「お?すげぇ壊されてんじゃん」
「何とか残骸は残っている、というところか」
聞きなれた二つの声に振り返ると、兄さんとノウゼンさんがちょうど地面に下ろされているところだった。二人の様子が何となくやつれ、ところどころ髪や服が乱れているように見えるのは気のせいだろうか。遅れて降りてきた二人の鳥の片方、いかつい男がこちらをじっと見ているのに気がついて振り返る。よく見れば運んできた方はを荒くし、兄さん達と同じように体のいたるところが乱れ、オルゼさんとは正反対な状態にあった。
「その、くそはえー飛びかた、止めろよ、俺達がついていけねぇだろ。そっちの嬢ちゃん生きてんのか?」
「え?あ、はい。生きてます」
軽いノリでそう答えると、いかつい鳥の男は目を細め眉を潜めた。様子を見て、どうやらオルゼさんが速すぎて追い付くのに必死だったらしい。兄さん達も若干疲れているように見えるのは、もしかしなくても二人の鳥が無理矢理飛んだからなのでは、と考えてしまう。他四人に比べると、オルゼさんは疲れている様子はなく、私もいたって普通の状態だ。私たちがそんな状態だったからか、或いは単にオルゼさんを嫌ってなのか。更に顔をしかめた鳥はぶつぶつと呟き始めた。
「こいつは本当に俺たちと同じ鳥なのか、いやその前に人間の女の子ってこれが普通なのか、俺が昔見たやつはもうちょいこうかわいらしかったというかなんというか……」
「さぁ。今回オルゼが運んでいますから、単に私たちより運ぶのが上手ということなのでは」
「むしろそっちを認めたくねぇ。誰があんなやつに負け」
「はいはい分かった、グート、文句は後で聞くから。お前らは残してる黒髪の嬢ちゃんと、赤髪の坊っちゃんを拾って来てくれ。時間は確実に限られてる」
文句の代わりに目を開いた二人の鳥は、オルゼさんの言葉に落ち着きを取り戻したらしい、再び地面を蹴って空へあがる。大きく広げた翼は暗い空を遮り、数枚の羽を散らした。村に残しているエイブロとユティーナの状況はここからではわからないが、この二人の鳥ならば無事に運んでくれることだろう。私たちは、私たちのやるべきことをしなければいけない。見えない小さな二人の背中を思い浮かべ、フロンティール村で背中合わせに戦った時のことを思い出す。大丈夫、あの二人は大丈夫。
「じゃあ二人の支援を頼む。何かあったらすぐに来い。まぁ大丈夫だと思うが、くれぐれも気を付けてな。…お前達に風のご加護がありますように」
「任せておけ。黒き羽根に、風の加護がありますように」
「そちらもお気を付けて。貴方は鳥族の重鎮ということをお忘れなきよう。気高き黒鷹に、風のご加護がありますように」
お互い祈るように告げたあと、二人の鳥は遥か高くを飛んでいく。鳥にとって、やはり風は祈り文句に出るほど大事なものらしい。できれば、あの小さな二人にも向かい風ではなく追い風が吹いてほしいものだ。目を見張らしても見えなくなったのを確認し、二人の鳥と二人の仲間の無事を、両手を組み目を閉じて祈る。危険なのは物体に干渉している途中で集中が切れてしまうことで、下手をすれば命の危険にだって、直接関わるかもしれない。それを、たった二人に任せてしまうことが心配だ。だが既に湖へ来てしまった今となっては、心配してもどうしようもない状況となった。仲間を信じることも大事だと心へ言い聞かせ、目を開ける。ーーノウゼンさんにユティーナとエイブロのことを指摘されてから、二人の様子を無意識に伺うようになってしまっていた。今回のことでそれらの不安を全て払拭できたら、と思う。私が手をほどいたことを確認したオルゼさんは、腕を伸ばしたり足を伸ばしたりして準備運動を始めていた。
「さーてと、やりますか。とりあえず水の中には入らないことと、引き上げるのが面倒だから魔物を水の中にドボン!しなかったら好き勝手やっていいからな。俺は単独でも問題ないし、なるべくあんたらは離れないようにしろよ」
「単独って、大丈夫なのか?」
