第二幕 懐かしき音色は響く
「さて、何から話しましょうか」
そう言ってミラーレが用意してくれたのは、懐かしい紅茶だ。ギルドメンバーだけではなく、ローリエにナヴィリオ、自身も含めた全員分である。明らかに長話を許してくれていることが解るその好意に感謝しつつ、勧めてくれた紅茶を率先して一口飲む。彼が『気を許してもいい人』であることを、未だ警戒している銀髪の青年や赤髪の少年に教えるためだ。
小屋に近い木造の家は、花畑が多くあるこの竜の谷に良く馴染んでいる。午後の休息をするには丁度よく――自分たちの目的と、同じ場に会している人が違えばきっちりと安堵することが出来ただろう。
「はい」
「どうぞ」
「まず、ナヴィリオ将軍が家の中へ一緒に入ってきていることから聞きたいです」
壁にもたれたナヴィリオは、明確な敵である。しかし彼はまるで何事もなかったかのように紅茶を楽しみ、観察するわけでもなく単純に過ごしていた。それが『当たり前』だと言わんばかりの行動は、不可解でしかない。
「ミラーレの様子見に来たんだ。別にお茶ぐらいいいだろう?」
「一応私たち、敵なんですけど」
「今の俺はナヴィリオという名の男っていうだけさ。敵味方関係ない、ただ親友のミラーレの紅茶を飲みたいから来ただけだよ」
つまりこの場では、将軍という身分は関係ない、と。
ちらり、とローリエの方を向くが、彼女も特別それに対して何かを言う訳でもなくただ、じっとこちらを観察しているようだった。
では、と居住まいを正してから、紅茶のカップを一旦置く。ミラーレがゆるりと目を細めながらもこちらを見据えたその瞬間を狙って、自分の胸元へ手を添えた。
「――ミラーレさん、貴方は、人間ですよね?」
「ええ」
「クラベスは、私と同じテオロゴイ、ですよね?」
これは夢からのヒントと、彼の言葉、そして周りの状況から確定事項のはずだ。エルフの族長にも言われ、実際にテオロギアと呼ばれるものが存在し――何より、竜族という数百年以上生きるとされる種族のところに、クラベスを知る彼がいる。
視線と意図は伝わったのか、ミラーレはくすりと小さく笑んでからカップを手に取った。
「ええ。クラベスも君も、テオロゴイです」
「ミラーレさんと、クラベスの関係を聞いてもいいでしょうか。私を育てたのは、」
「いいえ。君が思っているような理由で育てたわけではありません。そうですね、単純に言えば、拾った君たちを見捨てるようなことは出来なかった。それだけです」
まるでこちらの心の内を見透かしたかのような反応に、思わず息が詰まる。
実際、自分が真っ先に思い至ったのは『テオロゴイ』だから拾った、である。クラベスと共謀し、何かを起こすためのものだったのではないかと。
ミラーレは、確かに育て親だけれども、もしかしたらなんて考えてしまった。けれども本質的に感じたものは間違っていなかったようだ。優しいひと、で間違いなかったのだ。
「ではどのような関係で」
「クラベスとは同じ学校の同級生です。そこにいるナヴィリオも」
ノウゼンが尋ねると、ミラーレはふと壁にもたれたナヴィリオにも視線を向ける。目敏く気付いた彼もまた軽く手を振って合図すると、目の前の彼は気にすることなくまたこちらへと向いた。
「……学校って、百年前の、ですか」
「おや、流石にそこには辿りついているのですね。それでは、私達と同じ学校にいた、とある研究者のことも知っているはずです」
とある研究者、と聞いて思わずノウゼンの方へと振り返る。最早そういった事柄や知識は彼の分野と自分でも認識している。
青年は少しだけ閉口したまま考えるような素振りを見せた後、ふと一つの名前を羅列した。
「……アイギス・フォン・エクセントリア」
「素晴らしい、正解です。彼もまた私たちの同級生でした」
「補佐官が言っていた、百年前の水晶研究か」
「おや、補佐官?」
ミラーレの視線がローリエへと向けられる。そうか、ミラーレにとっての補佐官と言えば、当然だが一番身近にいるアルストメリアの補佐官たるローリエを指すことになるのだろう。
肩を僅か竦めた彼女は頬を緩め、首をゆるりと横に振る。
「私じゃないわ」
「なるほど、ハイマートのエーヴェルト補佐官ですか」
「皮肉なもんだなぁ、ハイマートがその研究を閉じやがったくせに」
「ナヴィリオ」
