鮮明な低い声が、私の耳にも届く。全員がーー私たちだけではなくその場にいた村人たちも含めてが一斉に振り返ると、そこには一人の背の高い男が立っていた。ーー薄い茶色の髪の合間からのぞく、尖った耳と縦の瞳孔がいかにも獣人らしさを醸し出している。袖無しで赤い、フードつきのマントのようなものを着ていて、耳の青い宝石の飾りと共に男の存在を釘付けにする。腕から腰に当てられた手までは黒い手袋で覆われており、使い込まれていることを一目で分からせる。男がこちらへ歩いてきた瞬間、エイブロが、兄さんが、ノウゼンさんが、突然自分の武器に手を添えた。私とユティーナが遅れて反応したのは、目の前の男が何かの武器、ナイフのようなものを持っていることにようやっと気づいたからだ。さっき見たときは確かに何も持っていなかったのに、いつ取り出したのだろう。目を細め、取り出したナイフをもう一度しまった男からは気配さえ感じられない。オルゼさん以上に戦いに慣れた者だと、一瞬で判断できるだけのものを男は見目に纏わせていた。
「良いタイミングで来るじゃないすか!」
「たまたま近くを通ったら、見慣れた鳥が飛んできたからな。何事かと思ってきてみた」
オルゼさんが目を輝かせてその男に近づいていく。見慣れた鳥は恐らく、先程のグートさんとヘディンさんだろう。村人たちにとっても男は知り合いなのか、安堵の息があちこちから漏れだした。
「なんだ、あの男。まったく気配が読めない」
「敵ではないみたいだけど……オルゼさんと同類な感じするよね」
「明らかに戦闘経験あります、ってな」
呟いたエイブロに言葉を重ねて、男に注目する。オルゼさんが簡単に状況を説明しているが、男の表情に変化はない。だが、その男はオルゼさんから私達へ視線を移すと、顔を明らかに濁らせた。
「あー、そうそう。こいつらが手伝ってくれたんすよ」
「……まだ年若い人間がわざわざこんな辺境まできたか」
「あ、あの、」
「安心しろ。今、この状況下で危害を加えようとは思わない」
あっさりと言い切って、オルゼさんの横をすり抜け男は村人達の間を歩いていく。その先からは氷と水の音がまだ、重なって聞こえている。慌てて男を追いかけると、魔法を使う村人たちの後ろに立って様子をうかがっていた。また一ヶ所、氷から水が漏れだし、控えていた村人の一人が呪文を唱える。
「…これを、魔法に変換してしまえばいいんだな」
「できるんすか、ミンデルさん」
「もちろんだ。誰か、風の魔法が使えるものはいないか?」
「わ、私使えます!」
手をあげて応じると、今まで冷たい表情をしていたミンデルと呼ばれた男が小さく微笑む。ほんの少しの表情の変化だったが、印象を変えるには充分だった。悪い人ではないらしい。手招きされ、隣に立つとミンデルさんは氷を左手で指し、空いた右手を私の肩に置いた。
「俺がこれを全部魔法へ変換するから、君は風で東へ流してくれ」
「東、ですね。わかりま」
「危ないっ!」
私の言葉を遮る怒号と共に川へ急に光が差し、思わず目をつぶると目の前が暗くなる。それに続いて何かが割れる音と何かに固い何かがぶつかる音がした。よぎる不安を胸に、音が消えて恐る恐る目を開ければそこにあったのは――
「っミンデルさん!!」
下ろされたミンデルさんの右腕からは氷の破片がパラパラとこぼれ落ち、黒い手袋に不自然なへこみが現れる。割れて飛んだ氷の破片から私を庇ったのだ。薄緑の目を細め、ミンデルさんは川へ向き直った。
「大丈夫、ちゃんと魔法で防いだ。時間がないから一発勝負になるかもしれん。他のことに構うな、魔法に集中しろ」
「はい!」
反射的に答えると、腕に残っていた氷の破片を払い、ミンデルさんは川の方へ手をかざした。手にはすでに先程のナイフが握られていて、ミンデルさんが呪文を唱え始めるとそれは刀身を鈍く光らせる。彼の耳飾りに使われている青色の宝石が、尋常じゃないほど大きく揺らめく、美しい空色の灯火を灯す。魔法使いの大半がその美しさから二番目の属性に選ぶといわれる、水魔法の光。兄さんが今までに数回使っているのを見たが、剣に纏わせる付加魔法とは比べられないほどのものだ。