水の中に入るな、というのは恐らく水を汚さないための防護策だろう。魔物の件は、水の中から引き上げるのは大変だからだと思う。問題はオルゼさんが付け足した最後の一文だ。兄さんが急に振り返って視線を合わせると、黒羽根からは肯定的な疑問が返ってきた。
「俺、超・強いぜ?」
「だそうだ。俺たちは俺たちのペースでやろう」
「はーい」
にこやかに笑うオルゼさんをほぼ無視する形で、ノウゼンさんの提案に手をあげて二人賛成する。まぁ、本人の言う通り強いんだろう、多分。彼のおおよその強さは、初めて退治したときから予想がついている。何よりも手慣れた戦いの準備がそれを物語っているのだ、心配する方がおかしいのかもしれない。兄さんから預けていた私の槍が渡され、試しに一回振り払うと雨雫がしゅん、と周りに飛び散る。雨の中で戦うことはあまりないが、戦ったことがないわけではない。ただ戦いにくいのは分かっていたため、念のために用意していた麻紐を巻いて武器が滑らないようにする。兄さんも剣をさやから抜き、ノウゼンさんも弓の弦を調節し準備を始めた。そしてオルゼさんはというと、武器らしいものを一つも持っていなかった。
「…オルゼさん」
「ん?」
「武器は?」
飛ぶときに邪魔だからどこかに隠しているのだろうか、と私は呑気に考えたが、本人はただ首を振るだけだ。魔法使いか、と一瞬思ったが肝心な指向性を与える器具もない。オルゼさんは拳を握りしめて、自分の胸の位置まで上げて誇らしげに笑った。
「素手」
「魔物相手にですか!!」
思わず叫んでしまい、たまたま近くにいた魔物が私の声に気付く。しまった、と武器を構えたときにはノウゼンさんが矢を放ち、見るからに水生の青い魔物は倒れていた。他の魔物は、よかった、気づかなかったようだ。
「ご、ごめんなさい…」
「次からは気を付けろ」
「はい」
ノウゼンさんに短く叱られ、下ろした槍を握り直す。よく注意が足りていないと人に言われるが、こうして自分の行動を振り返るとその言葉がよくわかる。いや、それも大事なのだが、オルゼさんが素手ということの方が大事だ。私たちのやり取りを黙ってみていたオルゼさんは、うーんと軽く首を捻っている。
「たまに弓とか槍とか使うけどさぁ…やっぱり素手が一番じゃね?」
じゃね?と聞かれても、私からしてみれば敵に素手で触ることすら無理なわけで、同意しかねる。そうかなぁと兄さんが真剣に悩み始めたころ、オルゼさんも違うのかなぁと悩んでいた。悩むところじゃないと思う、と突っ込みたいのを我慢し、ノウゼンさんと顔を見合わる。
「理解できん」
「同じく」
なんで?と首を傾けるオルゼさんと兄さんを見て、それこそなんで?とこちら側も眉をひそめる。このやり取りで肩を落としたのは、私だけではない。普段ならありえないことだが、ノウゼンさんと意見が合ったことに、この時ばかりは小さな幸せを感じたのだった。
それから、どれほどの時間が流れただろう。雨は重さを増して手や肩を打ち、足下のぬかるみは次第に水溜まりへと変わっていく。見上げなくても空は曇っていることが分かり、もうすぐ昼が訪れようとしているはずなのに雲間から光は差さない。そしてそんな状況の中、鼻に届くのは水の匂いと錆びた鉄の匂い。後者のほとんどが敵のものだと知っていても、やはり気分の良いものとは呼べない。視界に垂れてきた滴を空いた手で払い飛ばし、滑る槍の柄を振るって滴を落とし握り直す。背中合わせにいた兄さんが剣を横凪ぎすると、また魔物が一匹地に落ちて濁った泥水を跳ねさせた。しかしまた一匹別の、猿のような魔物が兄さんの前におどりでてくる。
「ノウゼンっ!!」
「――唸れ輝きの刃!【雷の剣】!」
ほとんど反射的だった兄さんの合図に、ノウゼンさんは魔法で答える。素早さが特徴のこの猿の魔物は、反応が早い代わりに行動が遅いため、囮を使うことですぐに仕留めることができる。ノウゼンさんの魔法を避けた猿の魔物は、後ろから兄さんの振り上げた剣によって倒れる。ぱたた、と何かが零れる音を無視して、私は新たな魔物へと近寄り槍を繰り出す。予想よりも敵は弱く、私一人でも一対一なら倒せてしまうようなものばかりだ。しかし、敵の強さではなく多さが問題となっていた。
「兄さん、後ろからオーク!」