窘めるその声音は、それでもどこか強さを感じない。それが一層仲の良さと、ミラーレもまたそれほど故郷を良くは思っていないということを知らしめるようだった。
「クラベスとの関係は、言わば仲間のようなものでしょうか。いや、同士、の方が近いかもしれませんね。アイギスに関連したことで同じ志を持ったもの同士。これで答えになりますか?」
「いっぱい質問はありますけど……とりあえずは」
「俺はあります」
元々ミラーレ本人に聞きたいことはそれだけだったはず。だが自分の声を遮るように発されたそれは、隣にいる兄のものであった。
「兄さん」
「俺たちをあの雨の日に助けたのは、偶然ですか」
「ええ、偶然です」
「例えば、ティリスがテオロゴイだと知っていたとしても、助けてたっすか」
それは。
思い出すのは、あの雨の日だ。兄の中では、もしかしたら既に確信を得ていたのかもしれない。あるいは、記憶があったのだろうか。
ミラーレがほんの少し押し黙ったような静けさを見せる。それを追及しようとしたのか、立ち上がった兄の肩をぽふ、と叩く手があった。
「……勘違いすんな、坊主。ミラーレは確かに俺たちの同士だが、人を見捨てるほど腐れちゃいないぜ」
「……ええ。例えティリスがテオロゴイだと分かっていたとしても、助けていましたよ」
実際は知らなかったのかもしれない。クラベスから聞いた上で、彼は自分をテオロゴイだとは知らずに拾い――その後から、知ってしまったのかもしれない。
けれどもここに自分は生きているということは、そういうことだ。彼は見捨てることなく、必要最低限のところまでは面倒を見ると決めたから、自分たちは生きている。
「――なら、良かった」
「良かった?」
「ミラーレさん、いなくなったからさ。俺、結構探したけど見つからなくって。もしかしたらもう見つからないとか、見つけても俺たちのこと、疎ましく感じてたのかなって」
ばっと兄の方を見上げれば、苦笑いした彼が見下ろしてくる。そうだ、兄はミラーレのことを探していた。元々、彼が国の機関に呼ばれる程の実力を有していながらもそれを断り、旅人を選んだのはそれがきっかけであり、目標だ。でも、裏でそんなことを考えていたなんて知らなかった。
思わず黙って見守っていると、ふとミラーレの口から言葉が零れる。
「その純粋な心故に、ですか」
「え?」
「……テオロギアを見せるとしても、明日になります。今日は泊まっていって下さい。幸い、ベッドはいくつかあります」
そう言って黒髪の彼は立ちあがり、キッチンへ自分のティーセットを運んでいく。ナヴィリオは慣れたように本棚へ向かい、ローリエは何事もなかったようにカップへ口付ける。あまりに自然すぎたその光景に、自分たちは差し出された紅茶から上る蒸気を眺めることくらいしか出来なかった。
割り当てられた部屋で寝ていてもなんとなく寝付けず、あまりよくないだろうなとは思いつつこっそりリビングへと降りる。幸い、誰か起きているようで、明かりはついていた。
何か水かもらえないだろうか、とキッチンの方へと向かうとふと、誰かが話している気配がする。
「ローリエさん」
「あら、ガディーヴィ」
どうやら竜の彼女と兄らしい。思わずほっと安堵しながら近付こうと足を持ち上げようとした瞬間、兄の真剣な声が耳に届いた。
「俺のこと、教えてもらってもいいですか」
「あら、案外ちゃんと考えている子なのね」
かたり、と椅子の音がする。ローリエはまるで、年下を扱うというより、少し憐れむような感情を以て彼と接していた。
どうして。
「来たときから、何となく感じてました。俺、絶対ここにいたことがあるんです。あの花畑の光景を、見た覚えがある。あの香りも」
どうして。
「私に聞かなくても、貴方は気付いているんじゃないかしら。本当に貴方は"ここにいた"」
兄が、いつものように相談せずに彼女と直接話しているかなんて。
自分は、解らなかったはずなのに。知らないことの方が幸せだろうと囁く少年の声が聞こえた気がした。
その純粋な心故に、と発したミラーレの顔も鮮明に思い出し、そして同時に理解した。
「そして、貴方とティリスは本当の兄妹じゃない。ティリスがテオロゴイ、貴方は"契約"でこの谷から引き離された、紛れもない竜族の民よ」
彼と、ガディーヴィと血がつながっていることを教えてくれたのは、ただ一人ミラーレだけであり。それを確実に証明する方法など、なかったことに。