「ー汝は還らん、大いなる海の源へ。【水泡】」
力ある言葉をミンデルさんが放つと、氷から漏れだしていた水だけでなく氷も、その前で塞き止められていた水も、全て魔法として空中へ浮かび上がる。村人達が使った氷魔法もいつのまにか消えて、すべてがただの水の塊となっていた。その量は、私たちの上を覆い隠してしまうと言ってもいい。目を疑い思わず手が止まりそうになったところを、ミンデルさんが肩を叩いて合図する。この量は、普通の風魔法ではさばききれないと自分の中で判断していた。考えろ、今すぐに呪文が唱えられて、正確に発動できるもので、なおかつ威力が強いもので。私が扱える最高級の魔法を。
「お嬢さん」
「ー美しき薄緑の王よ、汝は吹き行く、調べを奏でながら。ここに集え、ここから散れ、そして数多の運び手となれ!【羽衣の風舞】!」
呼び掛けられた声に、魔法の呪文で応えた。今集中切らせばこの村は沈むと思え、自分の心にそう言い聞かせる。準備していた槍を先程巻いた紐に指を掛け、東の方へ傾けて魔法に指向性を与える。少しの間をおいて、西から東へ吹く風が緩やかにやって来たのを肌で感じる。泡となった水たちが、全て風に乗って各地へ散らばっていく。渦巻く雲の隙間から差す光が泡に当たって、空に宝石を散りばめたように見えた。
「……すげぇ、綺麗」
魔法の発動を終えた私の耳に届いたのは、誰かのそんな声だった。風にのって泡が流れていき、さらに細かな雫となって散らばっていく。村の上空からすべての泡が消えたのを確認し、集中させていた神経を解放した。魔法【羽衣の風舞】。学校で教わったものよりも少し格上の、支援用魔法の一つである。空気、もちろん魔素を含めてを思い通りの場所へ動かすことができる。普通に生活する分にはあまり関係ない魔法だが、私達魔法使いからしてみれば魔素を集めることができる最強の支援となる。小さく息をついて槍を下ろし、目の前を覗き込む。川には、昨日見たときより少なめの水が流れている。もう一度、今度は深く息をついたその瞬間、オルゼさんの声が村の中で響く。
「おっしゃあっ!これで安心だぜ!!」
その言葉に、近くにいた村の人は全員手をあげて沸いた。
次々に村人たちは村の中へと走り口にする、喜びの言葉。拳をぶつけ合う氷魔法の使い手達、握手を交わすオルゼさんと村人。後ろを振り返れば、ハイタッチで喜びを分かち合うエイブロとユティーナ。そして、少し離れていたノウゼンさん、兄さんに手を振り返すとミンデルさんがこちらを向いていたに気がついた。
「ありがとう。お嬢さん」
「へ?あ、えーと、こちらこそ…」
ミンデルさんが差し出した大きな手に、手を合わせる。小さく微笑んだその顔はとても穏やかで、水魔法の残り光がミンデルさんの雰囲気を和らげているように見えた。ーしゃらん、と耳飾りが揺れて空色の宝石に光が反射する。魔素を含む宝石ー魔石は術者の魔力を補助するのだが、あそこまで光る魔石を見たのは学校を出て以来久しぶりに見た。かなりの代物、ではないのだろうか。
「お嬢さん?」
「あ、ごめんなさい。珍しい耳飾りだなぁと」
「族長から頂いたんだ。獣人の魔法使いはそういないからな」
なるほどとこちらが納得すると、ミンデルさんは手を外す。村に活気が戻り、村人たちの楽しそうな会話が徐々に聞こえ始める。
「おや、間に合ったみたいですね、ミンデルさん」
「ヘディン。あぁ、何とか走ったら間に合ったよ。お前たちと会ったのが街ではなく道の途中で本当によかった」
「あー!終わっちまってるじゃねぇか!!くそっ、やっぱりさっきのミンデルさんの魔法だったんだ!見たかった!!」
「すまない、グート。時間に余裕がなかったんだ。今度また見せるから」
帰ってきたグートさんとヘディンさんにもミンデルさんは話し、村の方へとゆっくり歩きだす。グートさんはえー、と不満げな声を出しながらミンデルさんの後ろを追いかける。ヘディンさんもまた、そのグートさんを見て村の中へと歩いていった。楽しそうなその光景を見ながら、そういえばまだミンデルさんの種族は聞いていないことに気づく。オルゼさんは獣人が4種族、兎・狐・鳥・狼しかいないといっていた。雰囲気的には、狼なんだろう。鳥から慕われる狼とは、なかなか見れない光景である気がした。