「おう!!っと、ノウゼン!魔法で援護してくれ!まだ悪魔が残ってる」
「分かった。ティリス、ガディーヴィの左側から回って手前のゴブリンを飛ばしておけ」
「了解です!」
声を出して周りを囲まれないよう連携をとらなければならないほど、魔物の数は多い。時々混ざる悪魔は魔法を使わないと危ないし、今さっきの猿みたいなやつは一人じゃ難しいし、何にせよ時間がかかるのは間違いなかった。
魔物の横へ回り、槍を魔物の足元で横凪ぎにする。猪―オークと名付けられたそれは、突進される前に体勢を崩せば、あまり危険はない。見た目からしても重たそうな巨体、それを支える4本の足のうち1本に怪我を負わせることができた。ふらついたところを皮膚の薄い脳天に向けて槍の柄を突きだせば、湖の周りに広がる暗い森の中へと転がっていく。多分今の魔物で、15、6匹目のはずだ。しかしまだ目の前には、わんさかと魔物が残っている。流れ落ちてくるのが雨滴なのか汗なのか分からなくなって、視界の悪さと空の暗さのせいで不安が渦巻く。だが、こんな状況を目の前にしても、時間がかかりそうだという予想をひっくり返してしまいそうな男が一人。
「……ふっ!おー、まじ歯ごたえなさすぎ、っと」
羽をたたんだまま戦うオルゼさんである。彼は水ヒレがある魚人(サハギン)の下へ体を潜り込ませ、相手の顎を足で蹴り飛ばし、早くも次の敵を見据えている。襲い掛かる熊に似た大型の敵の下へまた潜り込み、今度は背中を縮めて相手の腕を引っかけて回す。いとも簡単に熊はひっくり返り、頭を地面にぶつけて倒れていた。ーーオルゼさんは武器を持たないため体術のみで魔物と戦っているが、それが半端なく強い。新たに飛びかかってきた狼は手刀で落とし、後ろから狙っていた猿は向こうが動くより速く足で蹴落とす。飛び散る雨雫と血をもろともせず、オルゼさんは自ら近づいて敵をなぎ倒していく。私たちがほとんど一対一で戦う中、オルゼさんは十数匹を一度に請け負って捌ききっているのだ。また一匹、今度は猪をオルゼさんはかかと落とし一発で倒す。私ならあの巨体をふらつかせなければ倒せないのだが、そんな事をしなくてもオルゼさんには倒せるらしい。ふと、ノウゼンさんの背中を見て違和感に気づく。魔物を倒しながらノウゼンさんへ背中を合わし、予備の麻紐を出して紐が切れた矢筒を結びつけた。
「大丈夫ですか」
「あぁ、助かった。すまないな。……それにしてもあの黒鷹、中々強いじゃないか」
もう一度弓をつがえながら、ノウゼンさんは私に話しかけてきた。無意識に頷いた頭を無理やり起こし、目の前の敵を見定める。
「蹴りだけで魔物を倒す人、初めて見ました」
「集団戦闘を経験してるんだろう。敵味方が入り雑じるような、かなりの大戦闘を」
「へ?なんで分かるんですか、そんなこと」
ノウゼンさんの見解にいつものノリでつっこむ。普通の戦闘経験者では無さそうなことは分かるが、大戦闘の経験者という根拠があまり見当たらない気がする。緩んだ弦を張り直すため手元を動かしながら、ノウゼンさんは横目でオルゼさんを見てから言った。ノウゼンさんの視線に気づいていないのか、オルゼさんはまたもや魚人と対峙して攻撃の機会を伺っている。
「数が多い中で敵味方の配置はもちろんのこと、味方が使っている武器を判断して倒しにくいやつから先に倒している。例えば、俺たち三人ならあの魚人とかはどう考えてもやりにくいだろ。水生の魔物なんてハイマートにはいないんだから、倒すのに慣れていない」
「え、あ、そうですけど…」
「一回もこっちに来ていない。先にあいつが倒しているんだ」
なるほど、そう言われてみれば。よく見れば自分の回りにいる敵の中でも、悪魔や猪といった私たちが倒しやすい敵はかなり残っている。それに比べ、猿や魚人は私たちの回りにほとんどおらず、代わりにオルゼさんの近くで積み上がっている。知らず知らずの間に自分が倒す敵の種類が限定されていた、ということなのか。ノウゼンさんの意見にオルゼさんは笑顔を見せ、体を捻りながら楽しそうに話しかけてきた。
