと無く彼女へと答えた。

「ニア族長、テオロギアがここにあるはずです。みせていた」
「この森へわざわざ踏み込んだ、その理由を述べよと問うたはず。いつも言っておろう、リヴェーオよ。質問に正しく答えよ」

 言葉を遮った彼女は先程も聞いた単語で彼を呼び、同じ質問を言った。いや、この単語は間違いなく彼のことを指しているのだろう、何かの呼び名か、或いは――彼自身の。

「ここにあるテオロギアを読まさせていただきたいため戻りました」
「――リヴェーオ、って」
「俺の前の名前だよ。エイブロは、ここを出ていく時に作ってもらった名前」

 さらりと名前のことを教えてくれた彼は、再び長老の方へ向く。明らかにお断りしますというような、苦虫を噛み潰したような表情を彼女が浮かべていたのだ。

「断ると言ったら?」
「それでも読まさせていただきます」
「ふむ、断る。お前に、外部の者にあの書へ触れさせるわけにはいかない。我らとクラベスとの約束じゃ」

 案の定の言葉につい、ああやはりと心の内で考えてしまう。彼らが守っているのはテオロギア。しかしそれが彼ら独自のものではなく、あの少年軍師のものだとすれば話が別だ。先日森で会った狼族の彼らは、もしかして本当にエルフと交流しに来ていたのだろうか。

「エルフが、クラベスと?」
「――テオロギアのためじゃ。テオロギアとはテオロゴイによって神の存在を証明する、唯一無二の宝書。易々と触られては困る」
「テオロゴイ……」

 以前ノウゼンに教えてもらった、テオロギアを記す者たちのことだろうか。だとしたら彼女はそのテオロゴイのことを知っていることになる。――あの、城で自動的に記されていたという言葉も、もしかしなくてもテオロゴイが書いたものなのだろう。
 さて、どうしたものか。見せてくれないと次に繋がる手がかりはない。もう一つの目的地である龍の谷自体場所が分かっていないのだから、出来ればクラベスに繋がりそうなテオロギアは見ておきたいところだ。だが、この状況では難しそう。

「まだ何か手を打つ気か?我は簡単に落ちんぞ」
「では」
「ひゃっ!?」

 まず、少年に腕を引っ張られたのことに驚いて固まるので数秒。更にその声が自分の喉から出た声に気付くのに数秒。何故私が長老の前に出されているのだろうと、目で訴えれば、少年はにやりと笑った。

「こちら、ティリスというものです」
「ちょっ、え、エイブロ?!」

 しかも自己紹介までされて、頭の中が混乱する。どういうことだ、何故私の名前を言われているのだ。今は絶対に必要ないだろうと踏んで、顔を上げる。
 しかし、その先にあった長老の顔は、突然何を言い出したのだ、という顔ではない。むしろ何故私がここにいるのだと、疑問というよりは困惑に満ちた表情を浮かべていた。間違いない、彼女は私を少なくとも知っている――私の知らない何かを。

「これでもまだ読むに値しないと言いますか。彼女がいても」
「脅しのつもりか、リヴェーオ」
「まさか。ただエルフの族長として使命を果たすべきなのでは、と思っただけです」
「ふむ……よかろう。ついてくるがよい」

 あっさりと通ってしまったことに、自身が一番驚いていた。何故私がいるから大丈夫なのか、説明を求めて少年を見れば、後でと合図される。説明はしてくれるらしい。

「ティリス」

 兄の不安気な声は、自分自身の不安をも煽るには十分だ。そんな情けない声しないでよ、と返答する自分の声も、少しその影響を受けていた。

「……大丈夫、皆ここで待ってて。よく分かんないけど、行ってくる」
 

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