「…人間、いや、ギルド・インペグノ 」
「は、はい!」
突如後ろから、自分達のギルド名が呼ばれて振り返る。集まった獣人達の間を掻き分け、やって来たのはフードを被った村長さんだ。目を瞬かせたオルゼさんが口を開いて何か言おうとした瞬間 、村長さんの頭が下がる。
「……数々の非礼、許してくれ」
持っていた槍が、落ちかけた。反射的に兄さんの顔を見ると、やはりそこには驚愕した顔があって。隣を見ればしきりに目を瞬かせるノウゼンさんや、顔を見合わせるエイブロとユティーナがいる。村長さんの周りからどよめきが上がったところを見るによっぽどのことなのだろう、村長さんが頭を下げるなんて。
「あ、あの、謝らないでください。私たちは私たちができることをしたまでで、」
「謝らないと気がすまない。特に、お嬢さん」
「は、はい?」
頭を上げた村長さんの、日溜まりの花のような薄黄色の目と目が合う。濁りのないその瞳に疑いの色などない。その目が細められ、まなじりが下がれば憂いの色をただただ帯びていくだけ。
「本当に失礼なことを言ってしまった。私達が昔に見た人間とはまったく違うと、今さっき分かった。許してくれ。君たちをあんな人間と同列に扱ってしまったことを」
村長さんが再び頭を下げると、衣擦れの音がずっと重なって聞こえる。まさか、とは思いながら村長さんの周りを見ると、私の予想はばっちり当たってしまった。
「…ありゃま、村長が頭下げるから全員下げちまったじゃねぇか」
前を向いても、横を向いても、後ろを向いても似たような光景。オルゼさんとミンデルさん以外の獣人達は、誰一人残らず頭を下げていた。あまりにも居心地が悪くなってきて視線で仲間たちに助けを求めるも、どうすれば良いか分からないのは同じ。何とも言えない静かさが、場を支配した。
「…いいことすりゃその人たちはいい人なのかよ」
「え?」
それは、誰の声だっただろうか。はっきりと耳で聞き取れたはずなのに、誰の声か全く分からない。誰の声かわかったのは、声の主がニッコリと嘘のように笑ってその声のまま喋ってからだった。一向に晴れない空の雲、その下で彼の赤髪と緑の瞳はほんの少し揺れるだけにとどまった。
「では約束していただけますか?人間だからといって嫌わないと、人間だからといって離れないと」
「それは」
「例えば、商人でも」
「それは出来ぬ」
笑ったままのエイブロの提案を、村長は先程から様子を一転させて一言で切り捨てた。しかし、エイブロはその答えをすでに予想していたのか、ふっと笑ってその緑葉の瞳を細めた。手を、血が滲みそうなほど握りしめながら。
「やはり、商人は問答無用で捕らえられるようですね。獣人にとって商人とは敵でしかなかったから」
「……それは」
「過去に囚われたままなのはあなた達だけだ。人間は過去を背負って必死に生きている。この人たちみたいな人がハイマートには多くいる。それでも、何か行動を起こすまであんな態度をとり続けるつもりですか」
「黙れ、小僧」
「何十、何百と歳月を過ごしてもなお、人間との争いにこだわりますか。だれかがそれを断ち切るまで、ただ待つつもりですか」
「黙れ!黙れと言っている!!」
「じゃあ簡単に謝るな!謝るような行動を起こすなよ!それでもあんた、村長かよ!!」
怒りを抑えきれなかったエイブロの腕を、後ろにいたノウゼンさんが慌てて引っ張る。彼は止めようとしたのだろう、しかし力が足りなくて反対にノウゼンさんが引っ張られる形になった。掴まれた腕を振り払うことすら忘れたエイブロは、目を見開いた村長へと怒りをさらに当てた。
「村長ならもっと胸張っとけよ!あんたが頭を下げれば、皆が頭を下げる!そんくらいわかってんだろ!つまらないことで意地張るくらいなら、最初から馬鹿みたいなことをすんな!!」
「エイブロ!!」