「お、さすがはインペグノの軍師っぽいやつ。見る目が高いねぇ。結構これでもバレねぇように気を使ってたんだぜ?……よっとぉ!!」
オルゼさんは回りにいた二体の魚人を、体を捻って距離を稼いだ分威力が上がった蹴りでなぎ倒す。空気が軋む音、いや、それはもしかしたらただ魔物の体が軋んだ音だったかもしれない。遅れて打撃音と低い呻き声が耳に届いて、不意に先程のノウゼンさんの見解を思い出した。青色の体が森の方へ飛んでいくのを驚愕の目で眺めながら、兄さんは目の前の敵を倒してから剣を下ろす。
「ま、回し蹴り…」
「いやぁ…初めはそれこそ槍とか矢とか色々使ってたんだけどさ。人間って剣とか盾を使ったりするだろ?次第にめんどくさくなったんだよな。矢とかは防げても、持ってるもんを蹴って落としてしまえばやり易いし。わざわざ槍振り回したり、弓つがえんのもどうかなぁと」
「え?えと、なんのはなし…」
「っ?!」
当然出た「人間」という言葉が、わざとらしく意識を引っ掛けさせる。私の言葉を遮り、空気を変えたのはノウゼンさんだった。まただ、またこの人が気づいた。何でこの人ばかり色々と気づいてしまうのだろう、実はこの男の裏では何か特別な力でも働いているのではないか。むくむくと沸き上がってきた嫉妬に似た感情、それを無意識に抑えようと黙ったままのノウゼンさんに問いかけた。
「ノウゼンさん?」
「集団戦闘、しかも人間との戦闘ならば……戦争に、参加していたんじゃないのか」
兄さんが言葉に反応して即座に振り向く。戦争って、まさか。ーー彼は350年ほど生きる獣人、だから重要な戦争に参加していてもおかしくはなかったのだ。例えば、一番最近なものだと8年前、突如起きたアルストメリア・フォブルドン連合軍とハイマート王国との大規模な戦争とか。獣人達と人間が初めて表沙汰で戦った、歴史に残りそうな戦争。そんなものを経験していれば、あんな桁違いな戦闘能力だって納得できてしまうし、何よりもさっきの鳥たちの言葉。
(「貴方は鳥族の重鎮ということをお忘れなきよう」)
もしあれが、もしあの言葉が様々な面……戦闘も含めてのことだとしたら。そして私の考えは、オルゼさんの清々しい微笑みによって肯定されてしまった。
「おう。ハイマートとやったときなんて、あんまり手応えがなくてつまらんかったな」
そう和やかに言ったオルゼさんは、横から飛んできたゴブリンを靴の裏で踏みつけ、デーモンを背負い投げで森の奥へ飛ばした。鮮やかすぎるその続け技に、私達三人は黙って傍観した。或いは、黙らせられたといった方が正しかったかもしれない。オルゼさんが言ったのは、ハイマート王国が惨敗したここ最近で一番大きな戦い。この戦いの後、ハイマート王国とアルストメリア王国、フォブルドン共和国は休戦協定を結んだ。そして鉄の森の領土を割譲し、アルストメリア王国と和解したことになっている。実際にはそんなことですんでいるはずがない、とはノウゼンさんに教えてもらったことだ。
「俺さー、地上も空中も担当だったから言えることなんだけど、人間ってバカよな。迷いありすぎだし、仲間やられたら自分のこと放って助けにいくし、お陰さまで楽させてもらったよ。将軍が赤子の手を捻るようなもの、って言ってたけど案外当たってるんじゃね?」
「……当時の王は、愚王だったからな」
ぼそっと呟いたノウゼンさんの言葉は、離れたオルゼさんには聞こえなかったらしい。戦争の直後、圧政に耐えかねた当時殿下であったフェンネル王は、民衆と一部の騎士達を率いて城へと攻め入った。いわゆる革命というやつだ。戦争には負けるし税は高いし、その上学校やギルドもろくに運営されておらず、貿易すら止められていた。前国王とその配下は国を追われたり、処刑されたりとかの処罰があったと聞いている。ノウゼンさんが愚王、と言ったのは多分そんな所を指してだろう。話の内容もあってちょうど場が静まり返ったとき、水溜まりを潰す変な音が聞こえた。槍を握り直した瞬間、今までで一番大きな猪がオルゼさんから方向転換をしてこちらへ向かって来ていた。自分の方へ走ってくる猪を間一髪で避けると、羽を広げて飛んだオルゼさんが見事な蹴りでその図体の頭を沈ませる。合わせたわけでもないのに兄さんと着地したオルゼさんが同時に猪の横に並び、よろけた猪を森の方へと体当たりした。一仕事終えたように息をついたオルゼさんは、ふと何かを思い出したのかぽんっと手を叩く。