名前を大声で呼ばれたエイブロの体が地面に倒れたのは、ほんの一瞬の出来事のせいだった。濡れた地面をえぐった体を起こし、エイブロは赤くなった頬に自分の手を当てる。僅かな沈黙のあと、村人たちのどよめきに混じり、荒い息づかいが聞こえてくる。かすかな血の匂いを辿れば、やはりエイブロの口からは血そのものが少しずつ流れている。その前、オルゼさんはゆっくりと息を吐き出して顔を上げる。オルゼさんはさっき、私の隣にいたはずだった。しかし、ほんの一瞬のこと、彼はノウゼンさんからエイブロをひったくるように離し、その顔面に拳をいれたのだ。手当てしようと近寄るユティーナを、グートさんとヘディンさんが手を伸ばして牽制する。その表情は怒るわけでも哀しむわけでもなく、何の感情も見えない顔。
「怒りに任せたまま喋るな。もうちょい冷静でまともな奴だと思っていたが、ただのガキだったみたいだな」
エイブロは、黙ったまま顔をうつ伏せる。表情は見えず血の匂いもまだ消えない、そんな彼をオルゼさんは見下ろして、すぐに目を村の入り口へとそらす。
「もういい。お前ら、たしかアルストメリアの方に行きたいんだったよな」
「は、はい」
「送る。送ってくる、村長」
私達に何も合図をしないまま、オルゼさんは前にいるエイブロを無理矢理立たせて、一人村の外へと歩き始めた。荷物を手探りで素早く確認して、走ってオルゼさんの後を追う。グートさんにもヘディンさんにも、ミンデルさんや村人に挨拶を何一つできないで私達は村を出ることになってしまう。思わず振り返った先にいた村長さんは、黙って頷いただけだった。
「…痛い」
「当たり前だ。本気で殴ったんだから」
エイブロが漏らした単語にオルゼさんはそう答える。村を半ば飛び出してきた私たちは、アルストメリアへと通じる道の途中にある休憩地にいた。木の根本に腰を下ろし荷物をちゃんと確認する間、エイブロはただ一人木に体を預けて息を整えている。、風が吹いては周りの木々が雄叫びを上げるように、鮮やかな緑葉をさざめかせる。空も、雨がじとじと降っていたこともあって相変わらず暗い。幸先が完全に悪い気がして、このままだと気分も落ち込んでしまいそうだ。ふと、オルゼさんはエイブロの髪を優しく撫で始めた。
「さわんなっ、」
「よっぽどいい村長さんだったんだな、お前んとこの村長さん」
エイブロが手で払うと、オルゼさんは手を渋々どけながら言った。その言葉は本人の気持ちを大いにぐらつかせたらしい、エイブロの瞳の光は揺れ、言葉を紡ぐことを止めてしまう。彼の動揺には、長年連れ添ったはずのユティーナですら驚いているようだ。
「エイブロ?」
「村長さん、な。あぁ、いい人だった。いつも胸を張ってて、優しくて、誰かを差別したりしない、皆から慕われた…村長さんだったよ」
「……お亡くなりになったのか」
「あぁ」
恐らく、エイブロが言う村長さんとは、フロンティール村の村長さんのことなのだろう。辺境の村は襲われ、今はもうただ一人の生き残りを除いて彼の村の住人はいない。小さな吐息は掠れて行き場を失い、空気に溶け込んでいった。その吐息がエイブロのものだったかは分からないが、彼が背けた顔、それがその原因だと分かっていた。
「過去に囚われたままなのは、お前も一緒だな」
オルゼさんの言葉にエイブロは顔を背けた。先程のエイブロの言葉に合わせたのだろう、オルゼさんは木の幹に背を預けて小さく笑んだ。エイブロが信じた村長、それに対しての思いはこの場の誰より強い。しかしエイブロはただ思いをぶつけただけで、結果的にピオーヴェレのワーズ村長を侮辱する形となってしまった。オルゼさんは間をほんの少しおいて木の幹から離れる。
「さてと、そろそろいきますかね。わざわざ煽ったんだろ?」
え、と全員が呟いてオルゼさんを振り返る中、エイブロは木の根もとへ仰向けに寝転んで、腕で顔を隠した。煽った、とは。いつ、どこで、そんなことをしていたのか。
「ばれてたのかよ。あんた、とんだ役者だな。本気だと思ってた」
「そりゃあどうも。昔からああいうのには敏感でな。あ、村長も気づいてたぞ?」
「あー、なるほど。だから言葉少なめに追い出したんだな。どうりですんなりいくと思ったよ。もうちょい押しが必要かなって思ってたからさ」
「ちょっと、ちょっと待って」
二人の会話に口を挟む。どう考えても、今の会話はさっきのエイブロと村長さんとのやり取りについてだ。オルゼさんとエイブロの言い方だと、あれは全部演技だったと考えてしまう。
「どういうことなの?だって、」
「さっきのあれな、全部俺とこいつと村長の演技。半分本気だったけどな。殴られたのはいたかった」
「あっちの方が早いだろ」
いつのまにやらこっちも上手く騙されていたらしい。そもそも、そんな計画をしているようにも思えなかったし、合図なども一切なかったような気がする。だが、気になるのはそこだけではない。
「なんでそんなことしたんだ?別に早く村を出る必要なんて無かったんじゃ」
兄さんが代表して聞くと、エイブロは立ち上がって今まで歩いてきた道を振り返った。つられて振り返ると、そこには一つの人影がある。赤い袖無しのコート、黒く長い革の手袋、そして美しく光る空色の耳飾り。慌てて走ってきたのだろうか、その獣人は息を切らしていたがすぐに息を整えた。
「フォブルドンでは人間を見つけ次第監視、何か行動を起こせば連行するように言われている。いくら村を救った者とはいえ、お前たちは人間。ここで簡単に見逃す訳にはいかない」
オルゼさんは私達の前に出て、羽根をわざとらしく大きく上に広げた。その羽の合間から、獣人ーーミンデルさんの眉を潜めた表情が伺える。広げたときに舞ったのだろう、空から降ってきた黒い羽を一枚手に取り、オルゼさんはミンデルさんを見据える。
「ミンデルさん、やっぱりあんた報告係だったんすね。あんまりにもタイミングよく現れすぎだった。グートとヘディンにもすでに確認済みっすよ」
「やはり分かっていたのか。賢しいというのもなかなか厄介だな……いや、お前の場合はその賢しさが人を惹き付けるんだが」
ミンデルさんは目を細め一つ深いため息をつく。そして、コートの中からナイフを流れるように出して、目の前で構えた。同時にかすかな空気の揺れ、殺意に似た何か。旅に慣れていただけあって反応は敏感、ギルド全員が身を僅かに図らず引いてしまった。
「オルゼ、すまないがここを譲ることはできない。こいつらはスクルトゥーラへ連れていく。俺一人の判断でこいつらを何とかすることはできないから、とりあえず将軍に会わせる」
ミンデルさんはオルゼさんを横目に見て、体勢を整えはじめる。無意識に手を槍の柄に添わせ、オルゼさん以外は臨戦態勢をとる。コルペッセ先生から聞いた話、スクルトゥーラで捕まった商人がどうなったか忘れはしない。その想像を、オルゼさんが打ち破るように言葉を重ねた。
「大丈夫、こいつらは危険じゃない。俺が保証する」
「オルゼ……お前」
「頼むミンデルさん。こいつらをアルストメリアまで行かせてやってくれ。頼む!!」
焦る言葉とは裏腹に、時が静かに流れるように、黒い羽根は時間をかけて伸ばされる。ゆっくりと片膝をついたオルゼさんは、頭を垂れた。その行動に息を呑んだのは私たちだけではなくミンデルさんもまた固まったままだった。ーーそこまでしてオルゼさんが私たちをかばう理由が分からない。昨日、会ったばっかりだ。今日、一緒に戦っただけだ。それなのに彼は私達のために頭を下げ、親しくしているであろう人と対立しようとしているのだ。
「オルゼさん…」
動こうとした私を、オルゼさんは伸ばした手で牽制した。何としてでもミンデルさんから私たちを逃がすつもりなのか、あるいは。あるいは、彼に譲れない思いがあったのか。
「オルゼ。忘れたのか、お前の仲間の羽を奪った残虐な人間を。俺たちは人間とは相容れない存在なんだ」
「それでも、こいつらは違う。彼奴らなんかと一緒にしないでください」
「この先、戦争で戦うことになったとしても。たとえ、自分の身を犠牲にしてでも守りたい者に数えると言えるか」
狼の言葉に対して、気高い黒鷹は頭を再び上げ、彼の目を濁りのない瞳で真っ直ぐ見詰める。そして、ただ一言。
「あぁ」
祈るように呟いた。