「あーでも、何匹か戦った奴の中で手応えあったやついたぜ?特に、魔法使いのくせに剣使いやがる金髪のガキだったかな。剣の腕もそこそこあった上に、炎魔法をおもいっきり使いやがる。相当訓練を積んでいるな、ありゃ」
魔法使いなのに剣を使い、金髪で、炎魔法を使う…なんて、今のところ一人くらいしか思い浮かばない。もちろん戦争の時なんて沢山の人がいたはずで、もしかしたら違うかもしれないが、考えていたことはは兄さんも一緒だったようだ。最後に残った敵をオルゼさんに譲り、戦局を見守りつつ兄さんは訊ねた。
「もしかして…コルペッセ先生?」
「おー、それ!その名前!!なつかしー……先生?」
「今は学校の先生をしています」
名前を知っていたことにも驚きだが、何より懐かしいと言ったということは出会いでもしたのだろうか。最後に残っていた魔物の頭をオルゼさんは回し蹴りし、反動をつけ、体当たりして森の中へ飛ばす。話はちゃんと聞いていたらしい、背伸びしながら感嘆の声を漏らした。
「へぇ!あのガキが…って、10年くらい前なんだから当たり前か。普通の人間様はいいねぇ、すぐに成長できて」
「え…」
妙に引っ掛かる言い方に質問しようした時、オルゼさんは私たちとは全く別の方向、空に手を振り返していた。見上げて、質問はまた今度でいいかと思い直すほどだった。ーーその先には、霧に紛れながら羽音を響かせる二つの影。無事を願ったものとしては嬉しい光景が、そこにはちゃんと確かにある。影は次第に形を型どって、羽根を携えた男二人へと変わっていく。待ち望んだ光景、鳥たちの姿を認めた兄さんとノウゼンさんが口の端を上げて、武器を持っていない手でハイタッチを交わした。
「皆さん!」
「終わったぜ!!川は成功した!!」
再び鳥たちに運ばれて村に到着した瞬間、ユティーナが文字どおり飛び付いてきた。どうやらエイブロと共に帰っていたようで、服のあちこちに飛び散った土と汚れた杖が作業の大変さを物語っている。あたふたとする暇さえもらえず、潤んだ瞳に見上げられてその場に固定される。
「ティリスさん!!疲れました、癒してください!!」
「だ、大丈夫…?よしよし」
「あう…魔法使いすぎて精神的に疲れたんです…」
癒してくれ、という言葉に手が自然とユティーナの頭を撫でていた。彼女が纏わせる雰囲気は相変わらず明るいものであったが、息をついたその顔はやはり疲れが見える。人目を憚らず抱きついてきたユティーナの様子が少し怖かったが、確かに干渉は慣れてなければ辛いものだ。ユティーナがさらに抱きついてくるのを感じながら、村の方へと目をやる。村人は、私たちが湖に連れていかれた時よりかは外に出ていた。しかしそれでもまだ昨晩見たような大人数には遠く足りないので、やっぱり川の水を止めに行っているのだろう。ふと、村の獣人と話していたエイブロが私達に気づき、こちらへ足早に近づいてくる。
「皆さん、無事でしたか」
「新しい川の方は成功したみたいだな」
「ユティーナが予想以上の魔力を発揮しましてね。本人が細かい作業が得意だったこともあって、素晴らしい出来上がりになりました」
ノウゼンさんの言葉にエイブロは頷き、言葉を付け足す。エイブロの服にもユティーナと同じように土のようなものが飛んでおり、腰につけていたベルトバックはポケットの部分が端的に濡れている。恐らくナイフがしまい込んであるのだろう、几帳面そうなエイブロには似合わずポケットだけよれている。ーーオルゼさんも懸念していたことだが、ユティーナ達の方にも多少魔物が行ったらしい。エイブロの頬に横に一筋長い傷ができていて、まだ生乾きだったのが嫌でも目につく。回復魔法を、と思って呪文を唱えようとしたが、当の本人が頭を振って私の後ろを指差したためさすがに止めた。指差された先でオルゼさんが川の近くで手招きをしていたため、一旦会話を打ち切って歩いていく。エイブロの傷は全部終わってから回復すればいい、ということなのだろう。ちょうど木々に隠れて見えなかったが、川を見上げれば村人達が氷魔法を使い、片っ端から水を凍らせている。オルゼさんがかじった程度しかできない、と言っていたような気がしたが、やっぱり充分できるように見える。だがそれでも、隙間からは魔法がかからなかった部分が漏れだし、少しでも魔法を使わなければ今にも溢れてしまいそうだ。
「あとは村の入り口で寸止めしてる水を何とかするだけだな。ま、流れてきちまった水は戻せないからなぁ…どうすればいいと思う、赤髪の坊っちゃん?」
オルゼさんの不意な質問に、エイブロが少しの間を開けてから答えた。答える間も、氷が割れる音と氷が新たに生成される音とが重なって聞こえる。
「一番いいのは…全部、魔法に変換してしまうことですね。泡とかにしてうまく風に乗せることが出来れば、他の地域に水を持っていくことができますよ」
「かーっ、やっぱそうなるよな。でもそれ出来るのか?風の方はそっちの金髪の嬢ちゃんがいるからなんとかなるけど」
自分がオルゼさんによって指名されたことに違和感を感じたが、よくよく考えてみればさっきの戦いでも私は風の魔法を使っていたので知っていてもおかしくはない。……この調子でいくと私たち全員の癖などを覚えていそうで、そう考えると賞賛よりも恐怖を覚えるのだが。何はともあれ、エイブロの言う通り水魔法が使える人がいなければ、この場はどうすることもできない。ーー実は兄さんが水魔法の使い手なのだが、ルーフォロ先生の影響で付加魔法しか使えないらしい。何より本人が目を私から無理矢理外している時点で、今は何もできないと言っているようなものだ。
「とにかく、探すしかねぇ。グート!ヘディン!」
「はいはーい」
「何でしょうか、オルゼ」
「この村には水魔法の使い手がいない可能性もある。お前らはスクルトゥーラへ行って、ラドニクスに手の空いてるやつがいないか聞いてこい。道中で会えれば引っ張ってきてもいい。俺が許す」
「横暴だな……ま、そんなこと言ってる場合じゃねえな。行ってくる」
「オルゼ、村を頼みます。黒髪のお嬢さん、またお会いしましょう」
「あ、」
またもや話を急に振られたユティーナが、今度はゆっくりと視線を二人の鳥へ合わせた。茶色の髪の鳥ーーヘディンさんというらしいーーはその視線を受け止めると僅かに唇を動かす。何と言ったのか私には分からなかったが、ユティーナは分かったのだろうか。
「……お前たちに風のご加護かありますように」
オルゼさんの祈り文句にグートさんはヘディンさんの腕を引っ張って翼を羽ばたかせる。ユティーナは遥か彼方に消えていく二人にお辞儀をして、直後顔を暗くした。最後に付け足された言葉が原因なのは、聞かなくてもわかることだ。ただ、それを無視できるほと私は単純には考えられない性格だと分かっている。
「……ユティーナ、あの人と何かあったの?」
あまり大事にするのもよくないかと思い、ユティーナの耳にそっとささやく。しかし、ユティーナはそこまで気にしていなかったのだろうか、振り向いた彼女は暗い顔を急に明るくさせていつものように笑った。
「いえ、……もしもう一度会えたら、次はアルストメリアで会いたい、と言われたので」
「そ、そう」
「それより、早く村の人に聞きましょう。もしかしたら水魔法の使い手、いらっしゃるかもしれませんし 」
ユティーナが走って、早速見つけた村人に話しかけている。それを始めにみんながバラバラになって村人に、水魔法が使えないかと話しかけていく。オルゼさんに聞いたところ、村の人は不定期に入れ替わるため誰が魔法を使えるか、使えるとしたら何の属性が使えるか、などは知り合いしか分からないらしい。ふと、兄さんが村長さんにも聞いて頭を横に振られているのが見えた。村長さんはもう諦めたのか、行動がどこか投げやりに感じる。こんな光景をあの人が見たら、と思いオルゼさんを振り返ると、案の定オルゼさんは盛大な舌打ちをして村の奥へと走っていく。その姿を、止めるものがいた。